全集第21巻P77〜
(「ヨハネ伝は何を教えるか」No.3)
(「3.ヨハネ伝の教訓」No.2)
イエスは自己を世に顕(あらわ)される前に、先ずその愛と恩恵(めぐみ)と権能(ちから)とを、彼の母と彼に従った少数の弟子とに顕(あらわ)された。
彼はガリラヤのカナにおける婚筵(こんえん)の席において、水を化してブドウ酒にして、彼が何であるかと、彼の事業が何であるかとを、彼の近親の者に示された。
彼は歓喜の主である。彼が建設しようとする神の国は、王の饗宴(ふるまい)であるとは、この奇跡が示すところである(2章1節以下)。これは、彼がなされた休徴(しるし)の始めであって、「
彼れ其栄(さかえ)を顕(あら)はせり」とある。
これは神の子の自顕の序幕とも称すべきものである。もちろんこの自顕に対して、別に反対は起こらなかった。それは、イエスの母と弟子とを除いて、他にここに大きな奇跡が行われたことを知らなかったからである。
筵(ふるまい)を司る者を始めとして、来客一同、ただブドウ酒がうまいことを味わっただけに止まり、それがどのようにして成ったのか、どのような意味がその中に籠っているかに、少しも気が付かなかったからである。
説教と訓戒の伴わない奇跡に対して、この世の人々は、何等の反対をも試みない。イエスがもしこれ以上に自己を顕されなかったならば、彼は社会の寵児として存し、十字架の苦杯を味わうことなしに、彼の一生を送られたであろう。
イエスは第一にエルサレムの聖都(みやこ)において、神の聖殿を清められて、公然と神の子の権能(ちから)を顕された(2章13節以下)。そして彼のこの傍若無人(ぼうじゃくぶじん)の行為に対し、驚愕と不平の声は揚がらざるを得なかった。
「
汝、此等の事を為すからには、我等に何の休徴(しるし)を示すや」(2章18節)とユダヤ人はイエスに対して言った。即ち、「
汝、何の権威を以て此事を為すや」(マタイ伝21章23節)とのことであった。ここにイエスとユダヤ人との間に、最初の衝突があったのである。
衝突は呟(つぶや)きの声に過ぎなかった。しかし、遠雷が轟(とどろ)いて、暴雨の襲来を告げるように、ここに始めてイエスに対して揚がった呟きの声は、やがて反対の霹靂(へきれき)となって、彼の頭上に臨むであろう。
イエスは縄で鞭を作り、神の聖殿から売僧(まいす)偽預言者の類を追い払われたので、それによってここに始めて隠密の敵を作られた。ユダヤ教会の教職連は、それ以後猜疑(さいぎ)の眼で、彼を見るようになった。
イエスは、政略としては、この事を為すべきでなかった。しかし、神の子としては、この事を為さざるを得なかった。彼は、敵を作らざるを得なかった。ゆえに教職の不興を冒(おか)して大胆にこの事を為された。
ここにイエスに対して不平の声が揚がった。彼に対する不信の兆しが現れた。しかし、不信と同時に信仰が現れた。
ユダヤ人の宰(つかさ)で、パリサイ派の教師であるニコデモと言う者が、密かにイエスの許を訪れて、彼に対する深い尊敬の意を表した。ニコデモに起った信仰は、決して完全なものではなかった。
彼は終りまで、イエスを彼の救主として公然と仰ぎ得なかった(19章39節)。しかし、弱いながらも信仰は信仰であった。彼の同僚が悉くイエスを排斥した時に、彼は独り立って、彼のために弁護した。
宮清めの勇行によって、イエスは少なくとも一人の信者を作られた。ユダヤ教全体の怨みを買うと同時に、一人の密かに彼を慕う者を得られた。
友を得ることは、実に難しい。百人千人の敵を作るのでなければ、一人の友を得ることは出来ない。エルサレムの聖都で神の宮を清められたことによって、イエスはユダヤ教会の不興に触れて、同時にまた一人の敬慕者を得られたのである。
こうして神の子の権能の自顕は、不信の発端となったと同時に、また信仰の萌芽を促した。ヨハネ伝3章のニコデモ物語は、世のイエスに対するこの関係において解すべきである。
イエスはエルサレムに上り、聖殿を清め、その腐敗を除いて、心密かにユダヤ教会全体の歓迎を予期された。しかし、事実は全く彼の予想に反した。国民信仰の府である教会は、彼に対して隠れたしかも深い反対を表した。
そして聖都の市民は、彼に対して反対を表しなくても、全く冷淡であった。「
彼れ己(おのれ)の国に来りしに、其民之を接(う)けざりき」(1章11節)であった。
彼は失望された。真の信仰は、神の選民の間に見出されなかった。唯一人のニコデモを除いては、エルサレム全部は、神の子イエスに対して、反対でなければ冷淡であった。
この状態を御覧になった彼は、「
子を信ずる者は窮(かぎり)なき生命(いのち)を得、子に従はざる者は生命を見ることを得ず、神の怒その上に留まらん」(3章36節)という一言を残して、一たびエルサレムを去られた。
そして去って北方ガリラヤに行こうとされたが、伝道の失望と旅行(たび)の疲労(つかれ)とにより、途中ヤコブの井戸の傍らに座っておられた時に、ここに計らずも、思わぬ所に、思わぬ人の間に、真の信仰の表現を目撃されて、非常に喜び、かつ自らを慰められたのである。
彼が出会った者は、ユダヤ人が常に賎(いや)しんで止まない、サマリヤ人であった。しかもその婦人であった。婦人も婦人、五人の夫を持ったと言う淫婦であった。その行為(おこない)は嫌うべく、その罪は指摘すべく、かつ詰責すべくあった。
しかしながら、彼女の霊魂には、貴ぶべき信仰の胚種(たね)があった。彼女はユダヤ教会の教職等と異なり、救われるべき霊性を備えていた。
ゆえにイエスは、ここに御自身の疲労と飢渇とを忘れて、この一婦人、しかも異邦サマリヤの婦人、しかも姦淫の婦(おんな)に向って、彼がかつて為された最も高遠な説教を為されたのである。
場所はサマリヤのスカルの邑(むら)、ヤコブの井戸の傍ら、教師は神の子、聴衆は一人、異邦の婦人、しかも淫婦、題は神と彼に近づく途(みち)、「
夫(そ)れ神は霊なれば、拝する者も亦(また)霊と真実(まこと)をもて之を拝すべき也」(4章24節)と。
ここにイエス御自身によって、異邦伝道の初幕(しょまく)が演じられたのである。そしてその初穂(はつほ)は婦人、しかも堕落婦人であったのである。
神の選民に失望されたイエスは、ここにこの罪ある婦人の中に、神の子となる権能(ちから)を賦与するに足りる信仰を見出されたのである。これを見て喜びに耐えず、彼は身の飢渇を忘れて、彼の弟子たちに言われた。
我に汝等の知らざる食物あり、……我を遣はしゝ者の聖旨(みこころ)に随
(したが)ひ、其業を成就(なしとぐ)ること、是れ我が食物なり (32、34節)
と。彼の満足を想像するべきである。
ここにイスラエルの師であったニコデモに優る信仰があった。彼は、アリマタヤのヨセフと同じく、ユダヤ人を恐れて、密かにイエスを信じただけであるが、彼女は明白に彼を信じ、彼女の邑(むら)に行き、村民を招いて彼の許に連れて来て、彼の訓諭(さとし)に与らせた。
「
彼女の証(あかし)せし言(ことば)に因りて其邑のサマリヤ人多くイエスを信ぜり」(39節)とある。ここにユダヤ人とサマリヤ人、選民と異邦人、義人と罪人との善い対照がある。
イエスの宮清めに遭って、唯一人のニコデモを除く他は、選民の中に彼を彼として迎える者はなかったのに対し、異邦のサマリヤは喜んで彼を迎え、彼に聴き、彼の救済(すくい)に与ろうとした。
イエスはアブラハムの子孫だと自ら任じたユダヤ人に迎えられずに、異邦のサマリヤ人に迎えられた。彼はエルサレムに留まることは出来なかったが、スカルの民の乞いに応じて、二日の間、彼等の間に滞在された。
イエスの自顕の結果は、そのようにして現れた。選民の冷遇、異邦人の歓迎、教師の半信、罪人の篤信。
「
彼れ己の国に来りしに其民之を接(う)けざりき。然れども彼を接け、その名を信ぜし者には、権能(ちから)を賜ひて之を神の子と為せり」。
サマリヤ人の無学も、婦人(おんな)の過去の汚穢(けがれ)も、彼等が神の子となる権能(ちから)を与えられるための障害とならなかった。彼等は信仰の故に、選民が与かり得ない権能を賦与された。
こうして神の子の自顕に遭って、世は真に裁かれた。選民は反って棄てられ、異邦の人は反って選ばれた。
ここにおいて、「
我れ憐まざりし者を憐み、我民ならざりし者に対(むか)ひて『汝は我民なり』と言はん。彼等は我にむかひて『汝は我神なり』と言はん」(ホセア書2章23節)との預言者の言葉が、事実となって現れたのである。
実に神の自顕は、世の裁判である。神が自己を顕される時に、信者は反って不信者としてあらわれ、不信者は反って信者としてあらわれるのである。
二千年前のユダとサマリヤとにおいてそうであった。今日の英国と米国と日本と、その他のすべてのいわゆるキリスト教国または君子国においてそうである。ハレルヤ、アーメン、主よ臨(きた)り給えである。
自顕第一回は、そのようにして終った。イエスはさらに進んで、自己を世に顕(あらわ)された。
彼はユダヤ人のある節筵(いわい)の時に(多分プリムの節筵であったろう)、再びエルサレムに上られた。そしてその羊門の傍にあるベテスダの池において、38年間病んでいた者を癒された(第5章)。
これは前回に優る彼の栄の表顕であった。鞭で聖殿を清められたのではない。恩恵(めぐみ)を以て、癒し難い患者を癒されたのである。彼は今や、権威を以て選民に臨まれなかった。恩恵を以て臨まれた。
彼は心の中に、密かに想われたのであろう。今こそは、我が国民は私の使命を解し、私を信じ、私を受けるであろうと。
しかしながら、事実はまた彼の予想に反した。常に猜疑(うたがい)の眼で彼を監視したユダヤ人達は、彼が施された恩恵をほめずに、彼が安息日に治癒(いやし)を施したという理由で、律法違反の罪によって彼を責めた。
「
茲(ここ)に於てユダヤ人イエスを責めて彼を殺さんと謀(はか)る。そは彼が此事を行(な)せしは安息日なりければ也」(16節)とある。治癒の仁恵には目を注がずに、教則違反の罪に彼を問うた。
彼等の不明は、実に驚くばかりである。しかも彼等自身は、教職に在って、民の指導者だと自任する僧侶階級が、神の人に対して執る常套手段である。
人の救済(すくい)は、彼等の敢えて問うところではない。教則の厳守、教権の維持、彼等の宗教なるものは、主としてここに在るのである。
ゆえにパリサイ派の教師たちは、イエスが病者を癒されたのを見て、病者の苦痛が除かれたのを喜ばずに、彼等が設けた教則が破られたのを怒ったのである。実は、世に教職者ほど無慈悲な者はいないのである。
人は彼等の目的ではない。彼等の目的は寺院であり、教会である。彼等にとっては、人は教会維持、教勢拡張の機械であるに過ぎない。
ゆえに、人を救っても彼等の称賛を得ることは出来ない。いや、教会本位の彼等にとっては、教会を離れて直ちに人を救うことは、大きな悪事である。彼等はそのような行為に対して、否認の声を上げざるを得ない。
そして今や彼等の目前において、彼等の免許を得ることなくして、恩恵(めぐみ)の業が行われたのである。愛の発意から出たイエスのこの奇跡は、教職の立場を毀(こわ)そうとする大きな打撃のように感じられたのである。
パリサイ派の教師達がイエスを殺そうと思うまでに怒った理由は、彼のこの行為を教権侵害と認めたからである。
そして、彼等は彼等の感覚において、誤らなかったのである。ここに彼等の前に大きな裁判人が立ったのである。彼の行為そのものが、明らかに彼等を裁いたのである。
イエスはその栄えを顕されて、彼を信じた病人は癒され、彼を信じなかったユダヤ人は裁かれたのである。イエス御自身は人を裁かれない。彼が語られた言葉と、彼が為された業とが、人を裁いて誤らないのである。
こうして自顕第二もまた、裁きで終った。信仰は義とされ、不信は裁かれた。しかも自顕の進歩に伴い、世のこれに対する態度にも発展があった。隠れた不平はおおやけな反対となって現れた。
イエスを殺そうとする心は、この時既に彼の教敵の中に起った。神の子は、自己を顕されるに当って、人を救いつつあると同時に、また敵を作りつつあったのである。
(以下次回に続く)