全集第30巻P411〜
(「エステル書の研究」No.4)
その四 ハマンの悪計 エステル書第3、4章
◎ エステル書が示しているのは、ペルシャ帝国王宮の裏面である。その内に多少の公義公道が行われなかったわけではないけれども、その大体は専制独裁政治である。大王の意志が実際の国法である。
一人の人がインドからエジプトまで支配したのであって、彼の気まま勝手が、億兆の上に行われたのである。今から見れば恐ろしい状態であったが、しかしそのような状態が、人類の歴史において、数千年間続いたのである。
そして不幸な者は、被治者だけではなかった。治者である王もまた不幸な人であった。あるいは、彼は最も不幸な人であったと言うことが出来よう。
世に実は、制裁の無い人ほど不幸な人はいない。唯我独尊は決して幸福な立場ではない。気まま勝手を行えて、人の精神は萎靡(いび)し、品性は堕落し、知能もまた発達する機会がない。そのような状態に置かれた者の内に白痴狂人が多いのは、そのためである。
我が国の歴史にも、その実例は少なくない。北条高時などは、悪人と言うよりは、むしろ白痴であった。徳川五代将軍綱吉公などは、聡明な人であったが、その不幸な地位に禍(わざわい)されて、童子(わらべ)に等しい多くの事をした。
その他、今日でも、華族・富豪の子弟の内に狂人に類した、権衡(けんこう
:つりあい。平衡)を失った人が多いのは、これまた同一の理由で説明することが出来る。
人生に責任観念ほど貴いものはない。これがあるので人は重みをつけられて、知能を磨き品性を養成するのである。責任の無い者は、底荷(バラスト)のない船のように、常に人生の波に漂わせられる。
日本人の家庭において、賢者が総領に多くて、次男以下の者に少ないことの説明もまた、ここにあると思う。責任、制裁、義務の束縛、人生実はこれほど貴いものはない。
これを忌み嫌って、責任はなるべく避けて、気まま自由に生きようと思う近代人は、人生の貴さを全く忘れた者である。
◎ そしてアハシュエロス大王がこの災禍(わざわい)に見舞われた、好い実例である。彼は生まれつきあのように意志薄弱な人でなかったのであろう。彼がもし普通の家に生まれたならば、普通あるいは普通以上の人であったろう。
ところが不幸なことに、インドから地中海に至るまでの莫大な領土を譲り受けて、これを支配し得ず、反ってそれに支配されたのである。彼に自己の意志なるものは、ほとんど無くなった。彼は何事も時の感情caprice に従って行った。
小さなギリシャを罰しようとして5百万の大軍を起こし、ヘレスポントに橋を架してこれを欧州に運び、そして暴風がこれを破壊したのを見て、海を鞭打って、これを叱咤(しった)した。まるで小児の行動である。
そしてサラミスの海戦に大敗して、勇気はたちどころに消え、ペルシャに逃げ帰って、元の淫楽的生涯に入った。
彼がユダヤ婦人エステルを寵愛し始めたのは、多分この時であろう。彼の好愛は朝と夕とに変わった。今日の寵臣(ちょうしん)は、明日の逆徒であった。白楽天が太行路の歌で言っているように、
君見ずや左は納言右は納史、朝(あした)には恩を受け、暮には
死を賜ふ。行路難、水に在らず山に在らず。ただ人情反覆の間
に在り。
であった。アジア的圧政の厭うべき点はここにある。
◎ そしてこの時にアガグ人ハンメダタの子
ハマンが大王の寵愛を受けたのである。彼は一躍して大王に次ぐ、大帝国第一の人と成ったのである。
王、彼を高くして己と共に在る凡(すべ)ての牧伯(つかさ)の
上にその席を定めしむ。王の門にある王の諸臣皆な跪(ひざ
まず)きてハマンを拝せり。 (3章1、2節)
とある。ハマンの得意が思いやられる。ところがここに一人、彼ハマンに跪(ひざまず)かない者がいた。その人はユダヤ人
モルデカイであった。
彼は多分ハマンの人となりを知っていたのであろう。ハマンにとってもモルデカイは身中の刺(とげ)であったろう。これを除かなければ、彼の栄華も完全に彼を慰めることは出来なかったであろう。
けれども彼一人を除くのはあまりに易く、彼に対する彼の憎しみを表するに足りない。彼モルデカイの属する民族全体を絶やす方が良いと、彼はそう決心したのである。
そして彼の地位に在れば、これを実行するのは至って容易であった。王の許可は容易に得られた。王の寵愛によって得た大帝国宰相の地位を、彼の個人的遺恨を表するために用いようとした。
◎ 王にこの事を言上(ごんじょう)すると、王は直ちに許可を与えた。王の眼中には人民はなかった。ただ「お気に入り」があるだけであった。
直ちに国璽(こくじ)を彫(ほ)った指輪を取って、これをハマンに渡し、これを以てハマンが思うままの詔勅(しょうちょく)を作り、これを天下に布(し)けとの事であった。広い帝国の行政機関は、今や悉(ことごと)くハマンの手に在った。
アダルの月の13日に、天下のユダヤ人は、一日の内に殺されるべしとの勅令を発した。不道理極まる勅令であった。しかし、生命が安価な当時であった。
ユダヤ人を絶ち、銀1万タラント(およそ2千万円)を王の金庫に没収することが出来るであろうとの事であった。今も昔も一般に憎まれるユダヤ人であった。これを全滅させることに誰も反対を唱える者はなく、ハマンは人望にかなう大計画を作ったのである。
けれども神が御選びになった民である。その罪は大であるけれども、その責任もまた大きいのである。ユダヤ人は、一人の憎悪や大王の無情ぐらいで滅ぶべき民でない。
(5月1日)
(以上、9月10日)