全集第23巻P24〜
時の休徴(しるし)
マタイ伝16章3節
大正5年(1916年)11月10日
「聖書之研究」196号
◎ 英国知名の説教師某は、今回の欧州大戦争に際会し、自己の主張がことごとく破壊されたのを見て、呆然として何をすべきか分からず、嘆声を発して言ったとのことである。いわく、「私は今や説教すべき何物をも有していない」と(I haven’t anything to preach now)。
そしてこの嘆声を発した者は、彼一人に止まらずに、英国において、米国において、また欧州大陸において、同一の失望に陥った思想家、宗教家は多数いるとのことである。
現に宗教哲学の権威として世界に名高い英国の「ヒッパート雑誌」などは、戦争開始と同時に原稿の寄送が一時に途絶し、世界の思想家が期せずして言いたいと思うことを失った観があったと言う。実に不思議な現象である。
◎ その理由は何か。何故に世界の思想家がこの時一斉に茫然自失させられたのであるか。それは言うまでもない。彼等が文明とキリスト教とを誤解していたからである。
彼等は、キリスト教とは即ち文明であると思っていた。西洋文明はキリスト教が結実したもの、ゆえに前者によって後者は証明され、後者を進めることによって前者は完成されるものであると思っていた。
ところが何と言うことか。彼等のこの思想は、小児が積木で築き上げた城のように、瞬間にして崩れてしまった。
「ヒッパート雑誌」記者は、彼等思想家を代表して言った、「千九百年間のキリスト教的文明の恩沢を蒙ったこの地は、今なお地獄である。人類は今なお悪魔である」と。実に憐れむべき状態である。しかし事実は覆いようがない。
◎ いや、キリスト教は文明ではない。文明は人が自分のために作り上げたものであって、その大部分は明白にキリスト教の敵である。見よ、キリスト教なしに、日本国において過去五十年間に文明が著しく進んだことを。
英国において、ドイツにおいて、米国において、最近五十年間に文明は確かにキリスト教に
逆行して進んだ。
ショウペンハウエルの哲学、ニイチェの哲学、弩級(どきゅう)戦闘艦、ツェッペリン航空船、十四インチ砲、米国人を狂わせつつある自動車、大海軍、大陸軍、これを操る行政機関等、これ等は皆、近世文明の重要物として目せられているが、キリスト教の敵でなければ、これと何等の関係もないものである。
実に、文明はキリスト教なしに起るものである。人間が快楽と虚栄と平安とを追求する所に、文明は起るのである。ところが、神の道であるキリスト教を、人の道である文明と同一視したので、思想界は目下の驚愕を来したのである。
◎ ああ米国! キリスト教文明最美の産であると目せられた米国! 人類最後の希望を担(にな)う国として属望(しょくぼう)された米国! 曙(あけぼの)の子明星よ、あなたはどうして天から墜ちたのか(イザヤ書14章)。
人類の希望をつないだ米国は、今や大堕落国である。米国ほど殺人犯が多い国は無い。ロンドンは人口7百万を有して、一年間に100人の殺人があるのに対して、ニューヨークは人口4百万で200人の殺人がある。
米国全土の一年間の殺人は1,600人の多数に達すると言う。こうして米国人は、今やその兄弟を殺したカインの子孫となりつつある。
米国人は、その大慈善を誇る。彼等は言う、「今や米国は、ベルギー国を養いつつある」と。実に米国人は、この戦乱において、1千万ドルをベルギーに施した。その事は、みごとである。
しかしながら、彼等は今日までにおよそ9億ドルの軍需品を交戦国に売った。そしてまた、この戦争を利用して、何十百億という富を作った。
そのようにして彼等は、欧州において一人の孤児を養いつつある間に、数十人の孤児を作りつつあるのである。実に立派なキリスト教国である。米国はこの大戦争に関して、科(とが)のない国として、審判(さばき)の日に、キリストの台前に立つことは出来ない。
そして私が聞くところでは、軍需品製造に従事しつつある大会社の株主の多数は、キリスト教会に教藉を有する立派なキリスト信者であると言う。
そして誰か知っているであろうか、
日本国教化のために米国キリスト教会が使用する、その伝道金なるもののある部分は、そのような信者の寄付によるものであって、欧州において多くの孤児と寡婦とを作りつつある間に、彼等が儲(もう)けた金であることを。
欧州人の血の代価を使って日本国に伝道すると聞いて、私達は戦慄せざるを得ないのである。しかしこれは空想ではない。立証し得る事実である。
◎ それでは私達は失望すべきか。そうではない。人類の希望は、文明においては無い。いわゆるキリスト教国においては無い。
神御自身において在る。天地は失せても、変ることのない彼の善い聖旨(みこころ)において在る。
神はその手で造られた者を軽んじられない。この地と人とは、彼が造られた者である。地と人との希望は、この一事に存するのである。
世界の平和は、一富豪(
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%8D%E3%82%AE%E3%83%BC )の寄付によって成った「平和宮(
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%92%8C%E5%AE%AE )」の建設や彼が定めた国際的教授交換制度と称するような、小児の遊戯に等しいものによっては来らない。
「
夫(そ)れ主号令と天使の長(おさ)の声と神のラッパを以て自から天より降らん」とある。その時死者は甦り、天国は建設され、真の平和は全地に臨み、弓は折られ、戎車(いくさぐるま)は焚(や)かれ、槍(やり)は打ちかえられて鋤(すき)となり、戦争とその風声(うわさ)とは止むのである。
人類がその文明によって為すことの出来ない事を、神はその言辞(みことば)によって為される。
今や人と国とに希望は絶えて、神を待望むべき時が来た。人の窮境が神の機会である。天国は既に近づいたとは、今の事である。人の子の徴(しるし)が天に現れた。欧州の戦乱、米国の堕落、これ等は曙(あけぼの)の前の暗黒である。主イエスよ来り給え。
完