(「カーライルの婦人観」その2)
もう一つの不思議なことは、カーライルの伝記を読んでみると、彼の婦人に対する思想(かんがえ)が日本人の思想とよく似ていることである。
ソレは何かと言えば、カーライルの考えでは、婦人は男子を助けるべきものであり、決して男子から特別な尊敬を受けるべきではないと思っていたことである。イギリス民族、ことにアメリカ人が、女を大切にするのと、カーライルの考えとは、非常に反対している。
世界各国の中で、一番女を大切にするのは、米国である。米国では、婦人を大切にするのは、紳士たる者の職分であるように考えられている。
ソレゆえに、たとえ家では夫婦喧嘩をしても、集会の場に行けば、自分の席はなくても婦人に譲る。そして、もしそういう事をしないなら、男らしい奴ではないとアメリカの一般は考えている。
あるいは、家庭が甚だ乱れている人でも、婦人に対しては最も行儀正しく、伴なって外に出れば、あたかも婦人の家臣(けらい)か、僕(しもべ)のようになって、婦人を助ける。これを紳士たるものの性質であるかのように考えている。
この習慣は、従来(これまで)の日本人が、その婦人を賎(いや)しめた考えとは、全く反対である。しかしながら、日本でも今日ややこの風に傾いた人が時々いて、現に私たちの知人の中にも、多少この考えを持つ人を見ることがある。
アメリカにおいては、女を尊ぶことが甚だしいので、自分の妻が嫌う人は、その人がたとえ自分の親友であっても絶交してしまうことがある。
ソレは普通どうしてするのかと言うと、結婚の後、人を家に招く時、あるいは結婚の披露をする時に、細君になろうという女に向って、「私の友人は誰々である」と言ってその姓名を示すと、細君は鉛筆を執って、「この人はよし、この人はいけない」と言って、自分の嫌いな人の名に点を打つ。
すると夫たる人は、その細君の指定どおりに、細君が嫌った人は、たとえ自分の親友であっても、招待状を発しない。「モウあの人とは生涯の御暇乞いである」と決めてしまう。
この風にならって、現に日本でもその真似をした者がいる。我々の友人の中にも一人二人います。
けれどもこれはアメリカでも沢山にある例ではないが、たまにそういう例が現れるほど婦人というものを尊ぶのです。
ところがカーライルに至っては、ソレにも全く反対していて、そのような考えを持つことを、カーライルは甚だ賎しんだのです。最初カーライルがその細君となった婦人に贈った結婚の約束の手紙を読むと、この事がよく分かる。
カーライルの妻はジェーン・ウェルシュ嬢(
http://en.wikipedia.org/wiki/Jane_Welsh_Carlyle )と言って、スコットランドの名家の令嬢で、家柄はもちろん、教育もあり、性質も高尚であり、容貌も美、財産も多少あり、一つとして欠ける所のない婦人で、立派な人の妻となるべき資格を十分に持った婦人であった。
この婦人とカーライルとが結婚した時、考えをもって書簡の往復をした。その時カーライルがウェルシュ嬢に贈った書の中に、西洋人としては実に奇異な考えが書いてある。
「貴女(あなた)が私の妻になるつもりならば、私の生涯の幸福、この上もない事である。けれども私の考えでは、女が男の家に来たならば、妻たるものは夫に服従すべきものであるということは御承知か。
貴女が私の妻となった以上は、私の好むところは貴女もことごとく好み、私の嫌うところは貴女も共に避けてもらいたい。
もし私が嫌いであるならば、たとえ貴女の母親でも、一切家に寄せない。ソレでも貴女は私の家に嫁ぐ御望みがあるか」という意味の文面であった。
ずいぶんこれは、ひどい注文である。貧困な女、教育のない女、財産のない女に対して言う事ならば、少しは許せるが、しかし、財産も地位も教育も性質も、これ以上言うことのない婦人に、こういう趣意の手紙を贈った。
ところがジェーン・ウェルシュも怜悧過ぎるくらいの女なので、幾度か思案して、幾度か破談になるところであった。
またカーライルから、「私の言うことが貴女の心に落ちないならば、どうか遠慮なく断ってもらいたい。私は今後貴女を友人としては交わるが、妻としては迎えることができない」と言って、その事をくどくどしいまで書いてやった。
「もしまた貴女が、ソレを承諾して私の家に来るならば、貴女は私のために一身を犠牲にして、生涯を費やさなければならない。そして私の嫌いな者は、貴女の母親(おっか)さんでも、家に寄せることはできない」ということを、繰り返し往復したが、それでも双方で何か見込むところがあったと見えて、結婚の約束が成り立って、ついに夫婦になった。
で、その約束の中には些細な事まで……結婚の式日の約束まで書いてあって、都合七八カ条ある。順序はつい忘れましたが、結婚の日にはどういう衣服を着るとか、何時にどこで出会うとか、
どこから二人で馬車に乗って行くとかいうようなことで、その七カ条の中の終わりの条かその前の条に、「
どうぞ教会からの帰途に貴女と一緒の馬車の中でタバコを一本吸うことを許してください」という事まで書いてある。
この事は小さな事のようですが、西洋では婦人の前でタバコを吸うのは、失敬な事である。ことに結婚の日に一つ馬車の中で、花嫁の前でシガーを吹くのは無礼の事であるが、しかしこれも「女というものは、男に服従しなければならない」という考えから、この箇条が加えられたものとみえる。
で、女というものに対してのカーライルの考えは、イギリス人全体の上から考えたら、たいへんに違っていた。ソコでいよいよ結婚をして、夫婦となった後は、婦人に対してカーライルは彼の約束を幾分か緩めたかというと、実に前の言葉どおりにこれを実行した。
一番に実行したのは何であるかというと、その時分にカーライルが言うには、「私は一人の宣教師である。もちろん宣教師といっても、私は貴女をアフリカやインドに連れて行こうというのではない。
私が福音を伝えようとするものは、異郷にある人ではなくて、このイギリスにいる俗人に、神の福音を伝えたいのである。だから貴女も、そのつもりでいなくてはならない。
ソレについては、都の俗塵の地ではいけないから、なるべく人間のいない、交通の絶えた寂しい土地に住もうと思うが、貴女はソレを承知するか」ということであった。
ジェーンも元より夫に服従すべき約束で来たことゆえ、これを拒むことはできなかった。
ソコで、クラーゲンバトックといって、今でも停車場から七マイルも奥……その時分には汽車も通じていない時であったから、書簡を出すにも七マイルも行かなければならず、隣家といっても、三マイルも離れているような、人里遠く離れた山奥に行った。
かつてエマソン(
http://en.wikipedia.org/wiki/Ralph_Waldo_Emerson )という人が、カーライルの隠れ家を訪ねて行ったが、馬車に乗って田舎道をやや久しく行くと、その道の行き詰まりが、カーライルの家であったということである。
そういう寂しい田舎に引っ込んで、高等教育を受け、これから社会の勢力を持とうとした婦人が、自分の社交上の希望はみなことごとく投げ打って、七年の間、この山間の僻地に、カーライルとただ二人で暮した。
後でカーライルが自分の細君の伝を書いた中に、その時の有様が書いてあるが、実にこの七年の間の生涯は、彼女にとっては、多分今の日本の下女でもこれほど賎しい職分を課せられることはなかろうと思われるほどのものであった。
その日々の業務はもちろん、パンを焼き、皿を洗い清める等の家事の用は当たり前としても、その他きたない所を掃除する職分までを、この高尚な婦人に申しつけた。
そして自分は何をするかというと、世の中の事は一切捨て、常に形而上の所にいた。ソレで、この家に出入りする者は、時々郵便配達が来るだけで、その他には、一人として出入りする者はいなかった。
その郵便が来る時は、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア辺りの高尚な雑誌が沢山来た。なおその他に自分が持っていたわずかな金は、みな書籍のために消費して、郵便が来るたびに、望みの書物が沢山届いた。
常にソレらの書によって勉強をし、たまたま考えが出る時は、ロンドンのエデンホルグ辺の雑誌に寄書をして、原稿料を取って生活の料としていた。その他の事は、自分は家事にはちっとも関係しない。
また細君はソレとは全く反対に、元より高等な教育を受けた婦人だから、音楽は巧みで、詩文にも長じていたが、ソレらのことはことごとく脳中から捨てて、ただ自分と夫との衣食住のことにだけ関わっていた。
もし一人の男子が、一人の立派な女子を奴隷のように使ったというようなことがあったら、カーライルほど酷な者はなかったろうと思う。もしまた一人の女が、男子のために自分の希望と快楽とをなげうって、尽くしたという事があるなら、ジェーン・ウィルシュぐらいよく尽くした者はなかったろうと思う。
ソレで、カーライル夫婦は、田舎に引きこもって、人と談話をまじえることもなく、本当に遁世的に生涯を送った。
エマソンが訪ねて行った時に、カーライル夫婦が、「天から人が落ちてきた」と言って、礼を言ったというくらいに、寂しく世を送ったのである。
ところが、金が不足して生計が困難になったので、後には止むを得ずロンドンに出てきた。
その後にはだいぶ生活も楽になり、少しは交際もあるようになったが、しかしながらカーライルは、非常に人嫌いをする人で、なるべく世の中の人を避けようとしたから、夫人の好みに応じることはしなかった。
人が来れば夫の方から人嫌いをして、「彼はつまらない奴である。それはきたない奴である」と言って、自分の好かない人は、遠慮会釈なくはねつけたので、来る人がみな、長く交際をすることができなかった。ソレ故に、社交的な生涯は、カーライル夫婦にはほとんどなかった。
(以下次回に続く)
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