全集第27巻P11〜
単独の賛美
大正11年(1922年)1月10日
「聖書之研究」258号
米国メソジスト教会派遣宣教師神学博士S.H.ウェインライト氏が、私の欠点の数々を列挙した批評の一節に言う、「
彼は単独にして何人とも協働する能(あた)はず」と。
私は今ここに博士のこの言葉に対して自分を弁護したいと思うのではない。私は、博士が私の欠点について知っているよりは、より以上自分の欠点について知っているつもりである。
しかしながら、私はここに博士によって代表される米国キリスト信者の全体、ならびに彼等が派遣する宣教師等によって教えられ、また養われる我が国多数のキリスト教徒が懐く誤謬の一つについて説明を試みようと思う。
それは
彼等全体が、単独を悪事と見なすことである。彼等は「人は社交的動物である」というギリシャ哲学の立言をキリスト教的真理と見なし、これに反する者をキリスト教の根本義に反する如くに見なすのである。
彼等にとっては、キリスト教は即ち共同生活である。ゆえに信仰は即ち集会である。団体が大きくなることを称して隆盛と言い、集会が頻繁に行われることを信仰の熱烈と称する。
彼等は教会という目に見える団体と離れて宗教を考えられない。集会の無い所に信仰を認めることが出来ない。ゆえにたまたま団体を離れて信仰を維持する者がいれば、彼を神秘家と呼ぶ。
現に同じく米国宣教師でバプティスト派のW.アキスリング君が米国某地で行った演説の中で、私を日本のミスティックとして紹介したという記事を読んだ。
しかしながらキリスト教を団体的に見るのは、米国人の見方であって、これは必ずしも真正な見方ではない。米国人が多くの事において誤っているように、この事においても誤っているかも知れない。
ゆえに私は米国神学博士に私の行動を非難されても、敢えて失望落胆するに及ばない。私は先ず静かに聖書に依り、彼等米国キリスト教信者等の立場を研究して、私に関する彼等の批評に答えるべきである。
そして私は、聖書を精読して、米国キリスト信者のキリスト教観に同意することが出来ないのである。聖書は決して、単独を絶対的悪事として教えないのである。その反対に、聖書はむしろ単独を奨励するのである。
先ず第一に神は一であって、単独であられる。そして神に選ばれた者は、たいていは単独であった。
信仰の祖先と称されるアブラハムは単独であった。
彼が未だメソポタミヤにいた時、栄光の神が現れて、彼に言われた、「
汝の国を出で、汝の親族を離れて、我が汝に示さん所の地に至れ」(使徒行伝7章3節)と。こうしてアブラハムの一生は、単独の一生であった。
彼はハランにおいて父に死に別れ、エジプトに流浪し、カナンに帰って甥(おい)のロトと離れ、ソドム人と合わず、ゴモラ人と親しまず、ただエホバを友として一生を終わった。
「
アブラハム神を信ず……彼又神の友と称(よば)れたり」とあるのを見て、神を除いて他に友と称すべき友は彼に無かったことが察せられるではないか。
聖書においてアブラハムに関して記された全ての言葉を総合して見て、彼が交際社会の人であったとはどうしても思われないのである。
神の人モーセについても、同じ事を言うことが出来る。彼は40歳のときエジプトを逃れてミデアンの地に行った。そこで妻を迎え、子をもうけたけれども、彼は単独の生涯を送った。彼は独りで柴(しば)の中でエホバの聖召(めし)に与(あずか)った。
イスラエルの民の中に、彼が友とすべき者は一人もいなかった。彼の兄であるアロンも、妹であるミリアムも、彼を誤解して彼を責めた。彼は40年間、荒野にイスラエルの民を率いて、しみじみと人生の孤独を味わった。
彼は自己(おのれ)に民の罪を担って、彼等のために祈って言った、「
彼等の罪を赦し給へ。然(しか)らずば、願くは汝の書記(かきしる)し給へる書(ふみ)の中より我名を抹去(けしさ)り給へ」(出エジプト記32章32節)と。これは確かに孤独な人が発した言葉である。
彼はまた耐え難い孤独の情を述べて言った、
我等の諸(もろもろ)の日は汝の怒によりて過去(すぎさ)る
我等が総(すべて)の年の尽(つく)るは一息の如し
我等が年を経(ふ)る日は七十歳(ななそじ)に過(すぎ)ず
或ひは壮(すこやか)にして八十歳(やそじ)に至らんも
その誇る所は唯勤労と悲歎とのみ
その去往(すぎゆく)や速(すみやか)にして我等も亦(また)飛去(とびさ)る
(詩篇90篇9、10節)
この言葉の中に、孤独の悲調を認めない者が誰かいようか。これは決して今日の米国神学博士等が、その「活動」に従事しつつある間に発し得る言葉ではない。
そしてこのモーセは、独り生きて独り死んだ。独りピスガの頂に登り、独り死んでエホバ御自身に葬られた。そして民の中に彼の墓を知る人はいないと言う(申命記34章1〜7節)。
偉大であった神の人モーセはどう見ても、社交、交際の人ではなくて、単独で神だけを友とした人である。
そして
預言者エリヤはどうか? 彼は何であったにしろ、今日の米国宣教師等によって代表される社交の人ではなかった。ギリアデの野人であった彼エリヤは、特に単独の人であった。
彼は飄然(ひょうぜん)として独り現れてきて、飄然として独り消え去った。彼は単独でバアルの預言者数百人と相対し、独り闘って独り勝った。彼は会堂で会衆の慰藉(いしゃ)に与らずに、神の山ホレブで、大風の中に細い微(かす)かなエホバの声を聞いた。
彼の弟子はただ一人、そしてエリシヤはエリヤの後を継いで、その師に等しく単独の預言者となった。聖書は師弟決別の状(さま)を記して言う、「
彼等進みながら語れる時、火の車現はれて二人を隔(へだて)たり。エリヤは大風に乗りて天に昇れり」(列王記略下2章11節)と。
単独の師に対して単独の弟子があった。彼等は師弟の交際をさえ長く楽しむことを許されなかった。
試みにもし、エリヤが今日のキリスト教界に現れたとすればどうか? その宣教師と牧師と伝道師とは、彼に
奇人または
変人の名を付して、一切彼に取合わないであろう。
彼等はエリヤの偉大を口にするが、彼等のうちには、彼に倣(なら)おうとする者は誰もいない。今日のキリスト教界は、とうていエリヤ系の信者に耐え得ないのである。
エリヤの後に来た
エレミヤはどうか? エレミヤは果して米国宣教師等の意にかなうような預言者であったか。エレミヤは社交の人であったか。エレミヤはこの世の政治家または実業家と共にエホバの道を伝えて恥としなかったか。
エレミヤ記と哀歌とを読んで、この人が特に単独の人であった事を認めない者が誰かいるだろうか。
あゝ我れ我が首(こうべ)を水とし、我が目を涙の泉となす事を得んものを。
然(さ)れば我れ我が民の女(むすめ)の殺されたる者の為に昼夜哭(なげ)かん。
あゝ我れ曠野(あれの)に旅人の寓所(やどりどころ)を得んものを。然(さ)
れば我れ我が民を離れて去り往(ゆ)かん。 (エレミヤ記9章1、2節)
と叫んだ者は、孤独の人ではなかったか。また「
我は彼の震怒(いかり)の笞(しもと)に由りて艱難(なやみ)に遭ひたる人なり」と言って後に、
我等の尚ほ滅びざるはエホバの仁愛(いつくしみ)に由る。その憐憫(あわ
れみ)の尽きざるに因る。……人若き時に軛(くびき)を負ふは善し。エホバ
之を負はせ給ふなれば、独り坐して黙すべし。 (エレミヤ哀歌3章22〜28節)
と独語した人は、信者と不信者とが協力して交際場裏に福音宣伝を語る米国宣教師等と類を共にする神の僕(しもべ)であったか。
「エホバ之を負はせ給ふなれば
独り坐して黙すべし」と。もし神の預言者でない私がこの言葉を発したとすれば、今日の教会は必ず私を悲観家だと呼ぶであろう。
誠に今日のキリスト信徒は、預言者エレミヤに耐え得ないのである。彼等の中には、真面目にエレミヤ記を研究する者は甚だ稀である。彼等はエレミヤ哀歌を読んで悲哀美を嘆賞するだけで、これを自分の実験として読み得る能力(ちから)を有(も)たない。
彼等にとってエレミヤは悲歌慷慨(こうがい)の代名詞であるに過ぎない。彼に倣って独り民の為に泣くというようなことは、浮虚軽薄な今日のキリスト教徒には思い及ばない事である。
その他の旧約の勇者である
ギデオン、バラク、エプタ、サムソン等は、いずれも単独の人であった。
彼等は民衆と共同して国を救ったのではない。神に頼り、独りで大事を為したのである。
いわゆる社交的キリスト教と称して、多数の力を借りて世を改め、国を救おうとするような事は、神の人が為そうとした事ではない。士師も預言者もみな悉(ことごと)く単独の人であった。今日の宣教師等とは、全く質(たち)を異にした人であった。
そして新約の人もまたそうであった。イエスもパウロもヨハネもいわゆる社交の人ではなかった。イエスは預言者のいわゆる「
侮(あなど)られて人に棄られ悲哀(かなしみ)の人にして病を知る」人であった。彼はその少数の弟子にさえ捨てられ、独り苦(にが)い杯を飲み、独り十字架の苦しみを味わわれた。
パウロもまた、結局は孤独の人であった。彼が唱えた福音は、非常に独創的なものであって、これを解し得る者は極めて少数であった。ヨハネもまた、その晩年をパトモスの孤島に送り、ここに天からの黙示に接して、壮大絶美な黙示録を書いた。
その他ピリポでも、ステパノでも、バルナバでも、いわゆる交際場裏の人ではなかった。
彼等は委員を設けて聖書を作らなかった。マタイ伝はマタイ一人が書いたもの、ルカ伝は、ルカ一人の作、黙示録は、ヨハネ一人の終末観であった。
ステパノは、民衆と共に迫害を受けなかった。一人で真理を証明して、石で撃ち殺された。ピリポは伝道団を作らず、路上一人でエチオピアの大臣と会い、車中に入って彼を教え、路傍に流れる小川に下って、彼に悔い改めのバプテスマを授けた(使徒行伝8章26節以下)。
一人である。一人である。会とか団とか同盟とか委員とかいう事は、近代人、殊に集合的米国人がする事であって、初代のキリスト者がした事ではない。初代のキリスト者は、旧約時代の士師・預言者等と同じく、神と共に在って、独りで闘って独りで勝った。
彼等は米国人のように、「共同は勢力である」とは言わなかった。モーセと共に言った、「
エホバは我力我歌なり。彼は我が救拯(すくい)となり給へり」(出エジプト記15章2節)と。
彼等は団体の勢力を頼んで事を為そうとはしなかった。「
主我を助くる者なれば恐怖(おそれ)なし。人我に何をか為さん」と言って、人の援助を待たずに進んだ。
王に頼るのも、民衆に頼るのも、人に頼る点に至っては少しも異ならない。そしてキリスト者は、王侯貴族に頼らないように、また民衆・団体にも頼らないのである。
キリスト教は、信神主義であって、その根底は聖(きよ)くて堅(かた)い個人主義である。キリスト者は、他人と協力することが出来ないと言って悲しまない。神と共に歩めないと言って嘆く。
伝道会社に頼らなければ伝道することが出来ず、出版会社に頼らなければ著述することが出来ず、有力者の後援がなければ教育にも慈善にも従事することが出来ない者は、神の子でキリストの僕であるキリスト者ではない。
キリスト教を社会的勢力と解することほど大きな誤解はない。キリスト教は、決して人の力ではない。神の力である。先ず第一に個人の霊魂に臨む神の力である。ゆえに単独の人を以て世界人類を動かす力である。
ゆえに深くキリスト教を味わった人は、全て単独の人であった。詩人ダンテは、単独を好む単独の人であった。彼の「神曲」は、作詩委員の合作ではない。
ルーテルもまた単独の人であった。彼のドイツ訳聖書は、英訳または日本訳聖書のように、翻訳委員の手によって成ったものではない。それが特に貴いのは、このためである。
人類があって以来、委員制度によって雄編大作が成った例(ためし)は一つもない。
天才は個人的である。凡人が天才に倣おうとするときに、やむを得ず委員会を組織するのである。信仰が旺盛(おうせい)な時に団体は重んじられない。共同一致の必要が唱えられる時は、必ず信仰が衰えた時である。
ルーテルは聖書会社の依頼を受け、確実な報酬を保証されて、聖書をドイツ語に訳したのではない。彼は独りで決めて、独りで行った。これは
ルーテル訳であって、日本訳聖書のように、
委員訳ではない。
日本訳聖書がドイツ訳聖書に及びもつかない理由は、ここに在るのである。委員訳にろくなものがあるはずがない。聖書は元々単独の人達によって書かれた書であるので、多数の委員によって完全に訳されるはずがない。
見よ、委員によって為された事業を。事は遅々としてはかどらず、入費は多くて結果は平凡である。ゆえに神は、その御事業を為されるに当たって、委員を用いずに、単独の人を用いて為される。
ミルトンも、カントも、ジョナサン・エドワード(
https://en.wikipedia.org/wiki/Jonathan_Edwards_(theologian) )も、モーセス・スチュアートも、単独で働いて、単独で功を挙げた。
近代の教会から何も偉大な事が出て来ないのは、信者が多数の力に頼んで、神に頼んで単独で働こうとしないからである。
米国宣教師等は、多くの呪うべき誤謬を私達に伝えた。そしてその内で最も大きなものは、彼等の誤った民主思想から出た誤りである多数主義である。私たちは聖書の上に立って、信仰の事については殊に、浅薄な米国人のこの思想、この主義を排斥すべきである。
完