全集第24巻P173〜
キリストの復活と再臨
大正7年(1918年)5月10日
「聖書之研究」214号
内村鑑三述、藤井武筆記
(3月31日、神戸キリスト青年会館において、また4月7日および14日にわたり、東京神田三崎町会館において述べた講演の大意である)。
第 一 回
今や信仰の復興は、全世界に満ち広がろうとしている。再臨の高唱は、聖霊の導きによる運動である。我国においてこの運動が開始されたこの機会に当り、堅くキリストの再臨を信じる若い有為(ゆうい)の士で、海外から帰朝する者が少なくないことは、実に不思議な摂理と言わざるを得ない。
先頃神戸における集会に際し、ある旧知が私を訪ねて来られた。彼は二十年前、高等商業学校卒業の後、久しくロンドンに勤務し、近頃帰国した好本督(よしもとただす)(
http://www.kwansei.ac.jp/s_hws/attached/0000007291006.pdf )君である。
私は先日の復活日の朝、彼と共に蘆屋川(あしやがわ)の畔を逍遥(しょうよう)し、有名な汐見(しおみ)の桜がほころび初(そ)めるのを眺め、小丘に登って暫らく信仰談を交(か)わした。
ところが驚いたことに、彼は再臨の信仰に燃えているのである。これを見て私は感慨を禁じ得なかった。そこで脚下一帯の松原に続く茅渟(ちぬ)の海を隔てて、遠く淡路島を望む所に、二人は共に熱い祈りを献げた。
そして生来臆病すぎるほど謙遜だった彼が、その日の午後における集会の席上、私の講演が終ると直ちに壇に上って、熱心な信仰の証明をしたのである。この時に当ってこの事があるのは、果して何を意味するのか。
ところが今またここに、等しく帰朝したばかりの平出慶一君の、信仰と知識とを兼備した有力な再臨論を聴くことが出来て歓喜に耐えない。このような事は確かに神の摂理であって、私達の事業が、神の特にお命じになったものであることの証拠と言うべきである。
そしてこの運動は、決して日本だけにおける小運動ではない。英国および米国においても、同様の運動があることは、既に人に知られている。
ところが近時教友河面仙四郎君(君は開戦の二年前にドイツに留学し、それ以後敵国を脱出する機を逸して、遂に最後まで残留し、昨年11月に許可を得てスイスのバーゼル市に移ったのである。即ち君は戦時中のドイツの真相を知っている我国唯一の権威である)……河面君からの音信によれば、
ドイツにおいてもまた、この戦争の結果、神学は破壊もしくは逆行を始め、キリスト再臨の信仰が著しく勃興しつつあり、殊にこの運動は、かつて再臨信者の団体であるピーチスト(Pietist)によって建設されたハレー大学を中心として行われつつあるとの事である。
また前述した好本君が、オックスフォード大学某教授に会見した時の教授の言葉にいわく、「私のキリスト教は、今日まで道理的であったが、今は信仰的となりつつある」と。
これ等の言葉は、かの心理学者バウマンが指摘した、「今回の戦争は、ドイツの青年を駆りたてて、ニーチェの著書から新約聖書に赴かせた」との事実と相待って、欧州における精神界の大勢が、どこにあるかを示すに足りるのである。今やキリスト再臨の信仰は、実に聖霊の指導に基づく世界の機運である。
キリストの再臨は、その復活との間に密接な関係を有する。もし復活を聖書が示すままに信じることが出来れば、また再臨をも信じざるを得ないのである。
そして復活節は、既に一週間前に過ぎ去ったけれども、天文学者ウルム、ウーデマン等の努力になる計算によれば、キリストが十字架に架けられたのは、紀元後30年の4月7日(太陽暦)であったということである。
即ち彼は、1888年前の今日十字架に上られたのである。そして三日目である4月9日の朝に復活されたのである。よって知る、今日は彼の復活について学ぶのに最も良い安息日であることを。
ゆえに私は、ここにコリント前書第15章に記された彼の復活を、パウロの語るままに聴きたいと思う。これは私の言葉ではなくて、パウロの言葉である。私達は暫らくパウロの書簡の受信人という立場に立って、本章を熟読すべきである。
彼は先ず言ったのである、「
兄弟よ曩(さき)にわが伝へし福音を更らに又汝等に示す。汝等は之を受け、之に頼りて立つ。汝等徒(いたず)らに信ぜずして我が伝へしまゝを堅く守らば此福音に由りて救はれん」(1、2節)と。
ここに「徒(いたず)らに」と言っているのは、「早まって」または「よく究めないで」という意味である。
福音の真髄をよく究めることなく、復活再臨等の事を知らずに早まってこれを信じる者は、決して少なくない。千九百年前のコリントの教会においてもそうであった。今日の日本の教会においてもまたそうである。
単に神は愛であると聞いたので、またはキリスト教は家庭や社会の救済上有効であると認めたので信者となった者などは、みなこの類である。そして教会もまた、そのような人に洗礼を授けて、敢えて憚(はばか)らないのである。
甚だしい場合には、神の存在をも信じずに、ただ正義が最後の勝利者であることを信じるという理由で洗礼を授けられた実例がある。
しかしながらパウロは、このような人々に対して明言したのである。いわく、「我が伝へし儘(まま)を守らずば、救はれず」と。おそらく彼の言葉が的中する信者は、古今東西にその数が甚だ多いのである。
次に彼は言った、「我が第一に汝等に伝へしは云々」と。「第一」とは、時の順序ではない。「最も重要な事は」という意味である。彼はここに、信仰の根本的教義が何であるかを示そうとするのである。
そしてパウロは言う、根本的教義とは、果して何か。それは社会改善であるか。または正義の承認であるか。または、キリストは人類の理想であるという事であるか。
いやいや、そうではない。パウロにとって最も重要な問題は、近代人が高唱するこれらの事ではなかった。
「
キリスト聖書に応じて我等の罪のために死に、又葬られ、聖書に応じて三日目に甦(よみがえ)り、ケパに現はれ後に十二弟子に現はれ給ひし事なり」(3〜5節)と。
キリストの死と私達の罪との密接な関係、その復活、その顕現、これがパウロがキリスト教の根本的教義と見なしたものである。
そしてパウロが説く甦りとは、身体(からだ)の復活であることは、「葬られ」云々の語によって明白である。
霊的復活ではなくて、肉体の復活である。
キリストは、その葬られた身体で復活し、ケパに現れ、後に十二弟子に現れ、「
次に五百人以上の兄弟に同時に現はれ、次にヤコブに現はれ、次に凡(すべ)ての使徒に現はれ、最後にパウロ彼自身にも現はれ」られたのである。そしてキリスト教の根本教義はここにあると彼パウロはここに明言しているのである。
ところが多くのキリスト者は、今日果してこの事を信じるか信じないか。近代におけるキリスト教史の大家レーキ教授は、その復活論に言う、
「そもそも復活の信仰の起源は、マグダラのマリアがキリストの墓に香物を献げようとして行った時に、その墓が空虚であることを発見したことに始まる。ところがマリアはヒステリー症の婦人であって、そこつにも墓を誤って空虚な墓を見舞ったのである」と。
本当にそうであるならば、キリスト教は元々一病婦の錯誤の上に築かれたものに他ならないのである。学者の説は概ねこのようなものである。彼等は言う、「肉体の復活などは、科学的雰囲気の間に生息する近代人には信じられない」と。
しかしながら、彼等の科学とは果して何であるか。世に神学者の科学論ほど価値のないものはないのである。そして彼等の解釈がどうかにかかわらず、パウロは明白に肉体の復活を宣伝し、なお付け加えて言うのである。
いわく、「
されば我にもせよ、彼等にもせよ、宣(の)べ伝ふる所は斯(か)くの如くして、汝等は斯くの如く信じたるなり」(11節)と。実に論旨が明快で日を見るよりも明らかである。
このようなわけで、キリストの肉体の復活を信じない者は、聖書を捨てる方が良い。パウロが説いている事には、一点の疑いの余地がないのである。ところがそれにもかかわらず、黒を白と解釈しようとするのが、近代人の心理状態である。
彼等は自己の思想を、他人に強いるのに巧みである。私はそのように信じるので、君もまたそのように解さざるを得ない。君もまたそのように信じるに相違ないと言って、自己の思想を他人の説中に読み込もうとするのは、彼等の癖(くせ)である。
かつて詩人ブラウニングの晩年、その名声が大いに揚がった頃であった。彼は一夕、ロンドンの街頭に「ブラウニング研究会」のポスターを見て、試みに入ってその状況を視察した。
たまたま論題に供せられたものは、彼の戯曲(ドラマ)のあるものであった。会長はいわゆる新しい婦人であって、その周囲に多くの小学者が座っていた。
そして甲論乙駁こもごも立って所説を述べたが、一つも彼自身の意味するところに当る者がなかった。そこで老詩人は自ら一会員であるかのように装って、「その意味はこのように簡単明白である」と説明すると、たちまち全員の大反対を招いた。
しかし老詩人は譲らずに弁じたので、止むを得ず会長は可否を起立によって問うたところ、
詩人の賛成者は、詩人自身の他には一人もいなかったという。
復活論や再臨論もまた、実にそれと同様である。パウロが言っていることは簡単明白であるにもかかわらず、強弁、曲解が相次いで起こり、もしこれを起立によって問えば、立つ者は彼筆者ただ一人であろう。
しかし事実はどうすることも出来ない。私達が信じるか信じないかにかかわらず、パウロやヨハネやペテロが説いたキリスト教の根本教義は、肉体の復活にあったのである。
アリマタヤのヨセフが献げた墓が空虚だったことを信じなければ、キリスト教の信者と称することは出来ないのである。
パウロはまた言う、「
若しキリスト甦(よみがえ)り給はざりしならば、我等の宣教も空しく、汝等の信仰も亦空しからん……若しキリスト甦り給はざりしならば、汝等の信仰は空しく、汝等尚ほ罪に居らん」(14、17節)と。
キリストの復活がなければ伝道はない。信仰はない。救いはない。罪の赦しはない。復活がなければ、君達の信仰は無効である。復活がなければ、君達はいまなお罪の中にいるのであると。
そしてパウロには、これを言う充分な道徳的理由があった。彼はそれを、ロマ書4章の終りにおいて説明した。いわく、「
キリスト我等の罪の為に付(わた)され、我等の義とせられしが故に甦りたり」と。
即ち
復活は私達の罪が赦されて、義とされた証拠である。何故なら、復活がなければ、私達はみな、死なざるを得ない。そして死は、私達が罪人である唯一の証拠である。
人の罪を証明するものは、この欠点、かの短所ではない。人がみな死なざるを得ないということ、その事が何よりの証拠である。ゆえに、もし罪の赦しがあるなら、必ずや死なない人とならなければならない。
ところがキリストが先ず復活されて、そして自己の復活によって、全ての信者の復活を約束して下さったのである。ここに罪の赦しの明白な証拠がある。
もしこの復活の希望がないなら、罪の赦しの証明はどこにあるのか。復活がなければ、救いはないのである。復活がなければ、信仰は無効であって、宣教の内容は空乏となるのである。
ああ、これは果して今日の福音であるか。社会改良をキリスト教の根本義となし、会堂建築を宣教上の最大事となし、そして不信者に媚びを呈して建築の資金を募集する。
彼等は再臨の信仰を嘲って、嘆かわしいことであると言うが、真に憤慨すべきは、実に彼等自身のこのような醜態(しゅうたい)ではないか。復活を信じず、再臨を信じなければ、義を行うことは出来ない。
ゆえにパウロは最後に、強い警告を発して言ったのである。「
汝等欺かるゝ勿れ。悪しき交際(まじわり)は善き風儀を害(そこな)ふなり。汝等義に於て醒(さ)めよ。罪を犯す勿れ。汝等の中に神を知らざる者あり。わが斯く言ふは、汝等を辱(はずかし)めんとてなり」(33、34節)と。
誘惑されるな。教会の教師や信者であって、復活再臨を嘲笑する者がいるなら、その人と交際するな。君達の諺(ことわざ)にも、そう言うではないか。君達は義において醒めるべきである。
私はそのように言って、君達を怒らせて、それによって覚醒させたいと思うのであると。これによって、初代信者がいかに復活再臨等の信仰を重んじたかを知るべきである。
過日私は、ある欧州中立国のキリスト教会の監督に遇った。彼は善い人で、ある事においては、彼と私とは善い友人であった。
ところが彼は私に問うて言った。「さて貴下はよもやキリストの処女降誕、復活、昇天、再臨等を信じないでしょうね」と。この時まで打ちくつろいでいた私は、この意外な質問に接して、直ちに襟を正しくした。
そして、ようやく温まろうとする友情を犠牲にするのは忍びなかったが、そのために私の返答を曖昧にすることは出来なかった。私は思い切って明瞭に答えた、「私は信じる」と。
すると彼はまた尋ねた、「何故これを信じるのか」と。私は再び答えた。いわく、「キリストは私の心に、奇跡的変動を与えた。私はこの奇跡を行った人の復活と、その人による信者の復活とを信じざるを得ない」と。
キリスト教国の教会の監督で、神学の博士である人が私に向ってそのような質問を発するのである。そしてこれは、今日のキリスト教界の大勢を示すものである。
彼等はキリスト教を信じると称して、実はパウロ達が根本的教義だとしたもの、即ちこれなしには福音はないとしたものを排斥するのである。彼等は言う、復活再臨等を信じるなら、近世文明をどうするかと。
しかしながら私は言う、
聖書をどうしようか。近世文明は捨てるべきだ。しかし、聖書を捨てることは出来ないと。
その通りである。聖書は近世文明よりも遥かに貴い。そして聖書は、明白に復活・再臨等を宇宙の大真理だとしているのである。パウロ、ヨハネ、ペテロ等が伝えた純福音は、これ等の真理の上に立っているのである。
(以下次回に続く)