全集第29巻P100〜
十字架の道
大正14年(1925年)5月10日〜15年7月10日
「聖書之研究」298〜312号
第一回 イエスの都入り マタイ伝21章1〜11節
◎ イエスの伝道的生涯は、これを三部に分かつことが出来る。その第一はガリラヤ伝道、第二は異邦伝道、第三はエルサレム伝道である。
第三は、伝道と称するよりも、むしろ殉教と言うべきである。イエスは民を教えるためにエルサレムに登られたのではなくて、死ぬために往かれたのである。マタイ伝20章17節以下に言う、
イエス、エルサレムに上る時、途上にて人を離れ、十二弟子
を伴ひて彼等に曰(い)ひけるは、我等エルサレムに上り、人
の子は祭司の長(おさ)と学者等に売(わた)されん。
彼等彼を死罪に定めん。また凌辱(なぶり)、鞭(むちう)ち、
十字架に釘(つ)けん為に異邦人に附(わた)すべしと。
死はイエスが覚悟されていた事であった。けれども「
預言者はエルサレムの外に殺さるゝことなし」と彼が言われたように、彼はエルサレムにおいて死ぬべく心を定められた(ルカ伝13章33節)。
故に彼は、ガリラヤならびに異邦の伝道を終えた後に、ことさらに自(みず)から求めて、エルサレムに上られたのである。ルカはイエスのこの決心を記して言った、「
イエス天に挙げらるゝ時満ちんとしたれば、御顔(みかお)を堅くエルサレムに向けて進まし給へり」と(ルカ伝9章51節改訳)。
常人の心で解し難いのは、イエスのこの都上りである。彼は自(みず)から死を求められたのである。聖都エルサレムにおいて死ぬ必要を感じられたのである。何のためにそうなのか、肉の人は今に至ってもその理由を知らない。
けれども、霊の人はよくこれを知る。イエス御自身が、明らかにその理由を示して言われた、
人の子の来るは、人を役(つか)ふ為に非ず。反(かえ)って人に
役はれ、又多くの人に代りて生命を与へ、其贖(あがない)と
ならん為なり。
(マタイ伝20章28節)
と。
人類の歴史において、イエスの都上りほど意味深長なものはない。その記事がドラマ的なのは、このためである。人生の悲劇喜劇を総合したものが、エルサレムにおけるイエス最後の一週間である。
◎ マタイ伝に従えば、イエスの都入りは、次の通りであった(21章1〜11節)。
彼等エルサレムに近づき、橄欖山(かんらんざん)のベテパゲ
に至りし時、イエス二人の弟子を遣(つかわ)さんとして彼等
に曰ひけるは、汝等向ふの村に往け。直(ただち)に繋(つな)
ぎたる驢馬(ろば)の其仔(そのこ)と共に在るに遇はん。
之を解きて我に牽(ひ)き来れ。若(も)し汝等に何か言ふ者あら
ば、「主の用なり」と言へ。然らば之を遣すべし。此(か)くな
せるは、預言者の言(ことば)に応(かな)はせん為なり。即ち、
シオンの女(むすめ)に告げよ
汝の王汝に来り給ふ
彼は柔和にして驢馬に乗り給ふ
荷を負ふ驢馬の仔に乗り給ふ。
弟子往きてイエスの命ぜし如くなし、驢馬と其仔を牽(ひ)き
来り、その上に己が衣を置きければ、イエス之に乗り給へり。
群衆の多数(おおく)は其衣を途(みち)に布(し)けり。
又或者は樹(き)の枝を斫(き)りて之を途(みち)に布けり。
而(しか)して前に行ける群衆と後に従ふ群衆とは叫んで言へり
ホザナ、ダビデの子に、
福(さいわ)ひなり主の名に託(よ)りて来る者は、
ホザナ、」いと高き処に。
斯(か)くて彼れエルサレムに入り給ひける時、全都挙りて騒立
(さわぎた)ち、曰ひけるは「此人は誰なる乎」と。群衆答へけ
るは、「彼は預言者イエスなり。ガリラヤのナザレの人なり」
と。
◎ 以上はイエスの凱旋(がいせん)的入城式と見る事が出来なくはない。群衆が衣を敷き、青葉を撒(ま)いてホザナ(万歳)を歓呼して彼を迎えたのである。彼の得意思うべしである。
山地将軍や乃木将軍が陥落した旅順城に乗り込んだ時も、そのようであったのではあるまいか。イエスは今やダビデの裔(すえ)として、王都エルサレム受け取りのために入城式を行われたと言うことが出来る。
◎ しかしながら、これはこの世の君たちの入城式でなかった事は明らかである。イエス御自身が、これは死を迎えるための都上りである事を知っておられた。かつまた、彼は群衆の歓迎を喜ぶような方ではない。
世人のいわゆる公的承認は、彼が最も嫌われた事であった。ゆえにこの場合における群衆の歓迎を、イエスが期待されていなかったに相違ない。
彼にもし入城式執行の意志があったならば、それは彼の少数の弟子たちと共に、粛々(しゅくしゅく)と行われるべきものであったろう。ところが意外にも、群衆が加わって、彼は少なからず聖意(みこころ)を痛められたであろう。
実に聖者の目から見て、群衆の万歳ほど厭(いや)らしいものはないのである。
◎ イエスの入城式であった。正統な王は、その都を受け取るべく進まれた。けれども剣一振りを腰に佩(お)びることなく、彼の身を守る兵一人おらず、平和の君はことさらに馬に乗らずにロバに乗られた。
「彼は柔和にして驢馬に乗り給ふ」と預言者が言った通りである。実に美(うる)わしく、崇(あが)むべき王である。彼に比べてこの世の王たちは顔色なしである。
◎ イエスの入城式である。全てのキリスト信者は、彼に倣うべきである。勝って兜(かぶと)の緒(お)を締めるでは足りない。
勝つために負けるのである。威権を繕(つくろ)って敵を嚇(おど)さないのである。反って謙遜(へりくだ)って弱さを示して恐れないのである。
イエスはエルサレム入都の際、柔和であってロバに乗られた。そこに神の子の姿が現れた。(2月1日)
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福音書における受難週間
◎ イエスの御生涯の内で、最後の一週間は、その最も大切な部分であった。その事は、福音書記者がその大部分をその記事に供しているので分かる。
マタイ伝は28章であって、その内8章は、いわゆる受難週間の記事である。簡潔なマルコ伝は、16章の内6章、即ち3割7分をこれに与えている。
ルカ伝は24章であって、その内6章は受難週間の記事である。ヨハネ伝などは、21章の内9章即ち4割3分をこれに割り当てている。
それによって、福音書記者等の目に映じたイエスの受難が如何(いかに)重大であったかが分かる。イエスは誠に死ぬために世に来られたのである。
「人の子の来るは……多くの人に代りて生命を与へ、其贖(あがない)とならん為なり」と彼御自身が言われた通りである。
(以上、5月10日)
(以下次回に続く)