「嬰児の死」他1編
明治43年6月10日
1.嬰児の死
5月11日、生後10カ月の少女の葬儀に臨んで述べたところである。そ
の時には暴風が屋外に荒れ、内に集った者は、その両親を合せてわずか
に10人であった。
汝等慎みて是等の小さき者の一人を軽視(かろしむ)る勿れ。そは我れ汝等
に告げん。彼等の天の使者(つかい)は天に在りて、天に在(いま)す我が父
の面(かお)を常に見詰(みつ)むれば也。 マタイ伝18章10節、自訳。
イエスが小児の事に就いて言われた言葉は幾つもありますが、これはその中で最も美しい、また最も深いものであると思います。
「汝等慎みて是等の小さき者(小児)の一人を軽視(かろしむ)る勿れ」と言われ、後に「我れ汝等に告げん」と言われて、事が至って重大であることを示し、「彼等の天の使者云々」と述べられたのです。
即ちイエスの偉大と権能とによって、小児の事は重大事件であると言われたのです。
小児に天の使者が付いていて、天に在って、地上の彼等を代表して、常に在天の父様の聖面(みかお)を見つめているとは、多分この事に関するイエス在世当時のユダヤ人の考えを述べたものであって、真の事実ではなかろうと思います。
それは、人には各々、彼を守る星があって、彼の運命はその星を見れば分かると思った中世時代の思想に類したものであると思います。
イエスがここに述べられたのは、小児と天使との関係に就いてではありません。神と小児との関係に就いてです。
もし神を国王にたとえ、天国を彼の朝廷にたとえるならば、小児はその朝廷において、彼の公使をもっており、その公使は彼を代表し、彼に代わって常に国王の前に侍(はべ)り、国王と彼との間に親しい交通を計っているとのことです。
即ち神は、小児に対しても世の国王が他国の王に対するような態度に出られ、親しくこれと交わられるとのことです。この事は、実にイエスを待って始めて人類に示された事であって、実に驚くべき福音と言わざるを得ません。
神が国家を守られるとか、国王と親しまれるとか、特に偉人を顧みられるとかいうことは、信じ難いことではありませんが、しかし彼が小児を守り、これと親しみ、これに対して偉人帝王に対するのと同じインタレストを取られるとは、実に人のすべての思いを過ぎて、驚くべくまた喜ぶべきことです。
しかし、この事は真理なのです。神に取っては、人はその老若大小を問わず、すべて甚だ貴いのです。
その点においては、今や英国のウェストミンスター寺院の内に盛装されて横たわる故エドワード第七世陛下も、またここに私達の前の、この小さな柩の中に眠る、この小さな女子も、神の眼の前には、一様に貴くあるのです。
実に世人の眼から見て、一人の人の死は、何でもありません。殊に一人の少女の死とあれば、一顧の値打もないことのように思われます。ただ社会の一員が消えたのです。未だ何の事業も為さず、何の責任をも負わされない者が去ったのです。これは別に注意すべきことではありません。
しかし、イエス・キリストの御父なる神に取っては、そうではないのです。彼に取っては、これは大詩人または大政治家または大軍人が死んだのと同じ事件なのです。
五羽の雀は一銭で売られているではないか、しかし神はその一つをも忘れてはおられない、あなた達は多くの雀より優っている、とイエスは他の時に言われました。
人の死という大事件に就いては、帝王の死も少女の死と同じく、「恐怖の王」と称せられる「死」であって、それが私達に与える大教訓に至っては、少しも異なる所はありません。
人の生命はそれほど貴重なものであるので、私達は今日再び、ここに生命が貴重であることを学ばなければなりません。
今、この愛らしい少女を失った親両親の心になってごらんなさい。これは単に
損失と称すべきものではありません。もしこれが他のものであるならば、価を払って再びこれを取り換えることができます。
もし価の高い獅子が死んだのであれば、あるいはキリンが死んだのであれば、別にこれに代わるものを獲ることができます。
しかし、人は生後10カ月の少女でもそうはなりません。これは永久の損失です。この世の財貨(たから)を以てしては、とうてい計算することのできない損失です。昔ダビデ王が言った通り、「
彼れ最早我に還(かえ)らず。我れ彼に往かんのみ」です。
死の恐ろしさはここにあります。生命の貴さはこれで分かります。この大教訓を与える点においては、この少女の死は、今や一身に全世界の哀悼(あいとう)を惹きつつある英国前皇帝の死と何も異なる所はありません。
それですから私達は、今日この小さい者に教えられて、今より後いっそう生命を貴ばなければなりません。一日に何万人が餓死したと聞いて、歓喜するような無情に出てはなりません。
街頭(ちまた)に遊ぶ貧乏人の小児を見て、これを度外視してはなりません。彼等の天使もまた、天に在って天の父様の聖顔(みかお)を見つめつつあると知って、ここに大いに彼等の救済を講じなければなりません。
そしてそのように、この小さな者の死から学んで、私達は彼女の死を無益なものにしないのです。人が犬死するかどうかは、後に残った彼の骨肉友人の行為如何によって定まるのです。
彼の死によって善い教訓を得、これによって善い事をすれば、彼は誠に地下に瞑するのです。人は死んでその霊は天に往くだけではありません。彼はまた地に止まります。その骨肉友人の心に止まります。そして彼等によって地上に働きます。そしてそのようにして彼はまた地上においても永久に生きるのです。
この幼子は、生後10カ月でこの世を去りました。彼女に五十年六十年の生命を保たせたかったとは、両親の心です。しかしその事が叶わずに彼女は失せて、両親の心に無限の悲哀があります。
しかしながら今でも彼女に長い生命を保たせることができます。即ち彼女の死によって学び、彼女の名のために多くの善いことをして、彼女の父と母とは彼女を永久に地上に存(なが)らえらせることができます。
どうぞこの愛(いと)しい、つぼみのような幼子が永久に私達の中に在って働くように努めて下さい。
2.貪婪(どんらん)の弁明
最も無慈悲な人は、私が多くの財産を作って、安楽に暮しつつあると言って、その事を世に言いふらす人である。私はもちろん、ことさらに私の貧を世に訴えて、その同情を求めようとはしない。
しかし、私が財産を作ったと称して、貪婪の罪を私に負わせようとする者は、私の事業をその根底において毀そうとする者であって、そのような者は私を害するよりもむしろ私が益そうとする人々を害する者である。これが、私がここに、私の志望に背いて弁明の労を取るゆえんである。
私がキリストを世に紹介しながら、多くの財産を作ったと言う、これより大きな背理はない。そのような背理を唱える人は、未だキリストがどのような人であるのか、その福音が何であるかを深く究めたことのない人であるに相違ない。
キリストは、単に聖書を読んで知ることができる人物ではない。彼に親しもうと思うなら、多少彼の生涯に類した生涯を送らなければならない。貧の苦痛を知らない者は、キリストの心を知ることはできない。
彼がかつて教えたように、人は二人の主に仕えることはできない。彼は同時に神と財とに仕えることはできないのである。
伝道と蓄財とは、正反対の事業である。その一つにおいて成功するなら、他において失敗することは必然である。そして私は、多少伝道において成功したと思う(神の恩恵によって)。
そしてその事それ自身が、私が蓄財において失敗した何よりも良い証拠である。もし私の誹謗者が、私のように十年一日のように本誌のような雑誌の編集発行に従事したなら、彼等の言うことが、如何に背理的であるかを悟るであろう。
たとえ万一、蓄財は伝道に伴って不可能事でないと仮定して、私が前者において成功したというその噂が、事実無根であることは、私の事業の経歴に照らして見て明らかである。
「聖書之研究」の毎号の発行部数は、平均二千を超えず(もしこれを疑うなら秀英舎に聞け)、そしてその収入は、富を私に持ち来たらすには足りないことは、私がここに弁明するまでもない。
また私に二十余種の著述があるといっても、その内の版を重ねることが最も多いものでも、発行部数が7千部以上に達したものはない。そして私の著述全部の定価を合計しても金5円を越えないのを見れば、私の著述が私に高利を供するものではないことは、誰が見ても明らかである。
欧米諸国における私の著書の配布が甚だ広いことを唱えて、私の収入を羨む人がいると聞いたが、これまた無用の心配であると言わざるを得ない。
米国においては、「余は如何にして基督信徒となりし乎」は、わずかに5百部を売ったに止まり、私の手許に達した印税はわずかに30円余りに過ぎない。
ドイツにおいてはやや成功し、数千部を売り尽くすことができ、その発行者から三回に分けて私の許に4百円あまりを送って来たことは事実である。
そしてこれは著作業の報酬として私が受けた最大額であって、私を感謝せずにおられなくさせたものは、実にこの思いがけない天からのマナであった。
他にデンマークは、私の英文二著のデンマーク訳に対し、二回の寄贈を行った(およそ金百円)。その他フィンランドとスウェーデンとオランダとは、一銭一厘をも送って来なかった。オランダ訳などは、私はそれが完了したことを聞きはしたが、未だかつてこれを手にしたことはないほどである。
そのような次第であるから、私が私の雑誌ならびに著述から多くの財産を作ったとの流言が、全く根拠のないものであることが分かる。私は著述家として世間的に成功した者ではない。
それでは富裕な友人が、豊かに私に貢(みつ)いだかと言えば、これまた決して事実ではない。私に富裕な友人がいないではない。そして彼等が時にこの世の物で私の欠乏を補った事は事実である(今諸氏の姓名は憚ってここに載せない)。
彼等は私に住む家を有てるようにし、集る場所を有てるようにした。そうではあるが、諸氏が有り余るほど多くの物を私に送ったのではないことは、諸氏が証明する通りである。
私が諸氏に要求するものは、友情であって、金銭ではない。もし諸氏が私に金銭を与えようとするならば、私はこれを諸氏の手に残して、私は自ら富貴を感じるのである。
もし私には富んだ友人がいるので私は富むと言うならば、その事は事実である。しかし私が友人の富を私の手に受取って、それによって私自身が富んだ者となったと言うならば、そのことは虚偽である。
しかし、論より証拠である。私の富貴を想像する者は、直接私に就いて事実を調査すべきである。私が有する土地はあるか。私が有する証券はあるか。私が有する家屋はどうか。私の銀行通帳はどうか。
これは誰でも知ろうと思えば、容易に知ることができることである。私は責任ある人が私に就いてこれを調べたいと思うならば、喜んでその求めに応じたいと思う。
憐れむべきこの世の人は、財を蓄える以外に人生の目的があることを知らない。ゆえに彼等は人が少しでも事業に成功するのを見れば、その事業が何であるかに関わらず、必ず蓄財に成功したと思惟する。そのように思惟して、彼等はもちろん自分の理想を表白するのである。
彼等は先ず第一に、何よりも財を欲するので、他人もまた同一の欲望に励まされて事を為すのだと思惟する。私は彼等が他人を推し量るその心によって、やや彼等自身を推し量ることができる。
蓄財の事は、私達真理の伝播と実現とに従事している者にとっては、「
之を言ふだにも愧(は)づべき事」(エペソ書5章12節)である。自己にこの事がない人は、他人に就いてもこの事を語らないはずである。
貪婪は、淫猥と同じだけ恥ずべきことである。これを事々しく語る者は、クリスチャンでないだけでなく、ジェントルマンでもない。私はこの事に関し、私の批評家が少し自己を慎むことを望む。
しかし、彼等がもし私に就いて確かにこの罪があると認めるということであれば、私は彼等が公然と彼等の姓名を名乗り、責任を負って私を責められることを望む。そうすれば私は弁じるべきは弁じ、伏すべきは伏すであろう。あるいは要求すべきは要求するであろう。
ところがこれを為さずに、名を隠して責任を避けて誹謗讒言を事とするような事は、私はこれを日本男子の行為として認めることができないのである。
昔、使徒パウロは同じ誹謗を蒙り、これに対して言った。
人、宜しく我等をキリストの役者(つかえびと)の如く、神の奥義を司(つ
かさど)る家宰(いえつかさ)の如く意(おも)ふべし。此世に在りても人の
家宰に求むる所は、其忠信ならんこと也。
我れ汝等に審判(さばか)れ、或ひは人に審判かるゝことを最も小さき事
となす。我も亦(また)自己を審判かず。我れ自ら省るに(此事に関し我は)
過(あやまち)あるを覚えず。
然れども之に由りて我は義とせられず。我を審判く者は主なり。然れば
主の来らん時まで、時未だ至らざる間は、審判(さばき)する勿れ。主は
幽暗(くらき)にある隠れたる情(こと)を照らし、心の謀計(はかりごと)を
顕はさん。其時各自神より誉を得べし。
(コリント前書4章1〜5節)
と。私を裁くのは、この世の批評家よりもさらにさらに恐るべき者である。彼等は私を彼に任せておけば良いのである。私にもし罰すべき貪婪があるならば、彼はかの恐るべき日に、消えることのない火の中に投げ入れて、永く私を苦しめられるであろう。
付 言
貪婪がもし私の特性であるならば、私はかつてこれを現すのに良い機会を与えられた。私が米国在留中、私は幾回か安楽な生涯を送り得る便宜を供せられた。しかし私は、私の責任が在る所を思って、神の恩恵によってこれを退けた。
殊に私が帰国途上にあった時、蓄財の最も善い機会が私に供された。私がある日カリフォルニア大学で、ジョルダン博士の採集に成る魚類標本を参観して宿に帰ると、一人の英国紳士が名刺を通して、私に面会を求めてきた。
私が出て彼に会うと、彼は言った。
私は今日、君が大学に魚類標本を参観されたことを、その管理者から聞
き、君が日本国に在って、水産事業に関係されているのを知った。それ
で私が今ここに、君に提供したい一事業がある。
それは他でもない。クリーブランド氏が大統領に選ばれて、民主党が勢
力を得てから、魚油輸入税規則の改正があって、ここに一新事業が当米
国において成立し得るに至った。
君は私達と協同し、日本国に在って私達を代表し、今や廃棄物と同然の
状態に在る多額の魚油を買い占め、これを私達米国にいる者に送っては
いかがだろうか。
そうすれば私達は、私達が特許所有している新製造法によって、これを
精製し、販売して相互に大いに益するところがあるであろう。君は一銭
も投資する必要はない。君はただ日本にいて私達の代理人であれば良い。
と。私は一目してその紳士が誠実な人であることを知った。私はまた米国在留中、東方グロースター市において、魚油製造法を目撃し、それが確かに有利な事業であることを知った。もし蓄財が私の終生の目的であったなら、ここにこの目的を達するために千載一遇の機会が、私に供されたのである。
しかし、私は断然これを退けた。私は他の事業が、私に天から託されたことを、その時既に知っていたからである。それで慇懃(いんぎん)に私の辞意をかの紳士に伝えると、彼は甚だ失望した様子を見せ、倉皇(そうこう)として帰って行った。
後に聞いたところでは、同一の事業は日本においてもまた米国においても盛んに起り、これに従事した者は少なからざる利益を収めたということである。
ああ運命よ、私は何故に彼の提案を受け入れなかったのか。これは確かに罪悪ではなかった。これを受け入れ、これに従事し、国産を興し、自己を富ませ、それから後に福音の宣伝に従事しても敢えて遅くはなかったのである。
それだけではなく、これによって多くの無益な労苦と配慮とを省くことができて、私の事業は如何に敏速に運ばれたことであろうか。
幸運を貪婪と解したのは、私の大きな誤謬であった。しかし、機会は去ってまた帰らない。そして二十二年後の今日、私は依然としてもとの私である。
皆な人を渡しはてんとせしほどに
我身は旧(もと)の間々(まま)のつぎ橋
完