「神の発見法三則」他2編
1.神の発見法三則
明治38年6月10日
◎ 私達は、神を上天の至高所(いとたかきところ)に探って、そこに彼を求めることが出来ずに悲しむ。しかし、神を求めるために天の高みに昇る必要はない。彼は、地上にも居られる。彼は、私の庭にも居られる。私の近隣の森にも居られる。私が逍遥する野にも居られる。私の膝にまとわりつく小児にも居られる。
そうです。彼は私の心の内にも居られる。私達は、神を遠くに求めずに、これを近くに探って、容易に彼に接することが出来る。
◎ 私達は、神は偉人であると思って、彼から遠ざかる。そうです。神は偉人である。偉人であるからこそ彼は、「
嬰児の我に来ることを禁ずる勿れ」と言われたのである。
若し神は小人であるならば、私達は彼の倨傲(きょごう)猛威を懼れて、彼から遠ざかるべきです。しかし彼は偉人であるので、私達はその「
恩恵(めぐみ)を受けんために憚らずして恩寵(めぐみ)の座に来るべきである」(ヘブル書4章末節)。
◎ 神は思想であると解して、私達は神の解釈を哲学者に譲る。実に神は思想である。しかし思想であるよりは、むしろ実行である。実行であって愛である。
ゆえに聖書は「
愛なき者は神を識(し)らず」(ヨハネ第一書4章8節)と言い、また、「
世の人は己の智慧を恃(たの)みて神を識(し)らず」(コリント前書1章21節)と教えている。
神は、哲学者が識認すべき者ではない。善人が発見すべき者である。私達は神を知りたいと思うなら、哲学書を渉猟せずに、小さな隠れた善を為すべきである。
2.正当な祈願
明治38年6月10日
オー神よ、奇跡の神よ、天然力以上のことを私に為される神よ、願わくは、私の内に存していない能力(ちから)を私に与えて下さい。私が学んだことのない知識を、私に与えて下さい。私に原因以上の結果を現して下さい。私に、数理的計算に束縛されることなく、数理以外の大きな事を、あなたから求めさせて下さい。
天然的な私は、この無辺の宇宙に在って、塵埃(じんあい)よりも小さな者です。しかし信仰的な私は、天地をも動かすことが出来るほどの能力(ちから)を付与される資格を有する者です。
オー奇跡の神よ、私に天然を超越させて下さい。私の内に無い知恵と力とをあなたから呼び求めさせて下さい。私は罪人ですが、私を美徳の人にして下さい。私は暗愚ですが、聡明にして下さい。私は微弱ですが、天使の力を揮わせて下さい。
そして全知全能のあなたは、この奇跡を私の上に施すことが出来るのです。万物の造主であるあなたに取っては、天然の法則はありません。世の帝王に国法がないように、帝王の帝王であるあなたには、何らの法則もありません。
私達人類は、あなたから離れて天然の子供となって、その法則に縛られました。ゆえに私は今、あなたに帰り、再び神の子の自由に入ることを願います。
オー父よ、私もあなたのようになって、天然の法則以外に立って、これを支配する者にして下さい。アーメン。
3.銭魔(ぜんま)を退ける言葉
明治38年6月10日
銭魔よ、銭魔よ、あなたには金銀があり、土地があり、家屋があり、銀行があり、政党があり、教会があり、宣教師があり、伝道会社があり、そしてまた幸福な家庭も、子女の教育もあなたの手にあると称する。
あなたはこの世において、多くの臣下を有している。政治家はみなあなたに仕え、宗教家の多くもまた、あなたによって頤使(いし)されている。そして文士も学者も博士も、今やあなたに膝を屈しない者は、甚だ稀であると言う。
そしてこの世における存在上、多少の金銭は必要なことから、あなたはしばしば私にも迫って来て、私に利害を説き、子女の将来を説き、私をもあなたに仕えさせようと計る。
あなたは、あなたの父であるサタンの言葉を借りて、私に言う。「
爾若し俯伏(ひれふ)して我を拝せば、此等を悉く爾に与ふべし」(マタイ伝4章9節)と。
あなたは商人の口によって、官吏の口によって、時にあるいは宗教家の口によって、私を脅かして言う。あなたがもし私に仕えなければ、あなたの妻子は餓死するでしょう。あなたの信仰さえも危殆(きたい)に陥ることがあるでしょうと。
私は時にはあなたの声を聞いて戦慄し、時には一歩だけでもあなたに譲ろうとすることがある。
しかし銭魔よ、あなたは確かに悪魔の同族である。時には慈善の名を借りて、天使の形を装うが、しかしあなたは、あなたの真性において、純然とした地獄の子である。
あなたは何故に私に偽るのか。あなたは何故に正義と宗教と道徳の名を借りて、私をたぶらかそうとするのか。
私は、あなたが誰であるかを知っている。即ち「
底なき坑(あな)の使者なるアポリオン」(黙示録9章11節)、「
サタンと呼ばるゝ者、全世界を惑わす老蛇」(同12章9節)である。
あなたによって地獄に落ちた政治家は、数え上げられないほどいるではないか。あなたに誘われて天才を消尽し、廃人となって終わった文士は、数多いではないか。
そしてあなたは神の教会をも侵し、その宣教師を毒し、その監督、牧師、役僧を損ない、神の都城(しろ)である新エルサレムを、幾度かソドムとゴモラにしたではないか。
ゆえに聖なる使徒パウロは、その弟子のテモテを戒めて言った。「
銭を愛するは、諸(すべて)の悪事の根なり。或人之を慕ひて迷ひて信仰の道を離れ、多くの苦痛を以て自から己を刺せり」(テモテ前書6章10節)。
これは真に神の言葉である。これによってあなたを退けるに足りる。あなたを愛し、あなたを慕って恥辱の淵に沈み、身と霊の両方を失った者は、数え上げられないほどである。
アゝ銭魔よ、私はあなたを恐れ、あなたを憎む。私はあなたに近づかないであろう。私はあなたが、誰の口を借りて私に近づこうとしても、あなたを退けるであろう。
もしあなたの使者が商人であれば、私はその商人と絶交するであろう。もし大臣または富者であれば、私はその大臣、富者と絶交するであろう。もし宣教師その他の人々であれば、私は彼等の顔の前に、我が家の門戸を閉じるであろう。
私はあなたと、あなたの使者とが、私の門内に入るのを許さないであろう。私は、我が主の言葉を以て、あなたを退けるであろう。「
サタンよ、我が後に退け」と。
願わくは、我が主イエスよ、あなたの能(ちから)によって、私がこの「二十世紀の悪魔」に勝てるようにして下さい。
願わくは、たとえ私が、私の愛する家族と共に餓死せざるを得なくなることがあっても、あなたが許さない金は、一分一厘でもこれを受けることがなく、終生あなたの忠実な僕でいることが出来、憎むべきこの銭魔の奴隷とならないようにして下さい。アーメン。
完