イエスの矛盾
明治39年8月10日
ある月曜日の午後、友人であるドイツ人某と目白付近の田圃の間を
散歩した。話は、日本人の風俗問題から、キリスト信者の信仰問題
に移り、終にここに掲げる題目について語り合うこととなった。
彼が問を起こし、私がこれに応え、落合の里に、雑司ヶ谷の森に、
夏の日が暮れるのに気付かなかった。
イエスは理想の人です。彼は、私達キリスト信者が仰いで、完全無欠の人と見なす人です。ところが、この人に矛盾があったと言うのです。それはあまりにも奇妙な言葉のように聞こえます。
しかしながら、事実は予想と全く違います。イエスの行為には、多くの矛盾がありました。それは、福音書が明白に示していることです。
イエスは、自分は柔和な者であると言われました。「
我は柔和にして謙遜者(へりくだるもの)なれば、我が軛(くびき)を負ひて我に学べ」(マタイ伝11章29節)と言われました。
ところがこう言われた彼は、時には縄で鞭を作り、神殿で売買する者を叱咤し、「
我が父の室(いえ)を貿易(あきない)の家とする勿れ」と罵られて、彼等を神殿から追い出されました(ヨハネ伝2章12節以下)。これは、イエスの矛盾の第一ではありませんか。
イエスはまた、自らを「
税吏(みつぎとり)並びに罪ある人の友」として任ぜられ、パリサイの人で彼を招いて食を共にしようとする者がいれば、喜んでその招きに応じて、その客になられたにもかかわらず(ルカ伝7章36節以下)、常にパリサイ人を罵って止まれず、
「
噫(ああ)、汝等禍ひなるかな偽善なる学者とパリサイの人よ」と、繰り返し繰り返して、彼等パリサイの人を呪われました。
喜んでパリサイ人の客となられたかと思えば、同じパリサイ人を言葉を極めて罵られました。これは、イエスの矛盾の第二ではありませんか。
イエスはまた、その弟子に命じて「
異邦の途に往く勿れ。又サマリヤ人の邑(むら)にも入る勿れ。惟イスラエルの家の迷へる羊に往け」と言われて、当時の伝道をイスラエル人の中に限られ(マタイ伝10章5節以下)ました。
自分もまた、カナンの婦人に告げて、「
イスラエルの家の迷へる羊の外に我は遣(つか)はされず……児女(こども)のパンを取て犬に投与(なげあた)ふるは宜しからず」と言って、救済を求める彼女の請いを退けようとされたにもかかわらず(マタイ伝15章21節以下)、
ヤコブの井戸の辺(ほとり)において、サマリヤ人の婦人に遭われると、この人に彼がなされた説教の中で、最も深いものを聞かせられ、また犬とまで呼ばれたカナンの婦人の請いを受け入れて、直ちにその娘を癒されました。
自分は特にイスラエルの家の救主であると言われながら、イスラエルの家の者よりも、異邦人の民を愛されました。これは、イエスの矛盾の第三ではありませんか。
その他数え挙げれば、イエスの矛盾はこれに止まりません。その母に向って、「
我時未だ至らず」と言われて、その要求を拒まれたかと思えば、直ちにその願いどおりに、水をブドウ酒に変えて彼女を喜ばせられました(ヨハネ伝2章)。
また彼の隣人や兄弟が、彼にエルサレムに上ることを勧めた時には、彼等に答えて、「
我時未だ至らず、汝等の時は恒(つね)に備はれり」と言われて、曖昧の中に彼等の勧告を葬られながら、彼等が上京した後に、彼もまた続いて上られました(ヨハネ伝7章2節以下)。
これらは、悪く解すれば虚言のようにも聞こえて、イエスの言葉としては、受け取り難いようにも見えます。
そして、イエスだけではありません。イエスの精神を最も良く解した使徒パウロの行為においても、多くの矛盾を発見することが出来ます。
パウロは、ユダヤ人を懐柔する方便として、その弟子テモテには割礼を行いながら(使徒行伝16章3節)、同じ弟子のテトスに割礼を強いようとする者があった時には、怒ってこれを拒みました(ガラテヤ書2章)。
また、自分はヘブライ人中のヘブライ人であると言って誇りながら、時には彼が有(も)っていたローマの市民権を振り回して、自分の生命の保安を計りました(使徒行伝22章25節)。
これらもまた、矛盾と言えば確かに矛盾です。弟子はその師に似て、時には政略を弄したと、キリスト教の敵は言うでしょう。
これはそもそもどういうわけでしょうか。聖人や義人に矛盾があっても良いものでしょうか。彼等は、主義一徹の人でなくてはならないのではありませんか。したがって、言行一致、終始一貫は、彼等の特性であるべきではありませんか。
実にイエスの敵が彼を誤解した理由のその一つは、彼等が、イエスの矛盾だと称したものであったことは、明らかです。
彼等は、イエスを了解するのに非常に苦しみました。善人のようにも見え、悪人のようにも見え、聖人のようにも見え、偽善者のようにも見え、誠実の人のようにも見え、策略の人のようにも見え、柔和な人のようにも見え、残酷な人のようにも見えました。
彼等は、困惑の果て、ある時は彼に問うて言いました。
我等を幾時(いつ)まで疑はするや。汝、若しキリストならば、明かに我等
に告げよ。 (ヨハネ伝10章24節)
と。
彼等は、イエスのような人物を解することが出来ませんでした。彼等はいわゆる主義の人を解し得ました。また、そのような人を非常に尊敬しました。
その主義が何であるかは、彼等が深く問うところではありません。帝国主義でも、世界主義でも、平民主義でも、社会主義でも、何でも良いのです。彼等はただ、複雑に堪えないのです。彼等はただ、彼等の理想の人から、単純を要求するのです。
水晶のような透明な人生観、これを一丸にして呑み込むことの出来るような教義、一言で充分だと言い得るような倫理系、これが、彼等が要求するところです。ところが、イエスはそのような主義一点張りの人ではありませんでした。
イエスには、何故に矛盾があったのでしょうか。彼は、学者ではないからです。彼の人生観なるものは……もし彼にもそのようなものがあったとするなら……これは、彼が沈思黙考し、練磨研究した結果として得たものではありません。
彼は、いわゆる篤学の士ではありませんでした。温厚な君子ではありませんでした。彼は、心を練り、思いを凝(こ)らした結果、救主として世に出た者ではありません。
その点において、彼は確かにソクラテスや孔子や釈迦と違います。イエスは、「哲人」ではありません。いわゆる蛍雪の功を積んだ者ではありません。
イエスを世の先生と見たのが、彼の同時代の人が彼を全く誤解した主な理由です。また今の人が、殊に今の東洋人が、彼を解し得ない主な理由です。
イエスは神の子です。ゆえに最も純正な意味で、人の子です。彼は、人の手で磨き上げた宝石のような者ではありません。「
人手によらずして山より鑿(き)り出されたる石」(ダニエル書2章45節)のような者です。彼は、シャロンのバラの花です。
造花は、解剖するのが至って容易です。しかし天然の花は、その一弁(ひとひら)でも、これを知り尽くすことは出来ません。イエスは神の子ですから、また天然の子です。彼を解することは、天然を解するのが困難なように困難です。
天然に矛盾がないと、誰か言うでしょうか。天然は、実に矛盾
だらけであると言っても良いでしょう。天然ほどうるわしいものはありません。しかしまた、天然ほど恐ろしいものはありません。
岩間に咲く石竹(
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E7%AB%B9 )と、その傍に轟く瀑布と、何と矛盾しているではありませんか。しかし、同じ天然です。濃い紫に山の端を彩る夕陽と、炎天に人畜をとろかす夏の真昼の太陽と、何と矛盾しているではありませんか。しかし、同じ天然です。
一滴の水の中にも、数万の動植物が生き生きとして動いているかと思えば、蒼穹は星の埃を揚げて、永久に回転しているではありませんか。しかし同じ天然です。そよ吹く風もあります。また大船を覆す暴風もあります。しかし同じ天然です。
天然とは、学者の脳裏にたやすく収まるような、微小なものではありません。これは、学者を呑み込むべきものであって、学者に呑み込まれるべきものではありません。そうです。天然には数限りない矛盾があります。しかし、私達は天然を讃美して止みません。
曙(あけぼの)の星である私達の主イエス・キリストは、神の懐を出て、直ちにこの世に臨まれた者ですから、彼にもまた私達狭い人間の目から見る時には、多くの矛盾があります。
彼は、世の罪を負う神の子羊です。それと同時にまた、「
ユダの支派(わかれ)より出たる獅子」(黙示録5章5節)です。彼はシャロンのバラです。それと同時にまた、「
エッサイの根芽ざし、異邦人を治めんとする」(ロマ書15章12節)救いの大樹です。
イエスは小であり、また大です。彼に小児の心があります。また父なる神の能力(ちから)があります。彼に婦人の愛と涙とがあります。また国民を打ち砕く憤怒があります。
彼の細い小さな声に接するのは、夏の涼風(すずかぜ)に接するようなものです。しかしながら、彼に叱咤されると、暴風もその声を収めます。イエスは宥(なだ)められました。また怒られました。泣かれました。また罵られました。小児を愛されました。祭司、長老、牧伯(つかさ)を呪われました。
イエスには、一定の主義なるものはありませんでした。即ち「必ず泣くまい」とか、「必ず怒るまい」とかいうような規則はありませんでした。彼は、非常に小児を愛されましたが、同時に御自身が大きな小児でした。小児に主義や方針や規則がないように、イエスにもそんな規則はありませんでした。
イエスは、泣く時には泣き、怒る時には怒り、愛する時には愛し、憎む時には憎まれました。イエスには、世の外見を憚る遠慮などはありませんでした。彼は、父の懐から出て、小児の自由を保って、その一生を終られました。
それではイエスは、無主義、無節操、気まま勝手の人であったかというと、もちろんそうではありません。彼は神の子、謙遜犠牲の模範です。彼の矛盾なるものは、二心(ふたごころ)から出た矛盾ではありません。彼の矛盾に大きな調和があることは、少し深く彼の生涯について究めた者が等しく認めるところです。
彼を外から見ずに、内から見て御覧なさい。彼ほど一貫性のある(コンスタント)人はいません。彼の中心に自分を置いて彼の生涯を見て御覧なさい。これは整然とした道徳的大宇宙です。
イエスを解そうと思うなら、イエスの自覚に達しなければなりません。自分に神の生命を受けて、神の子の一人になって、「長子イエス・キリスト」を見て御覧なさい。彼の姿は、富士山のそれよりも良く調和がとれていることが分かります。
イエスの矛盾なるものは、世の俗人から見た矛盾です。天使の眼に映じるイエスの生涯には、矛盾は一つもないと思います。
ある人が、かつて米国の大詩人ホイットマン(
http://en.wikipedia.org/wiki/Walter_Whitman )を、彼の言行が矛盾しているとして責めました。その時彼は答えて、
我に矛盾あり、然り、確かにあり、
そは我は大なればなり
と言いました。彼の思いは、たぶん小君子には矛盾がないであろうが、しかし宇宙大を求める詩人には、矛盾がなからざるを得ないということであったのでしょう。人は大きければ大きいほど、矛盾を免れません。
もちろん、罪に生れた人間の矛盾ですから、これは悉くイエスの矛盾と較べるべきものではないことは明らかです。しかしながら、いわゆる偉人の矛盾なるものは、その全てが矛盾でないこと、その事も明らかです。
ルターは矛盾の人でした。しかしながら、世の人が思うほどの、また思うような矛盾の人ではありません。クロムウェルもそうです。モハメットもそうです。我が日蓮とか太閤のような人もそうです。
円満の人と称えられるワシントンでさえ、怒った時には宥めようのない人であったということです。主義の人の模範として仰がれたグラッドストーンも、何回か、言う事が矛盾しているとして、彼の政友政敵のどちらからも責められました。
小人は、英雄の心を知りません。そして自分が分からないことは、悉くこれを矛盾と称します。同じように、罪の人には聖(きよ)い神の子は分かりません。
私達は、イエスに矛盾を認めて、彼を退けてはなりません。自分にイエスの心を神から与えられて、イエスの矛盾に神の大きな調和を認めるように、常に祈るべきです。
完