全集第28巻P134〜
神田乃武君を葬る言葉
(『日々の生涯』1月4日の記事参考)。
大正13年(1924年)2月10日
「聖書之研究」283号
◎ 「
一たび死ぬる事と、死(しに)て審判(さばき)を受くる事とは人に定まれる事なり」と聖書にあります(ヘブル書9章27節)。
人は誰でも一度は死ぬ者ですが、死ぬばかりではない。死んで審判(さばき)を受ける者である。その事もまた死と共に彼に定められた事であると言うのが、この聖語の意味であると思います。
そして審判を受けるとは、「刑罰に処せられる」という事ではありません。
その価値(ねうち)を定められるという事です。人は善かれ悪しかれ、その価値を定められずには済まない。そしてその価値を定められるのは、彼が死んで後であると言うのです。
◎ ここに私たちの敬愛する神田乃武(ないぶ)君は死なれました。そしてその体(からだ)を遺族の手に委ねて、その霊魂は造物主(つくりぬし)の所に還(かえ)りました。
彼はそこで完全な審判を受けるのであって、人は誰もその審判に携わる権利を有しません。天に在(いま)す父なる神は、最も公平に、また最も寛大に、御自分が御造りになった人を裁かれると信じます。私どもは、死んだ者の死後の運命は、安心してこれを愛の父である真の神に委ねて良いと信じます。
◎ しかしながら神に代わって裁くのではなくて、私どもが知り、また量り得る範囲において、個人の価値を量り知ろうとすることは、私どもに許された事であると信じます。これは彼を批評しようとするのではありません。彼によって、人生の真理を学ぼうとするのです。
神田乃武君の一生を以て、神は私どもに何を教えて下さるのか、私どもはその事を知りたいと思うのです。
◎ 人の価値を定める標準は、四つあると思います。その第一は、彼のこの世における所有(もちもの)の高(たか)です。その第二は、彼の知識の程度です。その第三は、彼の事業の範囲ならびに性質です。その第四は、彼の品性即ち為人(ひととなり)です。
その内、第一は最も低いものであって、人の永遠の価値を定めるに当たっては、ほとんど標準とするに足りないものです。イエスは教えて言われました、「
戒心(こころ)して貪心(たんしん)を慎めよ。夫(そ)れ人の生命(いのち)は所畜(もちもの)の饒(ゆたか)なるに因らざる也」と(ルカ伝12章15節)。
富んでいる人が貴ばれるのは、たいていの場合はこの世限りです。「
我等何をも携へて世に来らず。亦(また)何をも携へて逝く能(あた)はざるは明かなり。故に衣食あらば之をもつて足れりとすべし」と聖書が教える通りです(テモテ前書6章7、8節)。
死が誰の場合においても教える大真理の一つは、この世の富の価値が至って少ないことです。
◎ 知識は確かに富以上の宝です。「子を教へざれば生まざるに若(し)かず」であって、人生の貴さの半面は、確かに知識の獲得ならびに拡張にあります。
しかしながら、知識が最上の宝でない事は、人が良く知っている事です。知識は主に天才または境遇の賜物であって、誰も自ら求めて学者となることは出来ません。
知識の上に事業があります。そして事業の上に品性があります。事業の成否は半ば境遇と時代に因ります。如何なる大人物といえども、所と時とを得なければ、事業を挙げることは出来ません。人の価値を、彼が成し遂げた事業を基に定めれば、私どもは彼の評価を誤る恐れがあります。
◎ 富と知識と事業、以上はいずれも貴いものですが、その上にさらに貴いものがあります。
それは品性または為人(ひととなり)です。
初めの三つはいずれも人の身に付いたものであって、人自身ではありません。これ等は取って剥(は)ぐことの出来るものであって、人にインヒア(固着)する特性ではありません。
もし私どもクリスチャンが信じているように、人に死後の生命があるとするならば、その所有として存(のこ)るものは、ただ品性だけであると思います。
人の永遠の価値は、彼が何を有(も)ったか、何を知ったか、何をしたかによって定まるものではなくて、彼がこれ等の事を為しつつあった間に得た、彼の品性または為人によって定まるのであると思います。
もし神田君に、その巧妙な英語で言わせるならば、A man’s value consists not in what he possesses, but in what he is. 人の価値は彼の所有(もちもの)に因らず、彼の為人に因る。彼が何を有(も)ったか、何を知ったか、何を為したかに因らず、
彼が何であったかに因る。
彼のポゼッションに因らず、彼のビーイングに因る。これは人の価値を定めるに当たって、最上最大の標準です。
◎ 今神田乃武君の一生涯を以上の標準に照らして観察して、私どもは何を学ぶのでしょうか。
第一に君は、養われて名家の後を襲(おそ)い、富豪とは言えないけれども、富の程度が高くないこの国において、中流以上の生活を営まれる地位に在りました。その点において、君は幸福な人でした。
君は日本人多数がするように、生活のために奮闘する必要がありませんでした。貧は決して恥じるべきものではなく、これに勝とうとして、品性上多く益する所があるとしても、貧は決して望ましいものではありません。
神田君の場合において、生活の資に豊かだった事は、君の紳士的気風を維持する上で有益であったと思います。
◎ 知識においても神田君は、普通以上の所有者でした。君はあるいは大学者と称する質(たち)の人ではなかったかも知れませんが、君の知識は広汎で、好くバランスの取れたものでした。
君は我が国において、英語学の泰斗として知られました。実(まこと)に君にとっては、英語は第二の国語であるよりは、むしろ第一の国語でした。
英語を解し得る者には、君は英語で文通されました。君は英語の真髄に達せられ、英語で話し、英語で考えられました。
英語は、マスターするのが容易な言語ではありません。ところが君は、アマースト大学在学中に、日本人でありながら、英語学第一等賞を勝ち取られたのです。君は確かに英語を英米人に教える力量(ちから)を持たれたと信じます。
もし神田君がその一生を米国において送られたならば、彼は第一流の英語学者として、米国でもてはやされたと思います。
◎ 君の事業としては、帝大に、商大に、外語に、正則中学校(
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A3%E5%89%87%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%AD%A6%E6%A0%A1 )の校長となりまた教鞭を取られたこと、また英和字典、リーダー等の編纂に成功された事は、人によく知られている事です。
そして君が殊に力を注がれたのは、正則中学校であったとの事です。これは単に英語を教えるための学校ではなかったのです。これは君が外山正一、元良勇次郎等の同志と共に、君の理想の教育を施そうという企図(くわだて)であったと思います。ところが事は志にかなわずに、君は大きな失望を感じられたとの事です。
君は米国育ちの学者でした。君を教育した米国マサチューセッツ州のアマースト・カレッジは、ニューイングランド精神の粋を集めた学校です。ここでは広汎で正確な知識が授けられると同時に、高潔な気品が養われます。
そして気品と知識といずれが貴ばれるかと言えば、もちろん気品が貴ばれます。教育とは良い専門家を作ることではなくて、先ず第一にジェントルマンを作ることであるとは、アマースト教育の根本です。
徳育においては、敬虔(パイアティー)と自由を重んじ、知育においては、知識の広くて堅い基礎を築こうとするのです。
私も幸いにも神田君が去った後に、アマーストに学んだ者であって、君と共にその特殊な教育に与った者です。そして神田君は、この種の教育を日本において施そうとしたのです。
ところが時勢は君にこの事を為すことを許しませんでした。誰が唱えだした事か知りませんが、明治22、23年ごろから、日本において、日本はすべての事においてドイツに倣うべきで、英米殊に米国に倣ってはならないと唱え出しました。
ドイツは帝国であるが、米国は共和国である。ゆえに米国に倣えば我が帝国の基礎を危うくする恐れがあるという思想が、一般に信じられるようになりました。そしてその結果として、すべての事がドイツ化され、教育もまたドイツに倣うようになりました。
このような事情で、米国に学んだ者は、一種の疑いの眼で見られ、その手腕をふるう途が絶たれました。そして神田君もまた、この災禍に遇った者の一人であって、君が君の地位と学識とを以てして、
より大きな事業を挙げられなかったのは、決して君の罪ではないと信じます。
もし日本に具眼者が在って、学ぶべきはドイツに止まらず、英米にもまた大いに学ぶべきだと主張し、神田君のような者を起こして、大いにその手腕をふるわせたならば、日本人今日の状態に、大いに見るべきものがあったろうと思います。
殊に普通教育においては、米国は世界の模範です。デモクラシーは、君国に背く事ではありません。人各自の価値を認めて、これを充分に発揮することです。善いデモクラットは共和国に在っては善良な市民であり、帝政国に在っては、忠良な臣です。神田君の一生が、よくその事を証明して余りあります。
君が最後の御奉公として、徳川公に随(したが)い、ワシントン会議に臨み、よく君国のために尽した事は、人のよく知る所です。
極端な社会主義や過激思想は、英国または米国には起こりません。その理由は明らかです。
デモクラシーを危険思想と見るほど浅い見方はないと信じます。神田君の一生がそのような見方に対する最も有力なプロテストであると信じます。
◎ そのようにして事業家としての神田乃武君は、失意の地位に居られたのであると思います。君を単に英語界の権威としてその有為な一生を終わらせたのは、国家のために惜しむべき事であると思います。
しかしながら、人は事業ではありません。得意も失意も、人生のアクシデントであるに過ぎません。人は人です。人の本当の価値は、彼の事業ではなくて、彼の為人(ひととなり)によって定まるのです。
彼の境遇と学識と事業とを離れて、神田君はどのような人であったか、これが君の価値を定めるに当たって、最上最大の問題です。
◎
神田君は第一にジェントルマンでした。君はどのような立場に立たれても、君のこの特性を失いませんでした。君は単に上品であったのではありません。
彼の心がジェントルマンだったのです。
君は性格として、下品な事に耐えられませんでした。下品な遊び、下品な談話、下品な交際に耐えられませんでした。君は社会上貴公子であったに止まりません。性格上の貴公子でした。
本当のノーブルでした。ゆえに君は、文明国いずれの社会に立っても、その尊敬を引きました。
そしてジェントルマンである事は、決して容易な事ではありません。すべての貴族が、決して貴族でないのです。その外部の風采、挙動、言葉使い等において紳士である事は、出来ない事ではありません。
けれども
性格的紳士である事、これは至って得難い事です。そして神田君は日本紳士として、世界到る所で光を放ちました。君に外交的手腕がなくても歎くに及びません。君は日本紳士として輝き、君の故国に対し、文明世界の尊敬を引きました。
◎
神田君は第二にデモクラットでした。君のアマースト教育がそうさせたのではないかと思います。私の知る貴族の中で、君ほど貴族らしくない人はいません。
私は常に思いました。もしすべての貴族が君のように平民的であって下さったならば、私たち平民は、どれほど幸福であるかと。神田君は御自分の価値で立たれました。ゆえに君は、爵位によって輝かずに、爵位は君を通して輝きました。
実(まこと)に君は英国民が敬愛して止まない平民的貴族の一人でした。君自身が大平民であって、平民を代表して貴族の列に加えられたように感じました。
◎ ジェントルマンであり、平民的であった神田君は、無私寡欲の人でした。Nobleness is he that nobles does. です。自己に求めることの強い人は紳士ではなく、平民ではなく、またノーブル即ち貴族ではありません。
そして時勢に逆らって働くのは無益であると知った後の神田君は、その全力を子女の教育に注がれました。その目的を達するためには、君は何物をも惜しまれませんでした。
そして君は、大体において、その目的を達せられたと思います。君の有為な子女たちは、新しい時世において、君の理想を行おうとしておられます。その点において、君は瞑して可なりと思います。
◎ 最後に残る問題は、神田君の宗教はどうであったかという事です。君はクリスチャンであったかという問題です。
私は君と数回会議する機会を与えられましたが、かつて一回も宗教の事に及んだ事はありません。諸君の御承知の通り、西洋の紳士社会において語ってならないものは、宗教と政治の二問題です。
しかしながら、私はかつて一回も、君がキリスト教を嘲り、または攻撃された事を聞きません。そればかりでなく、君は幾回もその広びやかな中野の邸宅を、私どもの宗教的集会に提供して下さいました。そして私どもが辞して去ろうとする時、却って君から私どもに対して礼を述べられました。
しかしながら、私が明確に君の信仰を窺うことが出来たのは、11月中旬に、私が君をその病床に見舞った時でした。
その時君は、ある問題に関して、君の意見を述べられるに当たって、君もまた「宣教師養成学校」と称えられたアマースト大学の産であって、君の心に植え付けられたのは、ニューイングランド独特のピューリタン的キリスト教であることを示されて、私は非常に嬉しく思いました。
そして死ぬ前日、君の次男八尺(やさか)君を私の許に送られ、私が君の葬儀を司るようにとの希望(のぞみ)を伝えられました。
翌日即ち臨終の5時間前に、私が君の枕辺を訪れ、君の委嘱に従い、君の葬儀は、
旧いアマースト流の信仰によって行うであろうとの事を、君の耳近くで述べた時に、君は「何分宜しく」との一言を以て答えられました。
そしてこれが、君がこの世で発せられた君の最後の一言であったと、後に遺族の方から伺いました。
実に神田君において、君のニューイングランドの母校の信仰は、あるいは教義として、または信仰箇条として表れませんでした。しかし性格として確かに明らかに現れました。
神田君は単にジェントルマンであったに止まりません。クリスチャン・ジェントルマンでした。君の母校を飾ったシーリー、ヒッチコック、タイラー等諸先輩の高潔な信仰は神田君に在って、広くて暖かく謹厳な性格として現れたのであると思います。
◎ これ以上を私どもは知りません。
Baron Kanda has returned to his God and creator. He led a quiet,
Useful life, not seeking his own, but good of others. He was a noble-
Man in every respect, in his body and mind and spirit
Himself a son of the East brought up in the West, he was a strong bond
of peace between the two. He was a Japanese Baron and an American
Doctors of Laws.
Both countries were proud of him, but he was quite unconscious of the
honours conferred upon him. He was a son of peace. Quarrels of
all kinds were impossible with him.
He was a peace-maker, and in the capacity he will be loved and
remembered by the posterity. And He that said: “Blessed are the peace-
makers: for they shall be called sons of God”, shall receive him and reward
him according to that capacity. May his soul rest in peace!
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付記
神田君は病気が急変して再び起(た)つことが出来ない事を知ると、その家人に告げて言った、「泣くな、Death is not death, but transition. (死は死に非ず、移動なり)」と。これは確かに死後生命の存在を確認した者の言葉である。長く君の胸中に蔵(かく)れていたアマースト時代の信仰が、死に臨んで現れたものであると思う。感謝である。
完