全集第23巻P72〜
ルカ伝講義
大正6年(1917年)1月10日〜8月10日
「聖書之研究」198〜205号
[第一回] 医家の証明
去年12月17日生誕節準備講演として述べた事
◎ キリストの奇跡的出生というような事は、今や一笑に付せられるのが普通である。不信者に限らない。信者までが今や真面目にこの問題を取り扱わないのである。
使徒信教に「主は聖霊によりて胎(やど)り、処女(おとめ)マリアより生れ」とあって、教会は日曜日ごとにこれを唱えるが、今や平信徒を始めとして、牧師神学者に至るまで、真面目にこれを信じる者は、雨夜の星の如くに稀(まれ)である。
彼等は言うのである、「今や科学の進歩により、そのような事は全く信じられなくなった。そして、たとえこの信条が取り除かれても、キリスト教はその価値を失わない。キリストの教訓、その人格が残る間は、彼の出生の方法等は、問う必要のない問題である。
キリストの奇跡的出生は、多くの聖人の出生談と等しく、後世の信者が祖師を篤く思う結果自ずと湧きだした神話と見て、敢えて差し支えないのである」と。
◎ しかしながら、問題はそのようにして容易に解き去ることは出来ないのである。実に棄てるのは容易であるが、得るのは難しい。疑うのは容易であるが、信じるのは難しい。
これを一笑に付して顧みないのは、誰にでも為し得ることである。しかし、千九百年もの長い間、固く信者の間に信じられたこの事は、深い研究なしに容易に放棄されるべきものではない。世の識者の中には、今なおこの信仰を固く取って動かない者がいることは、大いに注意すべき事である。
◎ 第一に注意すべき事は、キリストの奇跡的出生を伝えたルカ伝の著者ルカの人物である。彼はギリシャ人であって、医者であった(コロサイ書4章14節)。そしてギリシャの当時の医師は、今日私達が思うような無知無学の者ではなかった。
すべての学問がギリシャ人によって始まったように、医学もまた、彼等によって始まったのである。そして哲学思想が隆盛を極めた当時の医学は、迷信を事実として認めるようなものではなかった。
ルカは、高等教育を受けたギリシャ人であった。彼はヒポクラテスの流れを汲(く)んで医学者であったと同時に、またヘロドトスの跡に従った歴史家であった。
彼の著作であるとして伝えられるルカ伝と使徒行伝とは、どの方面から見ても、立派な歴史である。そしてこの歴史家が、彼の著作の劈頭(へきとう)の序文において、次のように述べているのである。
我等の中に篤く信ぜられたる事を始(はじめ)より親しく見て道に役(つか)
へたる者の我等に伝へし如く記載(かきつら)ねんと、多くの人々之を手に
執れり。
故に貴きテヨピロよ、我も亦原(はじめ)より諸(すべて)の事を詳細(つまび
らか)に考究(おしたず)ねたれば、次第をなして汝に書き贈り、汝が教へ
られし所の確実(まこと)なることを暁(さと)らせんと欲(おも)へり。
と。これがルカ伝が著された目的である。これは記事の出所にさかのぼり、深い研究を経て後に成った著述である。「原(はじめ)より諸(すべて)の事を詳細(つまびらか)に考究(おしたず)ねたれば」とあるのはこの事である。
ルカはここに小説を作ろうとしたのではない。真面目な歴史を書こうとしたのである。故に研究の労を惜しまず、研鑚(けんさん)考証の結果に成ったものが、ルカ伝である。
科学的教育を受け、史学的観察力に富んだこの人によって成ったこの歴史は、彼がこれを世に与えようと思ったその精神によって受取られるべきものであって、実に古代歴史中最も信頼に値すべきものである。
◎ ところが
この歴史的著作は、直ちにキリストの出生に関する記事を以て始まっているのである。「
ユダヤの王ヘロデの時にアビアの班(くみ)なる祭司ザカリヤと云へる者あり」と言って、時代を語り人物を語って、純粋な歴史を語りつつあるのである。
その序文の明言によって、考究を経て成った歴史であることを証し、そして記事そのものによって、彼の助言が決して空言でないことを証しつつあるのである。
この事に注意せずに1章26節以下の処女マリアの懐胎に関する記事を、信者の迷信を基に成った神話と見做すなら、著者の序文は立ちどころに打ち消されるのであって、序文は反って著者の不誠実を証しするものとなるのである。
著述に従事する者は、誰でも知っている。
著書において最も貴い部分は、その第一章である。著者の精神、その目的、文体意匠、すべてが第一章に籠(こも)るのである。そして文字の事に堪能(たんのう)であったルカが、この事を知らなかった訳はない。
彼は「原(はじめ)より諸(すべて)の事を詳細(つまびらか)に考究(おしたず)ね」て書き記したと言っておきながら、彼の著書第一章において、しかも序文に続いて、神話または小説を書き記したのなら、彼は全く彼の著作を破壊し去ったのである。そしてルカがそのような非常識な人でなかったことは、誰もが認める事である。
このような訳で、キリスト出生に関する記事を事実と見做さないことは、ルカならびにルカ伝の信用に関する大問題である。ルカの言葉を重んじ、ルカ伝全体の歴史的価値を認める者は、止むを得ず第一章の記事を事実として認めざるを得ないのである。
◎ ルカが歴史眼を備えた人であったことは、冷静な歴史家であるイギリスのW.ラムセー(
http://en.wikipedia.org/wiki/William_Mitchell_Ramsay )、ドイツのハルナック(
http://en.wikipedia.org/wiki/Adolf_von_Harnack )等が等しく認めるところである。
四福音中近世史学の立場から見て、最も歴史的なのはルカ伝である。そしてこのルカ伝が、キリストの奇跡的出生の記事を以て始まっているのである。これは、史学上見逃すことの出来ない大事である。
史学の定則を知らない者は、そのような事を小事と見做すであろうが、真の史家は、自己の信仰如何によって、史学上の大事を左右しようとはしないのである。いや実に、彼はこれを左右することが出来ないのである。
ウィリアム・ラムセー氏のような史学の泰斗(たいと)が彼の専門の立場から、ルカの記事を事実として採用するに至った理由は、ここに在るのである。即ち史家が史学の原則から脱することが出来ずに、ここに至ったのである。
◎ ところが現代人は言うのである。ルカは医学者であると言っても、千九百年前の医学者である。ヒポクラテスの医学を今日の医学に比べれば、小児を大人に比べる感があるのである。ゆえにルカの証明は、今日では医学上何等の価値もないのである。
私達は、敢えてルカの誠実を疑うのではない。ただ第一世紀における医学を疑うのである。キリストの奇跡的出生など、第二十世紀の今日の医学の立場から見れば、荒唐無稽の談と言わざるを得ないと。
◎ ところがここに、近世医学の代表者として、ルカの記事に最も有力な証明者がいるのである。ドクター
ケリー(Howard A. Kelly, M.D., LLD)(
http://en.wikipedia.org/wiki/Howard_Atwood_Kelly )と言えば米国ジョンス・ホプキンス大学(
http://en.wikipedia.org/wiki/Johns_Hopkins_University )教授として世界的声名ある医学者である。彼は外科医術の世界的権威である。
ドイツの学界に在っては、米国の学者と言えば、全体に軽蔑するのが常であるが、彼ドクター・ケリーは例外である。ケリー氏の学と術とは、大西洋両岸が等しく認めるところである。外科医術の造詣の深さにおいて、この人を超える人は世界にいないのである。
そしてさらに注意すべきは、ケリー氏が殊に産科医として最上の位置を占めることである。医学者であって、しかも産科医、
この産科医学の世界的オーソリティーが、キリストの奇跡的出生を確信し、これを唱道して止まないのである。
彼は1915年10月発行の「我等の希望(アウアホープ)」という雑誌に投書して、明白にこの事に関する彼の信仰を述べているのである。
彼はもちろん、この事に関する医学上の説明はしていない。その事は不可能である。
しかしながら、医師としての彼の立場から、同業者ルカに対し、深い同情を表し、神の子イエス・キリストが人類の救主としてその聖職を果すためには、ルカが記したような方法によって生れる必要があったことを、大胆にかつ明白に述べているのである。
彼は言う、
もし私が、キリストはヨセフの子であると信ずるならば、彼は私にとっ
て主キリストではないのである。たとえ彼が世界最大の教師であるとし
ても、それだけでは私は今なお罪の中に在るのである。
罪人である私は、どのようにすれば、聖なる神の前に出て、焼き尽くさ
れずにいられるかという焦眉(しょうび)の問題に今も苦しまざるを得な
いのである。
と。ケリー氏にこの鋭敏な良心があるので、彼は彼の該博な医学を以てしても、なおキリストの奇跡的出生を信受せざるを得ないのである。
◎ 聖
ルカとドクター・
ケリー、キリストの奇跡的出生を伝えた者は医師、そして医学速進の今日、この事を唱えて躊躇しない者もまた医師である。
青年よ、小神学者よ、君達は容易に学者の批評を聞いて、君達の信仰に動揺を来すべきではない。学問の上に学問がある。そして深い学問は、常に信仰と一致する。
(以上、1月10日)
(以下次回に続く)