全集第24巻P56〜
聖書研究者の立場から見たキリストの再来
(1月6日 東京神田青年会館において)
大正7年(1918年)2月10日
「聖書之研究」211号
内村鑑三述、藤井武筆記
私がキリスト信者になってから、四十年になる。その間に私が従事した仕事は種々であったが、終始一貫して私を離れなかったものが、ただ一つある。
それは聖書の研究である。
聖書を完全に了解すること、殊に人や注解書に拠る必要なしに、聖書を手に取ってこれを完全に了解させること、これが私の強い希望(アンビション)であった。
しかしながら、宗教は元は私の副業であった。私の本業は何か。それは天然学であった。私の知識の基礎は、自然科学によって築かれたのである。ゆえに聖書以外に私が精読した書は、極めて多くあった。
中でも、有名なダーウィンの「主の起源(オリジン・オブ・スピーシス)」は、私が再読三読したものであった。万物は徐々に無限に進化するという観念は、私の脳底に深く刻み込まれた。
ダーウィンの師ライエルもまた、同じ事を教えてくれた。天地は六日の間に神の手で創造されたのではない。今日私達の周囲に起りつつあるのと同じ進化の作用が幾億万年継続して、ようやく宇宙は形成されたのであると。そのようなものが、私の天然観の根底であった。
後に米国に渡ってから、私は万国史の研究に耽った。想い起せば、1885年の秋、私は片手にギボンのローマ史五巻を持ち、着のみ着のまま、アマースト大学総長シーリー先生の許に駆け付けた。
私は幸いにも、先生の親切によって、大学の講義に列することが出来た。その第一回は、モース博士の歴史の講演であった。そして博士は言われた、「
歴史は人類進歩の記録である」と。
この言葉を聞いて、私は思った、「そうだ、人類の発達もまた、天然の発達と異ならないのだ」と。即ち、私の歴史観と天然観とが、ここに全く一致したのである。
このようにして進化論を基礎とする私の知識は、いっそう堅固なものとなった。その間にあって、私はまた一方において、熱心に聖書を研究した。
アマースト大学は、当時最も優秀な宗教学校であり、私がこれを選んだ理由もそこにあったのである。ところが学生達は信仰に熱心でなく、私にとっては何よりの糧であった毎朝の祈祷会において、彼等は奇怪にも密かに学科の予習をし、甚だしいものに至っては、金銭貸借の勘定をする者さえあった。
しかしながら、私は独り聖書の研究に没頭した。一日に二時間を聖書のために費やす私の生活は、同窓諸生には珍しいもののように見えた。そして恩師シーリー先生は、私の最良の指導者であった。
先生はある時、私に教えて言った、「
いたずらに、自己の内心だけを見ることを止めなさい。君の義は、君の中にあるのではない。十字架上のキリストに在るのである」と。
この一言は、私の信仰に大革新を起させた。そして熱烈な愛国者としてアマーストに入った私は、単純な福音的信者(エバンジェリカルクリスチャン)として、その地を出た。シーリー先生のこの一言がなかったならば、多分今日の私はなかったであろう。
それ以後私は、聖書の研究を私の天職として、帰国後今日に至るまで、私の全力を傾注してこの事に当りつつあるのである。私が最後の一円をなげうつまで廃することの出来ない最も完全な仕事は、これ以外には無いのである。
このためには、私は多くの注解書をも読んだ。私はまた、自己の天然学や歴史学の蘊蓄(うんちく)を尽して、聖書解釈のために用いた。しかしながら、この熱心な努力によっては、なお解することの出来ない何ものかが、聖書中にあることを、私は発見したのである。
多くの注解者が説明できない、また私の素養も解明できない、何ものかが聖書の中にあって、私を長年の間苦しめた。ある時は私は思った、私は終(つい)に聖書を解せずに死ぬのではなかろうかと。
さらにまた、私に迫って来た一つの大問題があった。現今の世界問題がこれである。世界の問題などは、自分が深く関する事ではないと言う者が誰かいるか。イエス・キリストを信じる者にとっては、世界の苦痛はイエスの苦痛であって、また自分の苦痛である。
幾億の同胞が戦争の渦中に苦しみつつある世界の現状は、真正のキリスト信者の心を、昼となく夜となく悩ませる大問題である。平和はどのようにして来るのであるか。
これを進化論的天然学または歴史学の立場からすれば、平和は必ず到来すべきである。人類の進歩によって、戦争は早晩絶滅すべきである。そして既にその徴候は少なくないと言われている。
かつてロシアの経済学者ブロッホ(
http://en.wikipedia.org/wiki/Jan_Gotlib_Bloch )は、世界戦争不可能論を公にして、武器または経済等の方面からこれを主張した。次いでロシア皇帝の主唱により、万国平和会議は、引き続きオランダのヘーグにおいて開かれた。
米国のカーネギー氏は率先してこの挙を援助するために三百万ドルを出資し、壮大美麗な平和宮を建設した。その各室の装飾は、各国の美術の粋を集めて施され、我が日本政府もまた、高貴な西陣織物を提供して、これに充(あ)てたのである。
かくて平和宮が将(まさ)に完成を告げようとする1914年7月31日に、突然世界未曾有の大戦争が勃発したのである。
これはそもそも何を意味するか。平和条約の締結により、多くの戦争を避けることが出来るであろうとは、平和論者の主張ではなかったか。そして既に三十有余の戦争が、この方法によって予防されたと言う。
かつてスウェーデンとノルウェーとの間に戦端が開かれそうになった時、両国の社会主義者等は挙って、戦争に加わらないと決議した。それによって皇帝オスカーは心を動かされ、終に戦いに至らなかった。そして人々はそれを祝したのである。
それでは今回の戦争は、何故同様に避けることが出来なかったのか。各国の社会主義者は、何故愛国者に変じてしまったのか。そして有史以来最も無意味で、最も悪辣(あくらつ)かつ最も悲惨な、ほとんど人類社会の根底を破壊するような、この大戦争が始まったのは何故であるか。
敢えて問う、読者諸君の心中には、このために大きな懐疑は、かつて起こらなかったか。少なくとも私には、それが起こった。1914年7月31日以後の数日間は、私の信仰に関する大きな試練の時であった。
かつてイギリスの哲学者ハーバート・スペンサーが進化論をひっさげて世に立った時、たまたま南ア戦争が起こって、英国民はみな熱狂した。彼はその状(さま)を見て嘆いて言った、「このようなものは、英国人の野蛮的退化である」と。
その通りである。そして今回の戦争にも同様の命名をしようと思うなら、野蛮的退化、邪教的退化等、幾つもの語で命名することが出来る。ただこの間に在って私が一縷(いちる)の望みをつないだのは、米国の態度であった。
ところが事実は果してどうであったか。往年の平和国は、今や平和のために努めずに、却って野蛮化の先駆けを為しつつあるのである。私は慨嘆(がいたん)の余り、私が主宰する小雑誌「聖書之研究」によって、米国に対し、私の痛惜の情を述べておいた。
ところが、在米の一友人がこれを英訳して、かの国の多くの新聞に寄稿したが、悉(ことごと)く握りつぶされて、一つも紙上に掲載されなかった。ただ「ニューヨークキリスト教ヘラルド」だけは、親切にも謝絶状に添えて、その原稿を私の許に転送して来たのである。
そして今や米国の新聞紙に平和論が掲載されないのは、実に当然である。何故なら米国は、今正に発狂状態にあるのである。
その例を一つだけ示そう。大統領ウィルソン氏は先般、全合衆国の諸教会に布令して言った、「何月何日を期して、一斉に米軍勝利のために祈祷を為すべし」と。その事がすでにキリスト信者の拝する神が何であるかを弁えない大きな誤謬である。
しかしながら、事はここに止まらなかった。その所定の当日、ある南部における人民教会(ピープルスチャーチ)の一牧師は、何故か命じられた祈祷をしなかった。
すると教会員等の憤怒はその極に達し、彼等はたちまち教壇上に飛び上がって、牧師を捕らえ、これを自動車に乗せて市外の平原の中に驀進(ばくしん)し、一つの枯木に彼の四肢を縛って、拍手喝采し、罵詈(ばり)を浴びせて立ち去ったとの事である。
ああ、これは果して、かのワシントンやリンカーンが建設した、自由の国であるか。諸君はこの事を聞いて、人類のためまた自己のために、これを憤慨しないか。
これは実に狂乱の沙汰ではないか。米国の堕落がここに至って、人類の望はもはや断絶したと言わざるを得ないではないか。
開戦当初、ハーバード大学前総長エリオット博士は、書を某新聞に寄せて言った、「今次の戦争によって、キリスト教会の無能は暴露された」と。
そして教会がその努力によって平和を来させるとは、私にはとうてい信じられない。
今や平和の出現を期待すべき所は、地上の何処(どこ)にも見当たらないのである。
このようにして私の学問の傾向と時勢の成行きとは、私を絶望の深淵に陥らせた。私はここに行きづまったのである。
一昨年の夏、独り暑を日光に避けたが、私の心中にはこの問題があって、人知れずその解決に苦しんだ。
その時たまたま、米国の友人から、「日曜学校時報(サンデースクールタイムス)」を一部送って来た。この雑誌は往年、私が購読したものであったが、それが常にキリスト再臨を主唱するので、嫌になってこれを止めたのである。
ところがこの時、久しぶりに遠路風雨に曝(さら)されて私の許に届いた号を開いて見ると、その劈頭(へきとう)にいわく、「キリストの再臨は、果して実際的問題ではないか」と。
私は新たな感興(かんきょう)を以て、これに対した。そして試みに読んでみると、その一行一行が私の心に訴え、再読三読した。そしてそうだそうだと肯(うなず)いた。
そうあってこそ、世界問題も私の内心の問題も、悉(ことごと)く説明し得るのである。何と愚かであったことか、久しくこの身を献げ、自己の小さな力で世の改善を計ろうとした事は。
これは私の事業ではなかったのである。
キリストが来られて、この事を完成されるのである。平和は、彼の再来によって、初めて実現するのである。
そしてこのキリストの再来こそ、新約聖書が至る所で高唱する最大真理である。マタイ伝から黙示録に至るまで、試みにこの真理を教える字句に印を付けるなら、どの頁も数行を見ないものはない。
聖書の中心的真理は即ちこれである。これを知って聖書は極めて首尾貫徹した書となり、その興味は激増し、その解釈は最も容易となるのである。これを知って、聖書研究の生命は、無限に延(の)びるのである。
現今の多くの学者は、この事を信じない。しかしながら、最も有力な学者の中には、その冷静な学者的立場から、堂々としてこの真理を立証したものが少なくない。
今その二三の例を挙げれば、ボストン浸礼教会の牧師だったA.G.ゴードン著「視よ彼は来る(エクシベニート)」(
http://www.amazon.co.jp/Ecce-Venit-A-J-Gordon/dp/0548765839/ref=sr_1_1?s=english-books&ie=UTF8&qid=1406592242&sr=1-1&keywords=ecce+venit )などは、既に普く人の知るところである。
しかもこの書は、決して通俗的著述ではない。その中に深い知識と広い学問とがある。
また、経外聖書研究の専門大家である R. H. チャールス著「新旧約間の思想ならびに信仰の発達」(
http://www.amazon.co.jp/Religious-Development-Between-Old-Testaments/dp/1314336851/ref=sr_1_sc_3?s=english-books&ie=UTF8&qid=1406592859&sr=1-3-spell&keywords=religious+development+between+the+old+and+the+new+tetaments )の中に言う、「聖書はもともと顕現的書物である」と。
いわゆる apocalyptic とは、隠れた者が
不意に出現するという意味であって、再臨を表すのに最も適当な語である。
次にケンブリッジ大学教授 F. C. ブルキットは、その著「福音の歴史及びその相伝」(
http://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_sb_noss?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&url=search-alias%3Denglish-books&field-keywords=the+gospel+history+and+its+transmission )で有名である。彼の聖書研究は、明晰鋭利なものとして知られる。この人にしてこの言葉がある。いわく、
神御自身が此世に現出し給ふという顕秘録記者等の新時代の理想は、是
れ基督教のただの装飾に非ずして、其熱心を喚起せし中心的原動力たり
との事を、我等(学者)は徐々と看取しつつあり。
と。
キリストの再臨などは、キリスト教の装飾物に過ぎず、貴ぶべきは再臨その事ではなくて、その中に含まれている霊的真理であるとは、近代の神学博士等が、好んで主張するところである。
そして私は、これら錚々(そうそう)たる諸学者の前に、斯学(しがく)の権威ブルキット氏のこの言葉を提供して、彼等の再考を促さざるを得ない。
そしてこの事は、決して学者の立証に待つまでもないのである。聖書自身がその証明者である。
諸君、試みに聖書をひもといて、次の諸節を熟読してみなさい。キリストの再臨を信じなければ、その美しい語は、悉く無意味に帰するのである。それに反して再臨の光によって照らされれば、言々句々みな躍動し、また聖書中に矛盾が存しなくなるであろう。
(ヨブ記19章24〜27節、詩篇第1篇、マタイ伝中山上の垂訓およびその25章、ロマ書8章18〜25節、コリント前書7章および15章等)。
完