全集第27巻P532〜
ホームの建設とキリスト教
6月24日夜、東京キリスト教女子青年会において述べた講演の原稿
大正12年8月1日
「文化生活の基礎」
◎ 近頃に至って日本が著しく世界化されつつある事は、誠に慶(よろこ)ぶべき事です。過ぐる二か月間に、私達は世界三大偉人の百年期を紀念しました。その第一は5月14日に、種痘の発見者エドワード・ジェンナー(
https://en.wikipedia.org/wiki/Edward_Jenner )の永眠百年祭が全国の医師達によって執り行われました。
その第二は、6月5日に、近代経済学の始祖と称えられるアダム・スミス(
https://en.wikipedia.org/wiki/Adam_Smith )の生誕百年紀念会が、これまた全国の経済学者達によって催されました。
そして今やその第三が、日々に増し行く我が国の音楽愛好者等によって紀念されつつあります。それは有名な世界的平民歌「ホーム・スウィート・ホーム」
(埴生の宿)の発行第百年紀念です。
その作者は、ジョン・ハワード・ペイン(
https://en.wikipedia.org/wiki/John_Howard_Payne )と称し、米国ニューヨーク州ロングアイランド、イーストハンプトンの人でした。
ジェンナーは英国人、スミスはアイルランド人、ペインは米国人でした。そろいもそろって、広い意味の英国人であった事は、特に私達の注意を引くべき事です。そしてまた、三人が三人平和の術(すべ)を以て世界人類を永久に益した事もまた、不思議と言わざるを得ません。
◎ そしてその他にまた、三人の共通点があります。それは、
三人共に英国人特有のホームの産であった事です。
ジェンナーは牧師の子であって、彼の医学上の大発見は、彼が彼の父母から受けた、深い宗教心に基づいたものです。
アダム・スミスは、全く「母の子」でした。彼の父は、彼が母の胎内にいる内に死んで、彼は母一人の手によって育った者です。
ペインもまた、母の崇拝家でした。彼の歌はホームを歌ったものですが、実は彼の母を歌ったものです。
こうして三人が三人、その善い母の功績として世に出て、人類を感化した者でした。私どもは彼等人類の三大恩人の事業を紀念する時に、実は彼等を育(はぐく)んだ彼等の母を紀念しつつあるのです。
◎ 確かフランクリンであったと思います。彼が言ったことがあります、「若し永久に世を感化しようと思うなら、善い歌を作るべきである」と。
ジョン・ペインは、別にこれと言う大事業をしませんでしたが、ただ「ホーム・スウィート・ホーム」の短い歌を作り、彼の芳名を万世に垂れると同時に、全人類を永久に慰めつつあります。
この一篇の歌に比べてみれば、大著述も、大哲学も、また政治上ならびに経済上の大経綸も、実に語るに足りないのです。
かつて米国の大説教家ヘンリー・ワード・ビーチャー(
https://en.wikipedia.org/wiki/Henry_Ward_Beecher )が言った事があります、「私は大説教家であるよりは、かの『我が霊魂(たましい)を愛するイエスよ』の作者となりたい」と。
チャールス・ウェスレー(
https://en.wikipedia.org/wiki/Charles_Wesley )は、かの一篇の讃美歌を作って、如何なる神学者または聖書学者も及ばない、信仰的感化を全世界のクリスチャンに及ぼしつつあります。
神に最も恵まれた者は、詩人です。人間の心を簡単明瞭な言葉に綴って、これを万人に歌わせて、彼は人類の教師となることが出来ます。そしてジョン・ハワード・ペインは、この恩恵に与った者です。
◎ 「ホーム」。 ホームとは何でしょうか。これを家庭と訳しても、その意味は通じません。かつてビスマルクが言ったことがあります。「英語に羨ましい詞(ことば)が二つある。その一は gentleman (ジェントルマン)であって、その二はホームである」と。
ドイツ語の das Haus (ダス ハウス)は、とうてい英語のホームに及びません。ホームには家が要(い)ります。しかし、家だけではホームになりません。家庭団欒(だんらん)と言っても、ホームとなるには足りません。
ホームには家が要ります。親しい肉親の関係が要ります。住み慣れた土地が要ります。山と川と丘とが要ります。打ち解けた隣人が要ります。そしてその他に、そうです、その上に一つの貴い者が要ります。
ペインの歌に、 Charm from skies seems to hallow us there とあります。「天に人を引き付ける力が、そこに我等を潔(きよ)めるようだ」とあります。天からの風が吹いて、その霊気に家族が触れて、そこにホームが現れるのです。
ホームは聖化された家庭であると言えば、ややそれが何であるかを言い表すことが出来ると思います。そのようなものは、自分自身その霊気に触れるのでなければ、それが何であるかはとうてい解りません。
ホームを見たいと言って、見ることは出来ません。あたかも武士の魂(たましい)を見たいと言うのと同じです。自身が武士にならなければ、武士の心は解りません。
◎ それゆえに、ホームは世界どこにも在るものではありません。ドイツにダス・ハウスは在ります。日本に家庭は在ります。しかしホームは、これを見出すのが甚だ困難です。
ホームは、ある特別の境遇の下に出来た、また出来るものです。「ホーム・スウィート・ホーム」の作者を生んだ国を知って、如何なる境遇がホームを作ったかが解ります。
ニューヨーク州のロング・アイランドは、ニューイングランドの南に当り、その一部分として見ることが出来る細長い島です。
この辺は、ホームが現れるべき所です。健全な天然的状態に加えて、健全な霊的状態が備えられた所です。ニューイングランドにおいて、特殊な天然と歴史と信仰とが一致して、ホームという特殊な制度を生んだのです。
ホームはローマ天主教国のイタリアまたはスペインには現れず、無神国のフランスには起こらず、知識的のドイツに栄えず、神秘的のロシアに出ずに、自由と常識と信仰とが並び耕されたニューイングランドにおいて、その最も美(うる)わしい発達を遂げました。
ニューイングランドは、ホームの本場です。そしてそのニューイングランドからジョン・ハワード・ペインが生まれて、ホームの歌を作って、その歌が世界全人類にホームを鼓吹(こすい)しつつあるのです。
◎ ホームは、そもそも何時(いつ)初めて世に現れたものであるかと言うと、ある人は言います、「これは今から4千年前の昔、カルデヤのウルにおいてアブラハムがサラを娶(めと)った時に、初めて出来たものである」と。
その事は、多分本当でしょう。
ホームはアブラハム族特有のものであると思います。私どもは旧約聖書において、たびたびホームに出会います。
ある人が、ユダヤ人の歴史は、国家または国民の歴史ではなくて、ホームの歴史であると言いましたが、実にその通りであると思います。
そしてユダヤ人のホームは、ナザレの村におけるヨセフの家において、最も鮮やかに現れました。その内に、神の子で人類の王が、貧しいホームの一員として成人しました。そして彼によってホームはいっそう潔(きよ)められ、固くされて再び世に供されました。
そして彼の教が伝わる所に、聖(きよ)くて楽しいホームが起りました。パウロの伝道の伴侶テモテは、そのような家庭に育った人でした。
テモテ後書1章5節にあります。「
我れ汝の偽なき信仰を念(おも)ふ。此信仰は前(さき)に汝の祖母ロイスに在り、又汝の母ユニケに在り、今汝にも在る事を信ずる也」と。
福音的神学の始祖と呼ばれる聖アウグスティヌスに、その母モニカがいた事は、人によく知られています。
聖クリソストムを初代のキリスト教界において絶大な信仰的勇者にした者は、彼の母アンスーサでした。その他グレゴリー、セオドレート等初代の教会の柱石であった者は、いずれもその信仰の基礎を、信仰の篤(あつ)い彼等の母に据えられた者であるとのことです。
クロムウェルの優しさ、人道的部分は、すべて彼の母から来たものであると言います。カーライルにクロムウェル伝を書かせたものもまた、信仰篤い彼の母であったと言います。
実にキリスト的母(クリスチャンマザー)がいて、クリスチャンホームがあり、クリスチャンホームがあって、キリスト的偉人が出たのです。もし人類の進歩の歴史から、キリスト的母(クリスチャンマザー)の事跡を引き去るならば、残るところは至ってわずかであろうと思います。
世に何が貴いと言って、キリスト的母(クリスチャンマザー)とクリスチャンホームに勝るものはありません。
◎さて、日本にホームがありますか。立派な邸宅はあります。しかしながら貴顕(きけん)紳商が築いた大邸宅は、ジェンナー、アダム・スミスを産み出す場所ではありません。
日本の家庭に芸術と礼儀とがあります。しかし温かい心と博(ひろ)い愛とがありません。日本の家庭に、稀に厳粛な正義が行われます。私どもはこれがあることを神に感謝します。
けれどもそのような家庭は、だんだんと減じつつあります。そして稀にある、いわゆる厳粛な日本人の家庭は、ホーム・スウィート・ホームではありません。聖(きよ)くてしかも楽しく、愛と正義が同時に行われるホームは、我が国においてどこに見ることが出来ますか。
私はこう言って、私の愛するこの日本国を呪うのではありません。ただ人生の至上善と称すべきホームが無いことを見て、少なくとも実に稀なのを見て、我が国のために歎き、これを建設する必要を痛切に感じるのです。
◎ キリスト教女子青年会の事業……それは種々様々です。日本の女子を、すべての点において引き上げなければなりません。しかしながら、我が国今日の状態に顧みて、国にホームを供給するに勝る事業があるでしょうか。
ホーム・スウィート・ホームを歌って、これを外国に在るものとして羨(うらや)むのではなくて、「
これは我がホームを歌ったものである」と言って、心からこれを歌い得る多くの青年男女を作るのに勝る事業があるでしょうか。
日本の社会の最大要求は、ホーム、即ちクリスチャンホームではありませんか。今やホームは作られないばかりでなく、既に在る日本流の家庭までが、盛んに破壊されつつあります。
堕落した文士と、堕落した新聞雑誌とが協同して、家庭の基礎を壊しつつあります。聖(きよ)い楽しいホームの無い所に、大人物も起らず、大国家も現れません。
「私の装飾(かざり)は是れであります」と言って自分の二人の息子を指さしたグラカス兄弟の母コルネリヤのような女がいたので、大ローマ帝国が起ったのです。英帝国が今日在るのもまた、同一の理由によるのです。
国家の建設を政治家や軍人だけに委ねておいてはいけません。これを敬虔(つつしみ)ある信仰の婦人に待たなければなりません。
私は簡単に申し上げます。
世界最大唯一のホーム建設者(ビルダー)はマリアの子イエスです。彼を心に迎えてキリスト者(クリスチャン)があります。彼を家に迎えてクリスチャンホームがあります。
彼が崇められない所に、キリスト者もホームもありません。先ず第一に彼を崇めなさい。彼に反対する者には反対しなさい。
彼が第一です。それ以外の事は、後の事です。
何も必ずしも今日の米国に倣う必要はありません。日本に最上のクリスチャンホームを作って、我が国を救い、また世界を救おうではありませんか。
◎ ついでに書き加えます。近頃起った有島武郎君の死には、私はもちろん大反対です。私は有島君にこの事があったことを悲しみ、社会国家のために憤慨に耐えません。
完