(「預言者エリヤ」No.5)
VII. テキストその3 (列王記略上第19章)
1. エリヤの逃走 (1〜8節)
アハブ、イエゼベルにエリヤの為したる渾(すべて)の事及び其如何に渾の預言者等を刀剣(かたな)にて殺したる乎(か)を渾て語りしかば、イエゼベル使者をエリヤに遣して言ひけるは、「神等(かみたち)斯くなし重ねて復(ま)た斯く為し給ふべし。我必ず明日(あくるひ)今頃、汝の生命をかの人々の一人の生命の如くせん」と。
彼れ此事を観しかば、起て彼の生命のために往きてユダに属するベエルシバ( http://en.wikipedia.org/wiki/Beersheba )に至り、彼処に彼の従者を遺(のこ)し、自身は一日路(いちにちじ)ほど進みて荒野に入り、来りて一本の金雀花(エニシダ)( http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%8B%E3%82%B7%E3%83%80%E5%B1%9E )の下に坐したり。
彼れ其身の死なんことを求めて言ひけるは、「足れり、エホバよ、今我が生命を取り給へ。そは我は我が父祖等に勝(ま)さらざればなり」。
斯くて彼れ金雀花の下に伏して眠れり。時に人あり。彼に触りて言ひけるは、「起きて食へ」と。彼れ見しに、視よ、頭の側に炭にて焼きたるパンと一瓶の水ありき。彼れ乃(すなわ)ち飲みて復た臥(ふ)したり。
エホバの使者二次(ふたたび)来りて彼に触りて言ひけるは、「起きて食へ。そは、途(みち)尚ほ遠ければなり」と。彼れ起き、飲み且つ食ひ、其食の力に依りて四十日四十夜往きて神の山ホレブに至れり。
2. 山上の示顕 (9〜18節)
斯くて彼れ彼処の洞穴に至り、其処に宿れり。時にエホバの言(ことば)彼に臨みて言ひけるは、「エリヤよ、汝、此処(ここ)に何を為すや」と。彼れ言ひけるは、
「我は万軍の神エホバのために甚だ熱心なりき。そは、イスラエルの子孫汝の契約を棄て、汝の祭壇を毀(こぼ)ち、刀剣(かたな)を以て汝の預言者等を殺したればなり。而して我れ、我れ一人のみ存(のこ)る。而して彼等我生命を求め、之を奪はんとす」と。
エホバ言ひ給ひけるは、「出てエホバの前に山の上に立つべし。視よ、エホバは通過(すぎゆ)き給ふべし」と。
時に大なる強風起り、山を裂き岩を砕きたり。然れどもエホバは、風の中に在(いま)さざりき。風の後に地震ありたり。然れどもエホバは、地震の中に在さざりき。地震の後に火ありたり。然れどもエホバは火の中に在さざりき。
而して火の後に静かなる微細(ほそ)き声ありき。エリヤ之を聞き、面(かお)を外套(まんと)に蒙(つつ)み、出て洞穴の入口に立てり。声あり。彼に臨みて言く、「エリヤよ、汝此処に何を為すや」と。
彼言ひけるは、「我は万軍の神エホバのために甚だ熱心なりき。そは、イスラエルの子孫汝の契約を棄て、汝の祭壇を毀ち、刀剣を以て汝の預言者等を殺したればなり。而して我れ、我れ一人のみ存る。而して彼等我が生命を求め、之を奪はんとす」と。
エホバ彼に言ひ給ひけるは、「往け。荒野を経てダマスコに還るべし。往きてハザエルに膏(あぶら)を沃(そそ)ぎてスリヤの王となすべし。
又ニムシの子エヒウに膏を沃ぎてイスラエルの王となすべし。又アベルメホラのシャパテの子エリシヤに膏を沃ぎて汝に代りて預言者たらしむべし。
斯くてハザエルの権を遁るゝ者はエヒウ之を殺すべし。エヒウの剣を遁るゝ者はエリシヤ之を殺すべし。我れ猶(な)ほ七千人をイスラエルの中に遺さん。彼等は皆な其膝をバアルに跼(かが)めず、其口を之に接(う)けざる者なり」。
3. エリシヤの聖召 (19〜21節)
エリヤ彼処を去り、シャパテの子エリシヤに遭う。彼は十二軛(くびき)の牛を其前に歩ましめ、己は其十二の牛と偕(とも)にありて、耕し居たり。エリヤ彼の所に渉りゆきて外套(マント)を其上に投懸けたり。
彼れ牛を棄て、エリヤの後に趨(はし)り行きて言ひけるは、「請ふ、我れをして我が父と母とに接吻せしめよ。然る後、我れ汝に従はん」と。エリヤ彼に言ひけるは、「往け、還れ。我れ汝に何を為したりしや」と。
彼れ彼を離れて家に還り、一軛の牛を取りて之を殺し、牛の器具を焚(た)きて其肉を煮(に)、之を民に与へて食はしめ、而して起て、エリヤに従ひ之に事へたり。
IIX. 字 解
1節 「渾(すべて)の事及び其如何に渾の預言者等を刀剣(かたな)にて殺したる乎(か)を渾て語りしかば」 一部始終を語ると。
2節 「神等斯く為し云々」 手真似で行った誓の言葉である。
3節 「彼れ此事を観しかば」 この事に感づいたので。エリヤはイエゼベルの使者が着く前に、危険が彼の身に迫ったことを悟ったようである。
◎「ユダに属するベエルシバ」 ユダ王国に属するシメオンの地に在るベエルシバ、ユダヤ国が南に尽きて、バランの砂漠に連なる辺りにある。
◎「従者」 言い伝えによれば、ザレパテにいた寡婦の一子で、エリヤが死から救った者であると。
4節 「金雀花」
れだま樹(
http://www.weblio.jp/content/%E3%82%8C%E3%81%A0%E3%81%BE )、本誌
(「聖書之研究」)第23号を見よ。茫漠(ぼうばく)とした砂原の中に立っている一本の
れだま樹の下に座したという。
◎「父祖等に勝さらず」 父祖等と何も異なる所はない。即ち私は、父祖等と運命を共にする。善によって悪に勝つことは出来ないという意味である。
5節 「人あり、彼に触りて云々」 「愛吟」中『エンデイミオン』の一編を参照せよ。「知らぬ情(なさけ)の人ありて、此身の憂きに応ふらん」とは、そのような人である。エリヤは後にその人が天使であったことを発見したと言う。しかし、全て援(たす)ける人は、天使ではないだろうか。
7節 「途尚ほ遠ければ也」 ベエルシバからホレブまで、直径60マイル、旅程はなお未だ遠い。エリヤは未だ死んではならない。彼にはなお為すべき事業が残っている。前途は未だ遼遠である。
8節 「四十日四十夜」 ある長時日を経て。 必ずしも四十昼夜という意味ではない。
◎「神の山ホレブ」 モーセが神から十戒を授けられた山。それでこの名前が付けられている。事は出エジプト記第19章に詳らかである。
9節 「彼処の洞穴」 ホレブの洞穴として有名であったもの。かつてモーセが神の示顕に接した所。出エジプト記33章21、22節を見よ。
◎「宿れり」 一夜を過ごした。
◎「汝何を為す乎」 英語の How do you do ? と言うのと同じ。「何を為す乎」は「如何に為すや」、即ち「如何にあるか」、または単に「如何に」と言うのと同じ。
11節 「エホバは通過(すぎゆ)き給ふべし」 エホバの栄光は君の前を過ぎて行くであろう。君はモーセのようにその示顕に与るであろう。
12節 「静かなる微細(ほそ)き声ありき」
静粛の中に細い声があったとも訳すことが出来るであろう。後者がおそらく正訳であろう。
13節 「外套(マント)」 いわゆる「預言者の外套」である。一種の制服だったのであろう。第19節を見よ。
15節 「膏を沃ぐ」 単に任命という意味である。三人が受膏(じゅこう)したという記事は、聖書に見当たらない。 マタイ伝末章19節「万国の民にバプテスマを施し」という言葉も、そのように解すべきものであろう。即ち、単に「弟子と為すべし」という意味であって、必ずしも水の洗礼を施しなさいという意味ではないであろう。
17節 「エリシヤ殺すべし」 剣によってではない。エホバの言葉によって殺すであろう。
18節 「七千人」 私が選んだ者を多数残すという意味である。数字をそのままに解してはならない。
◎「其口を之に接(う)けざる者」 バアルの像に接吻しない者。 接吻は従属の表彰である。
19節 「エリヤ彼処を去り」 ホレブを去り、荒野を経て、再び故国に帰り、ヨルダン河(
http://www.bible-history.com/geography/ancient-israel/israel-old-testament.html )の東、スコテ
(Sucooth:ヨルダン河の支流ヤボク川を東へ遡っていくと見つかる)からあまり遠くないアベメホラの地に行って。
◎「十二軛の牛」 二十四頭の牛を使って、耕運に従事したと言う。それによって、エリシヤの家が豪農であったことが分かる。
◎「外套を其上に投懸く」 預言職授任の式であろう。しかし、その式場は教会堂ではなくて、田野であった。授ける者は野人、受ける者は農夫であった。最も厳粛な儀式は、そのような場合において行われる。
20節 「我父と母とを接吻せしめよ」 私の父母に別れを告げさせて下さい。
◎「行け、還れ」 行きなさい。しかし直ちに私の許に帰って来なさい。
◎「我れ汝に何を為したりし乎」 私は君にエホバの名に由って、預言の職を授けたではないか。君は今や家を顧みるべきではない。神のため、国のために君の公職に就くべきではないか云々。エリヤのこの言葉には、確かに不満の響きがある。
21節 「エリヤに従ひ之に事へたり」 エリヤの弟子となり、これに師事した。後に「エリヤの手に水を注ぎたるシヤパテの子エリシヤ」と言われた(列王記略下3章11節)。
IX. 意 解
1〜8節
◎ イエゼベルは神の預言者を屠った。エリヤはバアルの預言者を屠った。暴行に対して暴行で報いた。これは常人にあっては許すべきだとしても、しかし、神の人にあっては、許すべきではない。
暴行に対しては刑罰がなければならない。そして神の人にあっては、暴行の刑罰は聖霊の剥奪である。たとえエリヤであっても、この刑罰から免れることは出来なかった。
◎ 妖婦に威嚇されて、エリヤは耐えることが出来なかった。死を恐れて、遁走した。全国民の反抗に会っても鉄壁のようであったエリヤも、神の聖霊を奪われて、そのように弱くなった。
「
悪者は逐(お)ふ者なけれども逃ぐ」(箴言28章1節)と言う。神の人エリヤも、殺人の罪を犯して、この憐れむべき状態に陥った。
◎ イスラエルを去ってユダに走り、ユダに留まることが出来ずにシナイに走る。バアルの預言者四百五十人と相対した時には、獅子のように勇猛であったエリヤは、今や己の影に追われて、彷徨四十日、身をホレブの洞穴に隠して、始めて平安を得た。
思い見る、
れだま樹の下、偉漢長旅に疲れて眠る様を。彼は今や孤独である。人を離れ、神を離れ、宇宙の孤客となって、独り荒野に彷徨う。
◎ 彼は今やヨブのように、生を願わずに死を求めた。そして言った。「もう充分だ。私は苦痛を舐め尽した。私の事業は、すべて失敗だった。私の誠実は、人に認められなかった。神もまた私を去られる。私は私の父祖等と何も異ならない。私より前にいたすべての預言者のように、私の生涯もまた失敗の生涯であった」と。
◎ しかし、失望がその極に達して、希望の曙光が現れる。エリヤは新たに神意を悟らざるを得ない。
彼にはなお、為すべき事業がある。彼はホレブに行って、神の教訓に与らざるを得ない。再び故国に帰って、正義公道を唱えなければならない。彼は熱心に駆られて犯した罪のために、砂漠の露として消えてはならないのである。
◎ そこに至って、天使は彼に来て、彼を慰めた。そして言った。「エリヤよ、起きて飲みかつ食え。君の前途はなお遼遠である」と。
神は、その子の弱さを知っておられる。彼は、その失策ゆえに、彼を追求されない。その弱さを自認するに至ると、天使を送ってこれを慰めて下さる。
9〜18節
◎ 天使の慰藉に力を得て、数日歩いてシナイ半島のホレブ山に至る。ここにかつて神の人モーセが籠ったと伝えられる洞穴がある。エリヤはそれに宿り、過去を追想し、モーセの神の示顕を待った。
声があって、彼に問う。彼は思ったまま答えた。彼はなお自分の潔白を弁じて止まなかった。彼は言う。「私は熱誠を込めて民の罪悪を責めた。ところが民は私を殺そうとする」と。
彼は未だ自分の罪に気付かない。彼は死を恐れてここに逃げてきた理由を理解していない。ゆえにエホバは、今ここに彼を教えようとされる。
◎ 声があって、言う。「洞穴の入口に立ちなさい。君はモーセの例にならって、神の示顕に接するであろう」と。時に大風が山を裂き、岩を砕いた。しかしエホバの影を見ることは出来なかった。
風が止んで後に地が震った。しかしエホバの声を聞くことは出来なかった。地震が止んで後に噴火があった。しかしエホバの跡を認めることは出来なかった。
噴火が止んで後に、物音がすべて止んで静かになった。そして視よ、細い声があった。エリヤの心にささやいて言う。「エリヤよ、如何に」と。しかしエリヤは、この時は未だ、この現象を通した大教訓を悟ることが出来なかったようである。
ゆえに彼の答は、前と異ならない。彼はヨブのように、依然として彼の潔白を維持した。彼が終にこれを悟ったのかどうか、私達は知らない。ただ、それが誠に神の大いなる示顕であったことを知るだけである。
◎ 即ち知る。神は大風を使われるが、大風のような者ではないことを。裂いて砕くのは、彼の喜ばれることではない。彼はまた地震のような者ではない。震って恐れさせるのは、彼が好まれることではない。
エホバはまた、火のような者ではない。焼き尽くすのは、彼が求められることではない。彼は静粛を愛される。彼の宝座は、万有の静けさの中にある。
彼の声は、怒涛のようではない。小川の流れる音のようである。彼は咆哮(ほうこう)されない。ささやかれる。静粛の中に細い声を聞いて、私達はそれが真に神の声であることを知るのである。
◎ しかしエリヤはこの示顕に接してその深い意味を悟ることが出来なかったようである。彼は義罰の神として以外にエホバの神を知ることが出来なかったようである。
ゆえに彼の再度の自弁に接して、神は彼を責めることなく、彼の解し得る範囲において彼を慰め、彼を故国に帰された。エホバは彼に次のように言われたようである。
我れ汝に教ゆるも汝は暁(さと)らず。尚ほ我より悪人の責罰を望んで止ま
ず。然らば我れ暫らく汝の意に任せん。往て我名に由りてスリヤの王と
してハザエルを定むべし。イスラエルの王としてエヒウを定むべし。
而して汝の後継者としてエリシヤを定むべし。彼等三人相援けて、アハ
ブと其家を罰すべし。
憐むべし。汝は未だ愛の勢力を暁る能はず。唯義罰の悪人の上に加はら
んことを求む。
我れ今深く汝を責めず。責むるも詮なければなり。ホレブに於ける自顕
の意味は、後世之を暁る者あるべし。汝は旧約の預言者として、汝の生
涯を終るべし。我れ後日に至り、汝に勝さる預言者を起し、静かなる微
細(ほそ)き声の福音を唱へしむべし。
◎ アハブの家は亡ぶであろう。しかし、信仰はイスラエルの中から絶えないであろう。エホバはさらに数多の義人を、彼等の中から起されるであろう。アハブに媚びてバアルに膝を屈しない者、イエゼベルに媚びて、アシラの像に接吻しない者を起されるであろう。
エリヤは単独を歎いてはならない。なぜなら彼は、神と共に在って単独でないだけでなく、神はまた彼のために多くの同志を起されるであろうから。
19〜21節
◎ ホレブにおける隠退は終った。彼はそこで神の大きな示顕に与ったが、その深い意味は悟らなかったようである。しかし、新たに大きな任命を帯びて故国に帰った。
アベルメホラでシャパテの子エリシヤに会い、これに預言の職を授けた。エリシヤは富裕な家の子弟であったが、何の躊躇もせずに、断固として起って、野人の後に従った。
彼は自分の決心を固くするために、先ず牛二頭を屠り、その耕具を焼いてその肉を煮、これを村民に施して去った。
聖職に就く者に、この決心がなければならない。河を渡って舟を焼いて去るとは、エリシヤについて言った言葉である。彼は後継者として、よくその任に耐えるであろう。
(以上、3月10日)
(以下次回に続く)