全集第29巻P85〜
パウロの欠点について
大正14年(1925年)4月10日
「聖書之研究」297号
2月12日、日本バプテスト教会教役者修養会で行った講演の一部
◎ パウロは理想の人ではない。彼に多くの欠点があった。彼は私の良い教師であり、信仰の兄弟であり、また友人である。けれども彼は、私の救主ではない。
私はパウロを、トマスがイエスを呼んだように、「我主よ、我神よ」と呼ぶことは出来ない。私はイエスを崇拝するが、パウロを敬愛する。パウロは私をキリストに導いてくれた。しかし彼はキリストではない。
「
噫(ああ)我れ困苦(なやめ)る人なる哉(かな)、此の死の体(からだ)より我を救はん者は誰ぞや」と叫んだパウロはやはり罪の人であって、完全な神の子ではなかった。
◎ パウロに多くの欠点があった。その事は使徒行伝に依っても、また彼が残した書簡に依っても明らかである。
しかしながら、彼に欠点があったことが、彼に対する私の
なつかし味を起こす。私はこれによって、彼が私の兄弟であることを知る。そしてまた、彼を救った道が、私を救う道であることを知る。
それだけではない。人の短所は、却ってその長所を示す。諺(ことわざ)に言う通り、「人の過失(あやまち)を見て、其仁を知る」のである。人の欠点は、時としてその美点を知る途(みち)となる。
パウロの欠点を知るのは、彼を知る最も好い途の一つである。そして事実を伝えて誤らない聖書は、パウロについてもまた、少なくはない欠点を伝えているのである。
◎ その明白なものの一つは、コリント前書9章15節に記されている彼の言葉である。彼は福音を宣伝(のべつた)える者は、福音によって生活する権利があることを長々と述べた後に言った。
然れど我は此(これ)等の事(権利)は一つをも用ゐず。又此(か)
くの如くせられん為に之を書送るに非ず。そは我が誇る所を
人に空しくせられんよりは、寧(むし)ろ死ぬるは我に善事な
れば也
と。これは随分思い切った言葉である。もし今の伝道師がそのような言葉を発したならば、彼は少なくとも過激・極端だと評せられるであろう。
パウロはここに言ったのである。「伝道師には、伝道によって生活する権利がある。穀物をこなす牛でさえ、口籠(くつこ)をかけられずに、こなしながら穀物を食う自由を与えられるではないか。まして伝道師はなおさらである。
けれども私はこの権利を行使しない。私は独り働いて、生活の事においては人を煩わさない。私は生活の事においては、独立伝道師である。
私は福音を宣伝えるに当たって、人が出費することなくキリストの福音を得させる。これは私の報賞(むくい)また誇りである。そしてこの誇りを人に空しくされるよりは、死ぬ方がむしろ私にとって善い事である」と言ったのである。
短い言葉で言い換えれば、「私の独立を失うよりは、私はむしろ死ぬことを欲する」と言うのである。これは果たして、謙遜で従順であるべきキリスト信者の言うべき言葉であろうか。生活の独立は、それほどまでに貴いものであろうか。
パウロ自身が、すぐ前に、伝道師は伝道によって生活する権利があると主張したではないか。ところが自分が主張したことを直ちに壊し、自分だけはこの権利を用いないと言い、さらにはこの権利を用いるよりは、むしろ死を選ぶと言う。
これは大きな自家撞着であって、人の教師たるべき者が決して口にすべからざる言葉であるように見える。あたかも日本武士が「恥をかくよりは死ぬ方が良い」と言うようなものであって、たとえその意地は賞すべきであるとしても、その態度は決して褒めるべきでない。
◎ 誠に自家撞着である。パウロはここに彼の
駄々っ子性を現していると言うことが出来る。この言葉によって現れた使徒パウロは、決して温良円満な君子でなかった。
しかし、彼の人となりが窺(うかが)われるではないか。パウロはこのような人であったのである。他人の権利は熱心にこれを弁護したが、自分の権利は、これを利用することを憚ったのである。権利は権利である。けれどもこれを用いるのも自由だし、用いないのも自由である。
人には全ての権利の上に自由の権利がある。受けるべきものを受けないのもまた、貴い自由である。そしてローマ市民権を有し、独立を誇ったタルソのパウロは、彼の伝道生活においても、依頼生活には耐えられなかったのである。
彼は依頼よりはむしろ死を欲したのである。彼がキリストの愛に強いられて伝道に従事せざるを得なかった時に、彼は服従と共に祈願を述べて言ったであろう。
主よ私は伝道に従事します。しかし、ただ一つの事を許して
下さい。生活の事については、私に独立を許して下さい。
伝道によって生活する権利だけは、これをアナタに奉還する
事を許して下さい。
と。こうして彼は終生自活伝道を実行した。時にはもちろん信者からの愛の贈物を受けて言い尽くせぬ感謝を表したが、しかし生活の事においては、彼は終りまで独立伝道師であった。彼がエペソの信者に別れを告げる時に言った。
我れ人の金銀衣服を貪りしことなし。我が此(この)手が我れ
及び我と共に在りし者の必要物を供へしことは、汝等が知る
所なり。 (使徒行伝20章33、34節)
と。自分の手を伸ばして「此(この)手が」と言った。この手によって生活して伝道したのである。そしてこの独立の名誉を傷つけられるよりは、むしろ死ぬ方が良いと彼は言った。「高貴なパウロよ、我は汝を愛する」と私は言いたくなる。
独立を過度に重んじるのは、欠点であると言い得ようが、世には依頼に満足する伝道師が多過ぎて、そのために福音が幾回となく汚されたことを思う時に、パウロの独立過重は決して悪事でないことが分かる。これは欠点であるとしても、愛すべき欠点であると思う。
◎ パウロの欠点の第二は、コリント前書16章8、9節に現れている。いわく、
我れペンテコステまでエペソに居らん。そは広く且(かつ)有効
なる門戸開けて我前に在り、また敵する者多ければなり。
と。これは普通の人から見て、不思議な言い分である。「我はなお暫くエペソに留まらん。そは広くして成功をもたらすべき見込ある門戸我前に開けたれば也」と言うなら誰にも分かる。けれども「敵多きが故に去らず」と言うのは不思議である。
これはパウロが意地っ張りだと言うより他に途がない。イエスは弟子たちに教えて言われた、「此(この)邑(むら)にて人、汝等を責めなば、他の邑(むら)に逃れよ」と(マタイ伝10章23節)。これは、敵を避けなさいと言うことである。
それにもかかわらずパウロは、「敵多きが故に我はエペソを去らず」と言うのである。キリスト信者の従順性を欠くように見えて、今の宣教師の目から見て、甚だ
おとなしくないのである。
◎ しかしながら、これが、パウロがパウロであるゆえんであると私は思う。独立を愛した彼は、またある程度の抵抗を愛した。彼は場合によっては退却するが、
敵の前に退却することを好まなかった。
ローマの市民権を有した彼に、ローマ人の武士気質があった。ローマの武士は言った、Vivere est militare (生きるのは戦いである)と。パウロもまたある種の戦闘を愛した。「敵多きが故に去らず」である。
今日の多くの伝道師がするように、「敵多きが故に去る」のではない。敵が絶えた後には去る。けれども敵がいる間は去らないと言うのである。実に勇ましい言い分である。
欠点と言えば欠点である。けれども独立過重と同じように、貴ぶべき、愛すべき欠点である。パウロはキリストの福音を委ねられて、ローマ帝国に伝道して、少しも
引けを取らなかったのである。
彼は、自分一人の方がローマ全帝国よりも強いと信じたのである。ゆえに敵が多いのを反って喜んだのである。大胆不敵なパウロよと言いたくなる。この元気があったので、彼は終生戦って、疲れなかったのである。
彼は今日見るような、女々しい伝道師ではなかった。彼は敢えて鉄拳を振るって敵に対しなかったが、敵の前に逃げるようなことはしなかった。彼は athletic preacher (運動家の伝道師)であった。私は彼にこの欠点があったので彼を愛せざるを得ない。
◎ パウロの第三の欠点は、これを使徒行伝16章12節以下において見ることが出来る。彼はシラスと共に、ピリピの市(まち)において獄舎に投じられ、多くの耐え難い凌辱(りょうじょく)を受けた。しかし神の奇跡によって救われ、終(つい)に自由の身となることが出来た。
しかしながら、彼は直ちにピリピを去らなかった。去る前に一つの悪戯(いたずら)をした。彼は彼の有するローマ市民権を振り回して市長を困らせ、全市を代表して彼に謝罪させ、その後で悠々と立ち去った。37節以下にいわく、
パウロ彼等(獄吏等)に曰ひけるは、我等ロマ人なるに罪を定
めずして公然我等を杖(むちう)ち且(かつ)獄(ひとや)に入れた
り。而(しか)して今窃(ひそ)かに我等を出さんとする乎。
宜しからず。彼等(上官等)自(みず)から来りて我等を引出(つ
れいだ)すべしと。
下吏(したやく)此(この)言(ことば)を上官等(つかさたち)に告
げければ、彼等そのロマ人なるを聞きて懼(おそ)れ、来りて
彼等に此より出んことを願ひ、終(つい)に彼等を引出してその
市(まち)を去らんことを請(ねが)へり。
二人の者獄(ひとや)を出て、ルデヤの家に入り、兄弟等に会ひ
之に勧めをなして、出去りぬ。
と。これは福音の伝道師として、しなくてもよい事である。悪を以て悪に報いてはならないのであって、ピリピの官吏等の侮辱に対してただ愛を以てこれに報い、彼等のために祈って、静かに出て行けば良いのである。
けれどもパウロは、それだけでは不足を感じた。彼は少し官吏たちをいじめてやりたかった。ゆえに彼が有するローマの市民権を振り回して……彼はたぶん身に携帯していた証書を取り出して示したのであろう……役人たちを困らせたのである。
そして彼等に、彼の前に跪(ひざまず)いて謝らせ、その後に大手を振るって獄舎の門を出て行ったのである。
人の悪いパウロである。彼はキリスト教の伝道師としては、すべきではない事をしたと、多くの人は言うであろう。私は思う、彼はこの時、会心の笑みを湛(たた)えて、同伴のシラスを顧みて、「痛快」を三呼(さんこ)したであろうと。
◎ これは確かに悪戯である。しかし、害のない悪戯である。もしパウロが杖で打たれる前に、彼のローマ市民権を示したならば、彼の非キリスト教的行為を責めても良いであろう。
けれども打つだけ打たせておいて、その後に彼の権利を主張したのだから、その点について、彼がした事に非難すべき所はない。
ただ少し官吏を困らせた所に、非難すべき所があるとも言えよう。しかしこれは無害な悪戯であって、伝道師も時にはこれぐらいの悪戯をしてもよいと思う。
伝道は真面目な事業であるが、しかし時には、諧謔(かいぎゃく)によって、これを緩和する必要がある。
人に必要なのはユーモアである。
世に真面目な人の深い笑いほど貴いものはない。誠実が解けて笑いとなって現れたもの、それがユーモアである。
全ての偉人にユーモアがあった。クロムウェルに在った。リンカーンに在り過ぎるほどあった。ジョンソンやカーライルに沢山にあった。
パウロに無い訳はない。そして在ったと私は信じる。ピリピにおいて彼がした事がその一つであったと思う。
私はここにパウロの人間味を見て喜ぶ。私は
聖パウロ以外に、
人パウロを知りたい。そして彼がした害のない悪戯にこれを見て、非常に喜ぶ。
パウロは私の近づき得ない人ではなかった。私はシラスに代わって彼の伝道旅行に同伴したいと思う。
(以下次回に続く)