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ピアラを高く買っていたんでしょうか?
ああ、でも全ての作品という訳じゃない。私が好きなのは『むき出しの顔』(La gueule ouverte)だ。でもそれは非常に特別になるのは、個人的な事になるからなんだ。本当に特別な関係だったね。青年期の友情だ。それから彼は私の妹と10年生活を共にした。混乱の多い関係だったね、既婚者だった妹が彼の所へ行くのを私の母親は我慢ならなかった。彼のことをボロクソに言ってね。予算が不十分だと言うわけだ。『一緒に老けるわけじゃない』(Nous ne vieillirons pas ensemble)の時は、ピアラ、ジャン=ピエール(ラッサム)と私の3人はとても仲が良かった、それでピアラの映画の製作を引き受けた。私は『シネマ・ド・パパ』(Cinema de papa)を撮り、母が上映を見に来た、私はピアラに家族の一員になれないことを恨むかと言ったんだ。母はピアラを決して受け入れようとはしなかった、それは理解できるが、ピアラにはそれがシコリになった。それにジャン=ピエールは何でも一人でやる奴だったからね、私抜きなら、ピアラの義理の弟だ。それで私を避けるようになった。
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あなたの本ではモーリス・ピアラはあなたが彼を思う以上にあなたのことを気に入ってくれたと思うと書かれていますね。
それは彼の奥さんのシルヴィから最近聞いた印象だ。トリュフォーともピアラとの関係に似ているんだ、こちらは暗くはないがね。フランソワ・トリュフォーとの友情は彼が私の母と義理の母とも凄く仲が良かったこともあるね。私たちといると、トリュフォー自分にはなかった家族の生活が楽しめたのだろう。ピアラも同じだったのだが、問題は妹のアルレット・ラングマンが彼とは不幸な関係だったことだろうね。考えなくてはならないのはそれだろうな。どの道、私の母との関係がうまく行ったとしても、いいブルジョワ的な言い方かも知れないが、もしもピアラとの間に子供がいたら良かったんだ。これは彼女と話をしなくてはならないだろうが、喧嘩もして、妹はカバンを持ってよく泣きながら帰って来た。情熱的な生活だったのだろうが、母は怯えていたね。 『愛の記念に』を少し見て、私、妹と私の両親をネタにしたのがすぐに分った。ピアラ本人が私の父親の役を自分自身に振った−しかし映画の中の話とは違い、父は家を出て行ったことなどない。私は両親が築いた家庭を見て育ったいるからね。『愛の記念に』で描かれたこととは正反対だよ。母をヒステリーとして描いた・・・妹との危機的な状況に陥ってしまった時のことしか語っていない。『愛の記念に』について何も言う事はないな。当時、現実を捻じ曲げるなんて、腹立たしく思った。自分の家族生活を描いただけだ。ピアラには意地悪な面があったね、あんな風に描いて、私と母に復讐したつもりだったんだろう。反対にピアラは私の父の事は大好きだったんだ。だからこそ、父親役を自ら演じ、最後には家族を捨ててみせた、父親以外の奴は全員バカだと言わんばかりだよ、現実は違うが。
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人は落とし前を付けるために映画を撮るべきじゃないと、自伝の中でトリュフォーのフレーズを引用されていますね・・・
私がトリュフォーのフレーズを借りたわけだ。
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著書の中では、批評に落とし前をつけていますが・・・
物書きは、読み手が何を感じるのか分ってないものだ。私の本では、批評を攻撃はしない。厳密に言えば書いた奴らを攻撃しているんだ・・・
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その奴らと言うのは批評家ですよね?しかもかなり辛らつな口調です。
ああ、2、3人だよ。他の批評家と一緒に十羽ひとからげにはしないさ。大体私の作品に関する批評は好意的だからね。全員がそうとは言わんが、何か別の目的で、名前を出そうとする輩がいるだろう。
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人から個人的に恨まれてるとなぜ思われるんですか?
人からじゃない、いても数人だろう。仲間から目立とうとして、ある作品をコケ下ろそうとした批評家たちに向かいジャン=ジャック・アノーと党と組んだだけだ。
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そのジャン=ジャック・アノーの『ラマン/愛人』をリベラシオンのジェラール・ルフォールが酷評した時、映画封切り初日にカナル・プリュスに出たあなたは、とても怖かったですね:ファックスの文面を書いていて、「この作品が今日コケたら、カタをつけてやる!」と。
あれは、自分の行動とは言え酷かったな。認めよう。でも冗談だった、本気ではなかったんだ。彼が文字通り取ってしまったんだろう。
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『ラマン/愛人』の頃は、映画を職業としていた人たちの一部が、個人的な親密な作品を犠牲にし、またそうした作品を亡き者にして模範的な映画を確立させていましたね、1部の批評家たちはこうしたフランス映画の歩み方を感じ取り、反応しました。
自己を正当化できないとまた言っておくが、プロデューサーとしては十二分に証拠を示し、リスクを負ってきたつもりだ。自分の好きな商業映画のイメージもあるけど、だからと言って、テシネやドワイヨンと言った監督たちの作品には参加しないという訳じゃない。パトリス・シェローの『王妃マルゴー』に手をつけた時は、2000万フランの赤字になるのは分っていたが、辞める訳には行なかった。私がリベラシオン誌を脅しているというカナルの馬鹿げたTV番組は、完全なインチキだよ。おまけに客の入らない映画は潰すべきだという印象を与えていると君らに言われた日にはだな・・・(続く)

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