クロード・ミレーユは、あなたとはどういう仕事ぶりでしたか?彼はテイクの数は多い人でしたか?
いいえ、とても少ないです。クロードとは、台詞を間違えた場合は、再テイクを撮りました、最初のテイクが良ければ、2テイク目はリカバリー用ですね。私の演技が不十分だったり、監督が満足できなかった場合は、撮り直しをしました。しつこさはなかったですね。とても簡単で、自然な感じ。『なまいきシャルロット』では、役を演じたというか、私が演じたのだけど、私じゃないんです。あの役は全部クロード自身なんですね。庶民の女の子を演じて、私とは全然違いましたから。『小さな泥棒』は、より自分の意思が出せたと思います。あの作品は、時代劇でもあったので、衣装のおかげもあって、より演技に身が入ったんですね。変ですけど、庶民の子なんですけど、より自分に近い存在だなと感じたんですね。それはたぶん、監督や彼の家族、ヒロインと同じ社会的なルーツを持った人たちと知り合う時間があったからだと思います。ある意味、ヒロインを自分に引き寄せた、自分に写し返るものがあったんですね。
なぜ寄宿舎暮らしをしていたのですか?
スイスを私が希望したわけじゃなかったのですが、寄宿舎へ行きたかったんです。普通は、罰なんですけどね:私の場合はそうじゃないですけど。自分を遠くへやって、自分の家庭にはなかったある規律を見出したかったの。一年だけでしたけど。『残り火』の撮影の後で、それを決めたんですね、それに自分をプロの女優だと、とても思えなかったこともありました。あれは、偶然というか、自分が苦労して出来たことでもなくて、他の女優さんと違いましたから、演劇学校や、古典を勉強したわけでもないのに、自分にはもったいないって思っていたんです。自分は、なにをどうしたらという決心ができなかったんですね。
いつ、女優をやろうという決心をしたのですか?
バカロレアの後で、一年デッサンの勉強をしたいと思っていました。でも美術学校へ行くのはとても嬉しかったんですが、それでまた選択をするために、また一年費やしてるって感じがしたんです。女優をフルタイムでやる!とは自分では言いたくなかったんですね!バカンスの間に演技をするなら、子供でいられると思っていたわけです:大人の年齢に到達するのは、私には、大変なことだと思えてしまった。父を19歳の時に、亡くして、私のエージェントのベルトラン・ド・ラベーは、監督たちに、学校の休みにしか空いてないとはもう言えないぞと言われてしまって!それでフルで女優をやろうと決めたんですね、でもオファーが来なくて、何も起こらなかった。シナリオも受け取っても、自分で確信できずに、ためらいばかり、だから、当時は調子も悪くて。(続く)

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