全集第27巻P476〜
マダガスカルの場合
大正12年(1923年)3月10日
「聖書之研究」272号
◎ 世界で一番大きい島はニューギニアです。その次がこれもまた東インドのボルネオです。そして第三番がマダガスカルです。マダガスカル島は、インド洋の内に在って、アフリカ大陸の東南に位置しています。
その面積は22万8千平方マイルであって、属領地を除いた日本帝国の一倍半です。ほとんど大陸に類した、一個の大きな島です。その地位ならびに地勢が、よく台湾に似ています。
台湾が赤道から北にあるだけ、マダガスカル島は赤道の南にある事(夏至線は台湾を通過し、冬至線はマダガスカル島を通過しています)、
その形は南北に長く、東西に短く、北にとがり、南に丸い事、殊に山脈が中軸の東方に位置して南北に走り、そのために東方の大洋に面する傾斜が急で、西方の大陸に面する傾斜が緩やかである事、その他の事において、両島は互によく似ています。
ゆえに台湾を17倍の大きさにして、これをインド洋に移したもの、それがマダガスカルであると見れば、私達日本人には分かりやすいです。
◎ 台湾を拡大したような島であるマダガスカルに、凡(およ)そ3百万人の民が住んでいます。即ち両島の人口は、ほとんど同じです。またその人種にも似た所があります。
マダガスカル島はアフリカに属しますが、その人種は黒色人種(ネグロー)ではなくて、マレー人種です。即ち台湾土蕃(どばん)と同人種です。したがってその言語において、よく似ているだろうと思います。
そして私達日本人の内にマレー人種が混じっている事は確かですから、日本人とマダガスカル人とは縁のない人民でない事が分かります。
日本の地名人名にA(エー)音が多い事は、誰にも気が付きます。Asamayama, Arakawa, Asakusa などがそれです。そしてマダガスカルの地名人名も同じです。その国の名が Madagascar (マダガスカー)です。母音はみんな A(エー)です。
その首府を Antananarivo (アンタナナリボ)と言います。A音が多数を占めています。その主な港を Tamatave (タマタベ)と言います。その最も高い山を Ankaratra (アンカラトラ)と言います。最も広い地方を Sakalava (サカラバ)と言います。
有名な国王を Radama (ラダマ)と称し、女王を Ranavalona (ラナバローナ)と呼びました。A(エー)音が多い事は、一目瞭然です。
◎ そしてこの国に、早くからキリスト教が入ったのです。1810年にラダマ一世が即位して、国に大改革を行いました。
その改革の一つとして、キリスト教の宣伝が奨励され、1820年にロンドン外国伝道会社によって、公の伝道が、首府アンタナナリボーにおいて開始されました。
国語のマラガシー語はローマ字で書き記され、聖書は翻訳され、学校は起こされ、教会は建てられ、数年ならずして布教上大成功を見るに至りました。
ところがラダマ王が死んで女王ラナバローナ一世が王位を継ぐと、キリスト教に対して大反動が起り、信者はあるいは追われ、あるいは獄に投じられ、殉教の死を遂げる者は2百人に達したという事です。
そして迫害は33年間継続しましたが、信仰は進みはしても退かず、女王が死んで福音はその深い根をマダガスカル島の国土に下ろしたのです。
次に来たのがラダマ二世、その次が女王ラナバローナ二世、いずれもキリスト教の奨励者でした。そして女王はさらに進んで自ら信者となり、その夫と共にバプテスマを受け、礼拝を宮廷に行い、偶像を壊し、迷信を排し、一躍(いちやく)してキリスト教国の班(はん)に入りました。
この当時、キリスト教に対する反動への反動が起り、上(かみ)の為す所下(しも)之に倣(なら)うというように、マダガスカル人は国王に倣(なら)ってバプテスマを受けてキリスト教会に入りました。宣教師の得意が思いやられます。
統計によれば、1869年には3万7千人の信者がいましたが、その翌年には激増して、25万人になりました。誠にマダガスカル島伝道の失敗は、ここに在ったのです。
後13年を経てフランスの保護国となると、フランス流の不信冷淡の輸入と共に、教勢はたちまち衰え、ロンドン伝道会社配下の信者25万人は、4万8千人に激減したとの事です。
女王ラナバローナ一世は33年間キリスト信者を迫害してマダガスカル島に福音を受け付ける機会を与え、同二世は自ら信者となって、信仰衰退の因(いん)を作りました。宗教にとって政府や国王に迫害されるのは幸福であって、歓迎採用されるのは不幸です。
欧州においてもキリスト教の腐敗は、コンスタンチン大帝の信仰を以て始まり、日本においては仏教の腐敗は、徳川政府の仏教保護ならびに奨励を以て始まりました。
ハワイにおいても、キリスト教伝道が功を奏し、その国王を教会員として数えるに至った時に、信仰は衰え、国は亡びて、宣教師の本国である米国の属国となってしまいました。
宗教、殊にキリスト教は、いつまでも政府や為政家には関係なく、彼等の迫害は受けないまでも、保護は全然拒絶すべきです。
宗教が国教となった時に、その葬式の鐘が鳴ったと見て、間違いありません。マダガスカルの場合に省みて、私達は日本において、大いに慎むべきです。
◎ マダガスカルにおいて伝道した者は、第一がロンドン伝道会社、これに次いで、英国福音伝播会社、ノルウェーならびに米国ルーテル教会、英国友会(フレンド)、ならびに仏国新教徒伝道会社であって、いずれも成功しています。
最近の調査によれば、教会の数は2312、信者は新教徒だけで34万人以上であるということです。天主教徒はその5分の1に過ぎず、マダガスカル島は国として新教国です。
◎ ところがこの新教国は、今は欧州の旧教国、いやむしろ無神国であるフランスの属国となったのです。1883年には既にその保護国の観があり、1899年に至って女王は国外に追われ、国は全く独立を失い、無神論者が多数を占めるパリの政治家の支配を受けるに至りました。
1906年には、全ての宗教学校は門を閉じることを余儀なくされ、フランス流の無神論的教育が全島に敷かれるに至りました。
多分フランス人ほど福音の真理を解さない民はいないでしょう。そのような国の属国となって、マダガスカル人は、イスラエルの民がバビロン人の捕囚となったような運命に陥ったのです。
◎ しかし神は、マダガスカルを御守りになると信じます。自国の女王に迫害され、その次に来た女王に誘(いざな)われ、最後に似て非なるキリスト教国の属国となって、マダガスカル島は政治的には重ね重ねの不幸に遭いました。
信仰を常に誤る者は政治家です。神は政治家にかまわず霊魂を救われます。そして政治家は政治家として罰されます。民族自由を標榜(ひょうぼう)してドイツに対して戦ったフランスは、マダガスカル始め数多の民族の自由を奪った者です。
識者は言います、負けたドイツが亡びる前に、勝ったフランスが亡びるのであろうと。そしてそれは当然です。マダガスカル島に播(ま)かれた福音の種が成長して、クレマンソーとかポアンカレーとかいう、信仰の無い政治家等の勢力を断ち切る時は、必ず来ると信じます。
私はマダガスカル島のキリスト者に対し、厚い同情を表します。同時にまた私達がこの国に在って、マダガスカル島に臨んだ災厄が、我が日本を見舞わない事を祈ります。
完