全集第27巻P507〜
残る者と残らない者
1923年5月10日宇都宮において
大正12年(1923年)6月10日
「聖書之研究」275号
◎ 「
それ人は既に草の如(ごと)し。草は枯れ、其花は落つ。然(さ)れど主の道(ことば)は窮(かぎ)りなく存(たも)つなり」とは、キリスト教の聖書の言葉です。これに似た言葉が仏教思想を基礎として書かれた平家物語の発端の文字です。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を現す云々」と。
そしてこれに類した言葉は、東西の文学に数多あります。かの鴨長明が源頼朝の墓の前で詠(よ)んだと言う、「草も木もなびきし秋の露消えて、むなしきこけをはらふ山風」の一首は、最も痛切にお互いの心を打つものです。
◎ これは旧い思想です。人生を悲観して起った思想です。そして悲観は、進歩の妨害であるという理由で、近代人が甚(いた)く嫌う思想です。近代人は、死や老について語る趣味を持ちません。彼等の興味は、青春の一事に集中します。
しかしながら、事実は事実です。自称天才文学者がいくら嫌っても、死と老とは遠慮なく来ます。聖書と経文の言葉は真理であって、文学者の言葉は虚偽です。人は草のようなものです。その栄華は、花のようなものです。
その事を知るのは益です。その事を知らないのは、または知らない真似をするのは損です。人生は、真面目にこれに当るのが良いのです。そして死と老とを認め、これに打ち勝つ道を講じるべきです。
◎ 「それ人は既に草の如し。其の栄は草の花の如し」。遠い昔の事は措(お)いて問わないとして、私の短い一生の間に、この真理を証明して余りある多くの事実を目撃しました。
私は少年時代に、徳川幕府が倒れるのを見ました。青年時代に薩長藩閥政府の全盛を見、壮年時代にこれと闘い、老境に入ると同時に、その衰退を目撃する喜びを持ちました。
もしその実例を海外に求めるなら、さらに著しいものが数多あります。ナポレオン三世の下にフランスが衰え、ビスマルクの下にドイツが起ったのは、私が十歳の時です。そのドイツ帝国がまた、私の六十歳の時には、跡形もなく消えてしまったのです。
明治24年に津田三蔵なる者が、大津においてロシア国皇太子に傷を負わせた時に、日本全国は震動しました。しかし今日ロシアの名を聞いて、震える者がどこにいますか。清朝李鴻章の名を聞いてさえ震える時があったと思えば、笑止千万の感が致します。スペインがその海外の領土全部を失って、世界勢力でなくなったのも極めて近頃の事です。
私が地理学を学んだ時には、トルコはバルカン半島を全部支配し、その他エジプト、キプロス、トリポリ等、みなその領土であって、世界勢力として第四位を下らなかったのです。それが次第に縮小して、今は小アジアのアンゴラにその政府を置かなければならなくなりました。
その他列挙すれば際限がありません。それ人は草の如し、その栄は草の花の如しです。大国家でも大帝国でも散る時が来れば花のように散ります。実に脆(もろ)い拙(つたな)いものです。
◎ 国家でさえそうですから、個人であればなおさらです。百年前の大阪の金持の番付を見ると、住友などは十番以下であって、その上に立っていた者で今栄えている者は一軒もないとの事です。同じ事が、宇都宮についても言えようと思います。
過去二十年内に、30万、50万という身代が倒れたのを私自身さえ幾つも見ました。一昨年の暮に100万の富を持っていた人で、今年は無一物になった人を、私は知っています。
銀行の破産は、決して珍しい事ではありません。積善銀行、報徳銀行、四谷銀行と、お互いの目前に倒れつつあるのです。今から百年の後に、三井と三菱と安田とは、今日の地位を保っているでしょうか。甚だ疑わしいと思います。
◎ そして変わり行くものは、国家と個人とに限りません。思想もまた、転々として変わり行くのです。かつてフランスの宣教師リギョール氏が言いました、「日本ほど思想の変わる国はない。同一の思想家でさえ数年ならずして、その説を変える。現に文学博士某氏などは、十年間に十二度、説を変えた」と。これはギョール先生の観察です。
忠君愛国が高調されたのは、今からわずかに30年前でした。ところが今や、この文字さえ新聞雑誌の上から絶えてしまいました。私は東京で多くの学生に接する者ですが、彼等の内に無いものは、愛国の心です。今や愛国を語る事さえ野暮であるかのように思われます。
キリスト教と社会主義とが混同され、国賊視されたのは、ごく近い頃です。ところが今や、堺枯川(
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A0%BA%E5%88%A9%E5%BD%A6 )君は、世の尊敬を引く名士の一人です。
尾崎行雄(
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%BE%E5%B4%8E%E8%A1%8C%E9%9B%84 )君が共和政治を口にしたことで大臣の椅子を失ったすぐ後で、世界大戦争が始まり、日本もまた、民主主義の味方となって戦うに至りました。
デモクラシーと言えば害が無いようですが、少しでも英語を解する者は、デモクラシーは共和政治より遥かに過激な詞(ことば)である事を知っています。そして今はどうかと言えば、今は遥かにデモクラシーを通り抜けて、非道徳、非法律までが、臆面なく唱えられています。変りも変わったものです。
今や文壇は、宗教と恋愛とで持ち切りです。来年はどう変わるでしょうか。その他新聞、雑誌、著書の流行盛衰について語る時はありません。朝顔が朝咲いて昼に枯れる類です。
◎ それではです。それでは万事万物尽く変わり行くのですか。この問題については、仏教とキリスト教との間に、大きな差異があると思います。「諸行無常」と仏教は教えます。「神の道(ことば)は窮(かぎり)なく存(たも)つなり」とキリスト教は唱えます。
物として変わらないものはなく、説として移らないものはない間に、唯一つ世と共に変わらない者があります。
それは神の道(ことば)です。あるいは宇宙の真理であると言っても差支えないかも知れません。
しかし、漠然とした真理ではありません。具体的な、一冊の書(ほん)です。即ち私がここに手に持つ書です。それは永久に変らないと言うのです。そんな事が有るはずがないと諸君は言われるだろうと思います。しかしながら、その事が事実であることは、否定できません。
◎ これは旧い書(ほん)です。そのある部分は、今から4千年前に書かれました。その最も新しい部分にしても、今から1800年前に書かれたものです。それが今日なお、ほとんど著者の手を出たそのままに残っているのです。
そして単に古書古物として残っているのではなく、700有余の国語に翻訳され、人に最も多く読まれる書として存(のこ)っているのです。この書を攻撃した書は、悉(ことごと)く廃(すた)れました。しかしこの書だけは残っています。西洋においても、我国においても同じです。
明治の初年において、河津祐之(
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B3%E6%B4%A5%E7%A5%90%E4%B9%8B )という当時の西洋学者がいて、ひどくこの書を攻撃しました。しかし、攻撃に用いた著書の名まで忘れられ、極めて少数の人だけが、河津祐之の名を覚えています。
その後東京帝国大学総長文学博士男爵加藤弘之(
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E8%97%A4%E5%BC%98%E4%B9%8B )先生が、彼の有する大権威を以て、この書を攻撃しました。
多分その時たいていの日本人は思ったでしょう。これで日本においてキリスト教は粉砕され、聖書は永久に葬られたのであると。ところが事実はどうですか。加藤大先生が聖書攻撃のために著された「日本の国体と基督教」という書はどこでこれを得ることが出来ますか。
東京の古本屋を漁(あさ)っても、その一冊を得ることは、至って難しいのです。ところが聖書はどうですか。東京には米国聖書会社があり、神戸には英国聖書会社があって、刷っても刷っても日本人の需要に応じることが出来ないのです。
それだけでなく、先生の御孫さんの中にさえ、熱心な聖書の研究者がいると聞きました。加藤先生は明治の日本における偉大な学者でしたが、先生の聖書攻撃だけは大失敗に終わりました。
近頃また、北海道大学昆虫学教授で理学博士の松村松年という人が、加藤先生と同じ筆法によって、聖書を攻撃しました。しかし、加藤博士が壊すことの出来なかったものを、松村博士が覆せるとは思えません。
私どもは、少しも博士の攻撃の結果について心配しません。あたかも男体山が大砲の弾を二つや三つくらっても少しも動かないように、昆虫博士の攻撃ぐらいでは、聖書はビクともしません。
いずれにしろ松村博士の論文は既に忘れられて、他の問題が日本人の頭脳(あたま)を占領しつつあります。その他すべてこの類です。
◎ 神の道(ことば)は永久に動きません。それと同時に、この道に頼る者もまた永久に動きません。この事もまた、人類の過去四千年間の歴史によって証明されました。
世界で一番古い国民は誰ですか。日本は古い国ですが、その歴史は3千年に達しません。ところがユダヤ人は、4千年の、しかも正しい記録による歴史を有します。近頃日本人の大歓迎を受けた、ニュートン以来の世界的大学者と称せられるアインシュタイン博士もまた、この国民の一員です。
西洋においては、古代の国民は悉(ことごと)く滅びましたが、ユダヤ人だけは残っています。何故でしょうか。神の道(ことば)を託された国民であるからと彼等自身は言います。
近代に至って、何故英民族が一番に強固な、信用の厚い国民なのでしょうか。この問いに対し、英国の前総理大臣ロイド・ジョージも、米国の現大統領ハーディングも明白に答えて言います、「私達に聖書があるからだ」と。
世界を広く見渡して御覧なさい。聖書が最も多く読まれる国が、最も堅い国です。そして国についてそうであるように、人についても同じ事が言えます。
人は人として甚だ弱い者です。しかしながら、頼る者によって、強くなることが出来ます。動かない者に頼れば動かなくなります。
私のような弱い者でも、聖書に頼ったので、この反キリスト的な日本において、しかもいわゆるキリスト教国の民から何の助けをも受けずに、過去30年間にわたり、私の信仰を持続する事が出来ました。
24年前に私が「聖書之研究」を初めて出した時に、私を攻撃し、嘲った雑誌は沢山ありました。その中には、大隈侯主宰の「大帝国」という雑誌もありました。ところがその内今日残っている者は、一つもありません。みな消えてしまいました。
そして「聖書之研究」はまだ生きています。何によってそうなのでしょうか。「磐(いわ)を其礎(いしずえ)となせば也」です。私は動かない神の言(ことば)である聖書に頼ったので、今日まで動かずにいる事が出来ました。
諸君もまた、この変遷常なき世に在って動くまいと欲するならば、この書に依る他に途がないと信じます。
完