(「西洋文明の心髄」その5)
宗教が人世を利するのは、それが効力のある社会の組成を助けるからである。個性を有する人類の談合和睦を促すからである。欲心を排除し、名誉心を削減し献身奉仕の念を起こすからである。
欲は破壊的である。本当の進歩は、競争からは来ない。民衆を利そうとする公義心である。真理を歓迎する公共心である。この二者が欠乏すれば、進歩文明は望めない。
そして私が見るところによれば、キリスト教は最もよく、この社交力を供するものである。その二大教義は、よく人類の本性に訴えて、その兄弟的団結を促すものである。
我が国の洋学者で、ドレーパー氏の「宗教と学術の衝突」という書を読んだ者には、キリスト教を
学術進歩の大障害と見なす者が多い。しかし、少しでも欧米社会の深層を見た者は、西洋科学の進歩はキリスト教によって組成された西欧社会が養成保育したものであることを容易に発見するであろう。
ドレーパー氏は、バグダッドやアルハンブラにおけるイスラム教の学術進歩を嘆賞した。しかしアラビア人の学術が、わずかに医数二学に痕跡を留めるだけで、後世によって承継されることがなくなった理由は、どこにあるのか。
支那文明が回顧的であって、常に転々と歩を進めることがないこともまた、その回顧的社会組織に帰さないわけにはいかない。
日本には賀川玄悦がいて、西洋医学に数十年先んじていて、産科学上の大発見があったが、日本の医学は彼によって著しく進歩したという話は聞かない。
嫉妬と名誉心とは、多くの学士と博士とを真理の専売家とし、自分だけが得て、人には施さない。人が得ると恨み、他人の研究の結果を盗んできて、自分の発見だと称して、世に誇ることがある。
名利を目的とする学問には永久の発達はない。真理は徳義的である。宇宙は愛の発現である。これを究めようとする者は、愛と誠実と美とをもってしなければならない。
もし
面白いから学ぶというのであれば、理を探るのと狐を狩るのとどんな違いがあるというのか。哲学は
面白いから究めるべきであると。宗教は講じるべきである。それは面白いからであると。学問は遊びごととして従事される(民の血税から出される国費によって)。
ニュートンはそのようにはしなかった。ガリレオはそうはしなかった。
真理と真理の神を愛する思いである。これがコペルニクスを、彼の時代の潮流に抗して、天体観察の業に従事させた最大の動機である。ファラデーの電気学研究には、慈善家の博愛的事業のような観がある。
アメリカのジョセフ・ヘンリー(
http://en.wikipedia.org/wiki/Joseph_Henry )氏は、七大発明を、特許を得ずに世に公にした。
人はあるいはダーウィン(
http://en.wikipedia.org/wiki/Charles_Darwin )、ヘッケル(
http://en.wikipedia.org/wiki/Ernst_Heinrich_Philipp_August_Haeckel )氏等が宗教を退けて大科学家となったのを見て、科学の進歩に不必要を唱えるかも知れない。
しかしそれは、挿枝に花が開くのを見て、根と幹とが不要だと論じる類である。ダーウィンには、キリスト教的な遺伝と教育と社会とがあったので、彼の新学説が世に出たのである。
彼の挙動は確かにキリスト教的君子の風采を示し、彼は単に学理的にキリスト教を解さなかったに止まって、その徳義と教訓とは、彼が努めて実行したところである。
キリスト教は、学者が真理を社会に供するに当たって、物惜しみしないようにすると同時に、また社会がこれを享受するに当たって、社会を敏感にした。新真理は、もちろん抵抗なしには世に受け入れられない。宗教と学術の衝突は、二者の性質上から避けられないものである。
しかし、よく新科学の光輝に耐え、これを吸収同化して、ますます社会の生命力を強くさせた宗教は、私はキリスト教以外にはなかったと見ている。
迷信の多少は、人類の付着性である。そして
キリスト教徒は、常に最も啓発しやすい民である。不動や呑竜に参詣する公衆に対して進化を説き、啓発を論じることは、ほとんど絶望的事業である。
しかし、ローマで法王の足に接吻する徒といえども、キリスト教の宇宙観を有する者は、ラプラスの(
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%83%AB%EF%BC%9D%E3%82%B7%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%97%E3%83%A9%E3%82%B9 )星雲説を聞いても驚かず、ダーウィンの生物源始説を聴いて、ついに首肯するに至る(彼らの宗教を放棄せずに)。
迷信と共に破壊される宗教を有する民は、進歩発達の民ではない。キリスト教は1900年もの長い間、学理の開発と共に、信仰を維持してきたのである。
ヒューム(
http://en.wikipedia.org/wiki/David_Hume )の懐疑説にあっても、社会組織の紊乱を来たさず、ワット、スティーブンソンの大発明を受けても、未だ完全には利欲の民と化していない欧米社会の生命力は、主としてその2000年間信奉してきたキリスト教の効力に起因していないはずがない。
西洋文学なるものは、明瞭にキリスト教文学である。聖書そのものが欧米人の最大文学である。聖書は彼らの「国民の書」である。年ごとに数千万部を売り尽くして、なお欠乏を告げるものは、聖書である。
新著述の増加は、未だかつて聖書の需要を妨げたことがない。女王ビクトリアは、英国民の基本であるとして、この書を愛読し、宰相ビスマルクはこの書を懐にして陣頭に臨んだ。
小説家ウォルター・スコット(
http://en.wikipedia.org/wiki/Walter_Scott )は、この書の朗読を聴きながら、死の床に就き、詩人ジョアキン・ミラーは唯一の詩歌的標準として、この書に頼り、評論家マコーレーの文体は、この書から来たのである。
哲学者ハイネはキリスト教会を嫌ったが、この書の絶大絶妙を叫んで止まなかった。聖書は王侯の宮殿において静粛のうちに朗読され、その改正訳ができると、ロンドンでは四日で200万部を売り尽くし、ニューヨークの一書店でさえ、数日の間に36万5千部を売り尽くした。
シカゴはニューヨークより36時間かけての郵送を待ち切れずに、5本の電信線を借り切り、新約聖書10万8千語を一夜のうちに電受して、これを翌朝の二大新聞に載せて、その読者の熱望に応えた。
どのような小説も、どのような詩篇も、どのような政治論も、未だかつて聖書のような熱心熱読を呼んだことはない。
英語の粋は、そのいわゆる「ジェームス王の聖書」(
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AC%BD%E5%AE%9A%E8%A8%B3%E8%81%96%E6%9B%B8 http://en.wikipedia.org/wiki/King_James_Version )にある。ドイツ文学は、ルターの聖書翻訳を起点として始まったとされる。
国語の性質は、その聖書の翻訳によって定まるとは、西洋人が常に言う言葉である。聖書の言語と口調とは、深く西洋思想に浸透しており、聖書に暗くては西洋文学を解するのは困難であることは、誰もが実検するところである。
ダンテの大著作は、模型をローマの古典に探って、中古時代のキリスト教的信仰を歌ったものである。バニヤンの「天路歴程」は、これと言って賞すべき美文や麗句はないが、出版後300年の今日でもなお、昔のように人々から寵愛されている。
トマス・ケンピス(
http://en.wikipedia.org/wiki/Thomas_Kempis )の「基督の模範」(
http://en.wikipedia.org/wiki/The_Imitation_of_Christ )は、聖書に次ぐ経典として敬読され、彼を産出したオランダが彼のために誇るのは、イタリアがそのダンテのために誇るのと同様である。
アウグスティヌスの「告白」という書が、彼の死後1500年の今日なお、欧米人の特愛物であることは、彼らのキリスト教的趣向を知るに十分である。
ベンサム、スペンサーを出した英国は、今でもワーズワースやテニソンを聴いている。 “In Memoriam” や “Excursion” を暗誦して来世の希望を楽しみ、心霊の不滅に安んじる。
カーライルにはユダヤの大預言者の句調と烈火がある。ラスキン(
http://en.wikipedia.org/wiki/John_Ruskin )の作は、キリスト信者の天然の観察である。アメリカのホイッチャーは、自らを宗教的詩人だと称し、ローエルはピューリタン時代の強健な思想を伝える者である。
キリスト教を解しない者は、西洋文学の心髄を探ることはできない。シェークスピアの心髄を探る場合も同じである。ゲーテやシラーの著作においても同じである。「ドンキホーテ」のような戯作においても同じである。
私は、この事があまりにも明瞭なので、ここにこれを論証することは無用だと感じる。
誰かキリスト教を離れて西洋美術を論じる者がいるであろうか。ジョット(
http://en.wikipedia.org/wiki/Giotto_di_Bondone )は近世絵画の祖として仰がれている。彼は詩人ダンデの親友であり、彼の神学と信仰とは、大詩人の大著作において窺い知ることができるであろう。
ミケランジェロは、彫刻家としてよりは、宗教家として大である。彼は師として改革家サボナローラを仰ぎ、彼の「モーセ」や「ロレンゾー」に彼の熱烈な宗教的理想を刻んだのである。
レンブラントの画作は、カルビン神学の美術的発表であると言われる。トルバルトセンの「十二使徒」は、8歳の幼児を、知らず知らずのうちにその前に跪かせた。
ヘンデルは天の音楽に触れて、「サムソン」「メサイア」の楽譜が世に出た。バッハ、モーツァルト、メンデルスゾーンの楽もまた、一つとして宗教的感動によらないものはない。
(「西洋文明の心髄」完)