全集第28巻P18〜
天災と天罰および天恵
大正12年(1923年)10月1日
「主婦の友」7巻10号
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天災は読んで字の通り天災です。即ち天然の出来事です。これに何の不思議もありません。地震は地質学の原理に従い、充分に説明することの出来る事です。地震に正義も道徳もありません。
たとえ東京市は一人も悪人がおらず、その市会議員は尽く聖人であり、その婦人雑誌は尽く勤勉と温良と謙遜とを伝えるものであったとしても、地震は起るべき時には起ったに相違ありません。
しかしながら、無道徳の天然の出来事は、これに遭う人によって、恩恵にもなり、また刑罰にもなるのです。
そして地震以前の東京市民は、著しく堕落していたので、今回の出来事が、適当な天罰として、彼等によって感じられるのです。渋沢子爵は、東京市民を代表して、その良心の囁(ささや)きを述べて言われました。
今回の震災は未曾有の天災であると同時に、天譴(てんけん) であ
る。維新以来東京は、政治経済その他で全国の中心となって我が
国は発達して来たが、近来政治界は犬猫の争闘場と化し、経済界
もまた商道地に落ち、風教の退廃は、有島事件のような事を讃美
するにいたったから、この大災害は決して偶然ではない。云々。
(9月13日。「万朝報」所載)
実にその通りです。有島事件は風教堕落の絶下でした。東京市民の霊魂は、その財産と肉体とが滅びる前に、既に滅びていたのです。そのような市民に、あのような天災が臨んで、それが天譴(てんけん)または天罰として感じられるのは当然です。
昔時(むかし)ユダヤの預言者イザヤが、その民を責めて発した言葉に、次のようなものがあります。いわく、
嗚呼(ああ)罪を犯せる国人(くにびと)、邪曲(よこしま)を負ふ民、
悪を為す者の裔(すえ)……その頭(かしら)は病まざる所なく、その
心は疲れはてたり。
足の趾(うら)より頭(かしら)に至るまで、全き所なく、ただ創痍
(きず)と打傷(うちきず)と腫物とのみ。而(しか)して之を合はす
者なく包む者なく、亦(また)膏(あぶら)にて軟(やわら)ぐる者なし。
と。そしてその一字一句を取って、悉(ことごと)くこれを震災以前の東京市民に当てはめることが出来ます。
その議会と市会と、その劇場と呉服店と、そしてこれに出入りする軽佻浮薄(けいちょうふはく)な男女と、彼等が崇拝する文士思想家と、これを歓迎する雑誌新聞紙とを御覧なさい。
もし日本国がそのような国であるならば、日本人として生まれてきたことは、恥辱です。震災以前の日本国、殊に東京は義を慕う者にとって、居るに堪えない所でした。
ところがこの天災が臨みました。私どもは、その犠牲になった無辜(むこ)幾万のために泣きます。しかし彼等は、国民全体の罪を贖(あがな)うために死んだのです。彼等が悲惨な死を遂げたので、政治家はこの上痴愚を演じる事は出来ません。文士は「恋愛と芸術」を論じて、文壇を恣(ほしいまま)にすることは出来ません。
大地震によって、日本の天地は一掃されました。今から後、人は嫌でも緊張せざるを得ません。払った代償は莫大でした。しかし挽回(とりかえ)したものは、国民の良心です。これによって旧い日本において、旧い道徳は再び重んじられるようになりました。
新日本の建設は、ここに始まろうとしています。私は帝都の荒廃を目撃しながら、涙の内に日本国万歳を唱えます。
◇
以上を書き終わった後に、私は帝国劇場が一年以内に再び開場するとの事を聞きました。そんな事では東京市の本当の復興を期することは出来ません。
普通の場合においても、親や近親が死んだ時には、少なくとも一年の謹慎を守るではありませんか。
それなのに全市の3分の2を失い、同胞十数万人が死んだこの際、先ず第一に劇場の復活を計るとは何という薄情ですか。
私は、劇場は絶対的に悪いものであるとは言いません。しかしながら劇場の復活を以て都市の繁栄を計るような心がけでは、とうてい偉大な帝都の出現を望むことは出来ません。
先ず第一に計るべきは、焼失した無数の学校の復活です。また新たにできた多数の孤児を収容すべき孤児院の建設です。これを先にして、彼
(=劇場の復活)を後にするような心がけでなければ、この天災を変じて天恵とすることは出来ません。
私は再び「虚栄の街(ヴァニティー・フェア)」としての東京市を見たいとは思いません。敬虔(つつしみ)に満ちた、勤勉質素な東京市を見たいと思います。
完