(「我が主イエス・キリスト」No.7)
その五 イエスの出現
イエスは既に自覚されていた。彼が、人類の救い主であることを。彼は、今から世に出て、彼の父の命を行いたいと思う。しかし、意識が実行となって現れる前に、それが確信に変わる必要がある。意識は自信であり、主観である。そして確信は、自身に他信を加えたものである。
主観は客観によって確かめられなければならない。そうでなければ、事業はその中から出て来ない。イエスは神の子であるが、この心理的法則の外に立ってはおられなかった。
見よ、神に三位があって、彼は一体において主観・客観を兼ねられるのではないか。万物はみな相互的動作の結果である。天があり地があって、草木が生じ、男があり女があって世は愛情の連鎖である。
人には朋友がなければならない。彼は孤独であれば人ではない。私達は、神と共に働く者である。そして神は、人を通して私達と共に働かれる。イエスは神の独子であって、世の始めから父と栄光を共にしておられた。
しかし彼は、人類の中に降られて神の事業に従事されるに際しては、彼は独りでこれに従事されなかった。彼は歴史の一部分として、世に現れられた。彼は人世を専用されなかった。彼は喜んで他の人と彼の事業を共にされた。
彼もまた私達と等しく、友人、同志、証明者を要された。彼の自覚もまた、友人の証明を得るのでなければ、確信となって現れなかった。そして神は、特別に彼の要求するこの友人、この証明者を、彼のために備えられた。バプテスマのヨハネがこれである。
イエスが北方ガリラヤのナザレで温良従順な成長をされつつ在った間に、彼の親戚であるザカリヤの子ヨハネは、南方ユダヤの荒野にあって、峻厳過酷な修養を積みつつあった。二者は未だ一度も互いに相見たことはなかったが、各自はその父母の話によって、彼等の間に深い心霊的関係が存していることを知ったのであろう。
もし性質の異動によって談じれば、イエスとヨハネとは、正反対の人物であった。イエスが忍耐強く寛容で、よく鳥獣をもその身に近付けられたのに対して、ヨハネには端厳(たんげん)で近づき難いところがあった。
イエスが神をその無限の愛において認めたのに対して、ヨハネは彼を公義の方面において解した。イエスは喜ぶ者であって、ヨハネは憂える者であった。イエスは感謝して食らう者であって、ヨハネは悔いて断食する者であった。
ガリラヤの山野に花鳥を友とした者と、ユダヤの荒野にラクダの毛衣を着、腰に皮帯を束ね、イナゴと野蜜を食った者とは、その間に和解することができないところがあったようである。
しかし、同一の希望を懐いていれば、反対性は反って相近づき易い。私達の最も好きな友人は、私達と性を全く異にする者である。
柔和なイエスは、厳格なヨハネにおいて、称嘆畏敬すべき友を見たのであろう。そして、義を追求して止まなかったヨハネは、イエスにおいて初めて彼の理想である神の子羊を認めたのである。
ヨハネを知って、彼のために弁明した者は、イエスであった(マタイ伝11章)。そして始めてイエスが救い主であることを認めて彼を世に紹介した者は、ヨハネであった(ヨハネ伝1章)。
イエスが有ってヨハネはその自信を確かめられ、ヨハネが有ってイエスはその知覚が指示するところについて、いささかの疑惑をも懐かなくなった。何と貴いことか、友人相互の奉仕は。これが有ってのみ人はその天の使命を全うすることができるのである。
私を知る者、これを友人と言う。彼は私の半性であって、私の完成者である。私は彼に認められて、私自身を認める。私は彼の証明によって、世界に出る。私は独りで事を為すのではない。友人に助けられて為すのである。神はイエスのためにヨハネを備えて、友誼の神聖を世に示された。
ローマ皇帝テベリオ・カイゼルの在位十五年、即ち私達の紀元二十六七年頃、イエスは、年齢およそ三十歳で、彼の故郷であるナザレの地を出ようとされた時、ヨルダンの向こう側のベタニヤの地において「天国は近づいた。悔改めよ」と大声で叫ぶ者がいるということを耳にした。
そしてその声は、ヨルダンの四方に響き渡って、彼から悔改めのバプテスマを受ける者が多数いた。イエスはこの声をガリラヤにおいて聞き、天国がこの地に開始されたことを知り、自ら歩を進めて、ベタニヤの地に向われた。
ヨハネは遥かにイエスが自分の方に来るのを見て、その傍らの人に告げてこう言った。「世の罪を負う神の子羊を見よ」と。おそらく彼は、イエスの御顔を仰ぎ見て、イエスが、彼が待ち望んでいた人類の救い主であることを、直覚したのであろう。
ヨハネはまた、イエスについて証して言った。「『私に後れて来る者は、私より優れた者である。なぜなら、彼は私より以前におられた者だからである』と私が言ったのは、この人である」と。また言った。「私はその靴の紐を解くにも足りない者である」と。
二聖が相会して、その間に些少の確執もない。謙遜なヨハネの前に謙遜なイエスは立った。イエスはそこに集う罪人にならって、ヨハネから悔改めのバプテスマを受けたいと求められた。そしてヨハネが否んで、彼はその任ではないと語ると、イエスは彼に答えて言った。「しばらく許せ。そのように全ての善い事を、私達は尽くすべきである」と。
おそらくイエスは、ヨハネが神の人であることを知っていたので、彼を敬するあまり、ここに自ら身を低くして、罪がないのに洗罪の礼に与り、それによって衆人の前にヨハネの聖職を証明し、合わせて身を罪人と同列において、彼とヨハネとを見張っていた幾多のパリサイ、サドカイの徒に、傲慢自尊が害毒であることをお示しになったのであろう。
イエスに悔改めの必要がなかったことは、言うまでもない。ところがここに、己を虚しくして、身を罪人に擬して、浸礼の式に与られた。これは謙遜の極であり、しかもこれは神の子の降世の精神であって、父が喜ばれることである。
彼がバプテスマを受けて、水から上がった時、天がたちまちそのために開け、神の霊が鳩のように降ってイエスの上に止まったのも、当然である。
私達はここで、バプテスマが何であるかを深く究める必要はない。それが悔改めの必要条件でなくて、単にその表号(シンボル)に止まることは、言うまでもない。昔は、モーセがその民を清めるのに、その衣服を洗わせた(出エジプト記19章14節)。
今またここに天国の創立を宣言するに当たって、その市民となることを欲する者を、水流の清い川に浸して洗浄の式を行う。これを佳礼と称さなくて良かろうか。
しかし、要は心の洗濯であって、肉体の清浄ではない。即ち聖霊と火とをもってするイエスのバプテスマこそバプテスマであって、水をもってするヨハネのバプテスマは、真のバプテスマではない。後者は、これを廃してもよい。前者は、永久にこれを捨ててはならない。
私達は実を貴び、名を軽んじる。そして私達は確実に知っている。これがまたバプテスマのヨハネの精神であったことを。
イエスが水から上がって来ると、天は彼のために開けて、聖霊は鳩のように彼の上に止まり、また天上から声があって、これは私の心に適う私の愛する子、私が喜ぶ者であると言った。そこから、バプテスマの聖式は、イエスが天に嘉納される大きな機会であったことを知る。
彼は後日、ユダヤの荒野で悪魔の誘惑をことごとく退けられた時に、これに類する父の嘉納があって、「天使が来て、彼に仕えた」と言う。大きな謙遜は大きな称賛を神から呼び寄せるものである。私達が一段低く降る時は、私達が一段高く上げられる時である。
罪人と共に水中に下って、イエスは聖霊のいっそうの恩賜に与った。彼がこの世における彼の使命を全うして、世の罪を負って、罪人として墓に下られると、神は甚だしく彼を崇めて、諸々の名に優る名を彼にお与えになった。
バプテスマは、イエスにとっては謙遜の行為であった。ゆえに神の称賛がこれに伴った。私達この聖式によって神に嘉納されたいと思う者に、またこの心がなければならない。
聖霊に形は無い。しかしそれが私達の心に臨む様は、鳩がその巣に帰るときの様である。雷火が岩を打つようにではなくて、春雨が乾土を潤すようにである。私達を喜ばせ、また私達を安らかにする。これに思う以上の平安がある(ピリピ書4章7節)。
鳩のようにであるのは、鳩のように柔和だからである。私達は、時に雷光が人を撃つような聖霊の降臨を耳にすることがあるが、しかしそれは、ベタニヤの地においてイエスの上に下った霊ではないことを知る。
「天からの声」、私達はまた、それが何であるかを知っている。「私の心に適う私の愛する子、私が喜ぶ者」、ああ、私も時には微かに天からのこの声を聞くことができた。私が、私の利欲の念に勝って、私の有する些少のものを、いと小さな者に与えた時に、私は天からのこの声を聞いた。
私は恐怖の思いを脱し、私に不利であることを顧みず、大胆に立って人の前に私の主を表白した時に、私は、私の心の奥底において、天からのこの声を聞いた。私は一つも疑うことなく、神が約束したありのままを信じ、直ちに彼の足下に走って、罪の赦しを乞うた時に、私はまた天からのこの声が、身体全体に響き渡るのを聞いた。
もちろんイエスの場合においては、この声に特別の意味があったことは、言うまでもない。イエスは、神がお生みになった独子であって、私達はイエスによって神の子となることを許された者である。しかし神が、その子と語られるに当たって、彼が使用される言語に異なるところがあってはならない。
これが、霊の言語である。良心の応答である。私達はそのような言語を聖書に読んで、その意義を解するのは難しくない。
イエスはヨハネに行って、彼の自覚に証明を得た。彼はこれを彼の家人に求めたが、得ることはできなかった。彼の父も彼の母も、彼の兄弟も彼の妹達も、彼が人類の罪を担う、神の子羊であることを認めることができなかった。
これを始めて証明した者は、世界中でザカリヤの子ヨハネ一人だけであった。しかし、どのような一人であったか。一人のヨハネは、万人の普通のユダヤ人よりも重い。神の使命を証明するに当たって、ローマの皇帝、ユダヤの牧伯は共に何の価値もない。
霊を知る者は霊である。肉は霊のことを知ることができない。骨肉は、どれほど親近であっても、私達の霊のことを知ることができない。私達と信仰を共にする者だけが、私達の霊を知るのである。
ヨハネ一人の賛同承認は、イエスにとっては全世界の賛同に勝って力があった。他ならないヨハネが、彼は神の子羊であると言ったのでる。彼は今や何を疑う必要があろうか。死んだ預言者であるミカ、イザヤ等の言葉は、今は活きている預言者ヨハネによって証明されたのである。よし、今から人類救済の道に上ろう。
しかし、確信はさらに確かめられなければならない。私は私に関する神の御旨について、さらに一層の明瞭を要する。私はどのような意味において人類の救い主であるか。私は屠られることなしに世を救うことはできないか。
十字架上の恥辱の死は、救い主である私にとって、また救われるべき人類にとって、実に私が受けるべきものであるのか。私は、私の心に存する最後の疑問を解くために、独りでユダヤの野に行こうと。
かくしてイエスは、聖霊に導かれ、悪魔に試みられるために野に行った(マタイ伝4章1節)。
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ナザレのイエスよ、私は知っています。私はあなたと全く素性を異にする者であることを。あなたは神の栄の光輝(ひかり)、その質の真像(かた)(ヘブル書1章3節)ですが、私は罪によって孕まれ、罪の中に育った者です。
ゆえに私は、私の救い主として、あなたを仰ぎ見るのであり、私の模範としてあなたを学びません。しかし、主よ、あなたは私に近づくために、弱い肉体を取り、
私に類した者として、世に降られました。
私はあなたにおいて、罪の清めを得るだけでなく、また人生の常態を探ることができることを感謝します。あなた自身、友を必要とされました。まして私はなおさら友を必要とします。自覚するのが甚だ鈍い私は、友のどれほど大きな援助を必要としているでしょうか。そして私はあなたに感謝します。あなたは私にもまた、私の要する友人をお与え下さったことを。
私は、私の心の信念に応じて、私をあなたに導いた二三の友人について、ことさらにあなたに感謝します。彼等がいなければ、私の生涯は、どうなって行ったでしょうか。彼等がもし私に適当な援助を与えなかったなら、私は今なお人生の路頭に迷っているでしょう。
私は、あなたが私に下さった多くの恩恵の中でも、ことさらに私の心霊的友人について、感謝せざるを得ません。
そして主よ、私の友人が私に対して忠実であったように、私を彼等に対して誠実にしてください。私もまた彼等が従事する全ての正しい業に向けて、私の満腔(まんこう)の同情を表し、あなたがあなた自身の権威を去って、ヨハネの悔改めのバプテスマをお受けになったように、私もまた友人の義を立てるためには、世の侮辱冷笑を顧みることがありませんように。
また私が身を投じる社会を選ぶについても、パリサイの義人、サドカイの知者と、列を共にすることを望むことなく、進んで罪人の群に入って、その救済のために、あなたに使役されますことを。
イエスよ、私は今に至って、少しバプテスマの真意を悟り得たことを感謝します。私はバプテスマを、これによって私の身を清め、自ら義人と称することができ、世の罪人と交際を絶つ式だと思っていました。
これが罪人の群に自己を投じる式であろうとは、思いもしませんでした。主よ、私があなたの霊火に接して、ここに新たに罪人救助のバプテスマを受けることができるようにして下さい。アーメン。
(以上明治35年3月20日)
(以下次回に続く)