全集第30巻P424〜
エデンの所在地
(この篇を読むに当たっては、なるべく精細な西部アジアの地図を参照する必要がある。)
創世記2章8〜14節の研究
昭和2年(1927年)9月10日
「聖書之研究」326号
◎ 聖書は宇宙ならびに人生に関する大問題を提出する。その他にまた多くの地理学上ならびに歴史上の大問題を提出する。聖書によって科学ならびに哲学の研究が促進されたように、地理学ならびに史学の研究もまた、聖書によって大いに奨励・刺激された。
今やエジプト学ならびにアッシリヤ学は厳然(げんぜん)たる専門的学科であるが、その起因(おこり)は聖書にある。幾多の大学者はその研究に没頭し、多くの驚くべき知識を近代文明に貢献した。
聖書を知らなければ、ナイル、ユーフラテスの両岸に起った太古文明を究めようとする熱心は起こらない。そしてまた、太古文明を知ることは、近代文明を知るために最も肝要である。考古学、それより人類学、これらはみな聖書の刺激を受けて始まったものである。
◎ その一例が、私たちが今夕研究しようとする「エデンの所在地」問題である。人類の始祖が置かれたと言うエデンの園はどこにあったかと言う問題である。創世記2章8節以下に言う、
エホバ神エデンの東の方に園を設けて、其造りし人を其処
(そこ)に置き給へり。……河エデンより出て園を潤し、彼処
(かしこ)より分れて四の源となれり。
其第一の名はピソンと云ふ。是は金あるハビラの地を繞
(めぐ)る者なり。其地の金は善し。又ブドラクと碧玉(へき
ぎょく)と彼処(かしこ)に在り。
第二の河の名はギホンと云ふ。是はクシの全地を繞る者
なり。第三の河の名はヒデケルと云ふ。是はアッシリヤ
の東に流るゝ者なり。第四の河の名はユフラテなり。
問題は、「この説明に合う地はどこにあるか」と言うことである。
◎ 先ず第一に知るべきは、エデンとは園の名ではなくて、園があった地方の名であるという事である。「神エデンの東の方に園を設けて云々」とある。
エデンという地方、その地はどこにあったかという問題である。
そしてこれを決めるのに四つの河の名がある。ピソンとギホンとヒデケルとユフラテ、これ等の四つの河が、その源をエデンに発したというのである。
故にもしこれ等の河を確かめることが出来るならば、エデンの所在地は分かるはずである。故に問題は、河の名の研究に帰するのであって、そしてその研究が、はなはだ困難なのである。
◎ 四つの河の名の内で、明白なのは第四のユフラテである。ヘブライ語のPerath は、ギリシャ語のEuphrat に当るとは、解し難い事でない。
次にやや明白なのはヒデケルである。ヘブライ語の Hiddekel は、アッシリヤ語の Idiklat の訛(なまり)であるとは、これまた受け入れるのが難しい事ではない。そしてイヂクラトは、今のチグリスである事は分かっている。
しかしながら、第一のピソンと第二のギホンとに至っては、それがどの河を指して言ったのであるか、分からない。そして考古学者の知識は、その探求のために注がれたのである。
◎
ユフラテと
チグリスがその源を同一の地方に発していることは分かっている。
即ち二つの河は、共にアルメニアの西南部に発しているのであって、ユフラテは始めは西に向かって流れ、チグリスは東に向かって流れて互に相離れるけれども、メソポタミヤに至って相接近し、終に合して一流となってペルシャ湾に注ぐのである。
故にピソンとギホンとは不明であるけれども、ユフラテとチグリスとの源がある所を知って、私たちはエデンが今のトルコ領のクルヂスタンならびにその北方のアルメニヤにあった事を推測することが出来る。
もしそうであるとすれば、ピソンとギホンとは、同じくこの地方に発する河でなくてはならない。そしてそういう河があるかと言うと、あるのである。
その一つは Araxes であり、他のものは Kur である。二者はいずれもすこぶる大河であって、二流は合して裏海
(カスピ海)に注ぐのである。
故にもしギホンとピソンとはアラキシスとクールであると証明する事が出来るならば、問題はここに容易く解けて、エデンの園はアルメニヤの南部、ワン湖畔、アララット山の南麓にあったと指定することが出来るのである。
◎ しかしながら、問題はそう容易ではないのである。もしピソンがアラキシスであると仮定すれば、その河は金とブドラクその他の宝石を産するハビラの地を繞(めぐ)って流れなければならない。ところがアラキシスの沿岸にそのような地があることを知らない。
またギホンはクシの全地を繞(めぐ)る河であるとある。そしてクシとはエジプト国ナイル河の上流、今のスーダン、アビシニヤ地方の名であった。故にコーカサス山の南方を流れる二大河は、いずれもこれに合わないのである。
そこでエデンはアルメニヤであったという説は、全く破れて、他に説明を求める必要が起こるのである。
◎ 今ここに学者によって提出された説の主なものを挙げれば、ほぼ次の通りである。
(a) カイル Keil
(おそらく https://en.wikipedia.org/wiki/Carl_Friedrich_Keil )に従えば、ピソンPishon はアラキシス Araxes またはクール Kur であって、ギホン Gihon はアラル海 Aral に注ぐオクザス Oxus である。
オクザスは一名これをジホウン Jihoun と言うのに徴して、この説が事実らしいことを知るべきだとの事である。
(b) 老デリッチ Franz Deliytsch
( https://en.wikipedia.org/wiki/Franz_Delitzsch )ならびにディルマン Dillmann
( https://en.wikipedia.org/wiki/August_Dillmann )に従えば、ピソンはインドのインダス河 Indus であり、ギホンはエジプトのナイル河であると言う。
創世記記者が地理に暗かったので、古代に知られた四大河が、同一の地方に源を発したと想像したことから、この記事が成ったのであるとの説である。
(c) セイス教授 Sayce
( https://en.wikipedia.org/wiki/Archibald_Sayce )に従えば、ピソンはメソポタミヤの河であって、ペルシャ湾に注ぎ、ギホンはチョアスペス河 Choaspes であって、ザグロス山脈の東南を排水して、同湾に注ぐものである。
エデンの園はペルシャ湾頭の西岸に位置し、四大流の河口は相接近して同湾に注いだので、「彼処(かしこ)より分れて四の源(あるいは水脈)となれり」と記されたという説である。
(d) 若デリッチ Friedrich Delitsch に従えば、ピソンはユフラテの右岸に開削されたパロコーパス大運河 Pallokopus であって、ギホンはチグリス、ユフラテ両河の間に開削され、今なお Shatt-en-Nil と称して、その跡を留める、これまた大規模な運河である。
故にエデンの園は、二大河が相接近し、二大運河がユフラテから分水する辺にあったのであるという説である。
(e) ホムメル Hommel の説によれば、ヒデケル、ピソン、ギホンの三流はアラビヤ砂漠を流れる渓水(ワディ)であって、Shirhan Rumma Dawasir の三渓水がユフラテ河の河口近くでペルシャ湾に注いだ辺にエデンの園はあったのであるという説である。
(f) パウロ・ハウプト(
https://en.wikipedia.org/wiki/Paul_Haupt )の説によれば、セイス教授の説が大体において正しく、ただしピソンはチョアスペスであって、ギホンはその東南に流れるカルンであると。
◎ こうしてエデンの所在地は未判定である。大家の説がこのように異なるのを見て、ある学者は、これは解決できない問題であるとみなし、これを不問に付そうとしている。
しかし私たちは、彼等に倣って失望するに及ばない。アラビヤ半島の地理学的探検は、今始まったばかりであると言う事ができる。いつ大発見があって、私たちを驚かすかも知れない。
そして学者は、今や非常に熱心に、アララット地方、ならびにコーカサス方面を研究しつつある。あるいはノアの方舟(はこぶね)の破片を発見し得ないとも限らない。難問題の解決は容易ではない。
百年二百年を経て解決できなくても、失望すべきでない。忍耐して研究を続け、また静かに解決を待つべきである。
◎ 私自身は、未だアルメニヤ説を捨てていない。アラキシスの上流を Pasis または Phasis と言う。これはピソンに近い音である。そしてまたその地方では、川は普通にジホンと称するということなので、今日のクールをギホンと呼んだ時があったかも知れない。
クシはカス(Kass)の事であって、ザグロス山脈北部の地名であったかも知れない。いずれにしろ
エデンはチグリス、ユフラテ二大河の源であるアルメニヤ南部ヴァン湖の辺にあったという説は、容易に捨てるべきものでない。
◎ アダム、エバは人類の始祖ではなく、白人種の祖先であったのである。セム、ハム、ヤペテと称して、アルメニヤ辺を中心に、アジア、アフリカ、ヨーロッパの三大陸に散在した白人種の祖先である。
そしてアダムを以て人類の文明、一名救済が始まったのである。聖書は神が人類を救われるその順序事績の記録であって、救いはアダムとエバとを以て始まったのである。
そして文明即ち救済史がアジア大陸の西部アルメニヤ辺で始まったことは、甚だ事実らしくある。
エデンの的確な所在地は知ることが出来ないけれども、その大体の位置を知ることは難しくない。
裏海、黒海、地中海、紅海、ペルシャ湾の沿岸からほとんど同距離の地点にあったと見て、多く誤りはないと思う。
こうして創世記もまた、「
巧みなる奇(あや)しき談(はなし)」(ペテロ後書1章16節)ではない。これは歴史的事実を語るものであって、地理学に基礎を置くものである。
(大正14年2月8日ならびに15日の2回にわたって行った講演の梗概
(こうがい))
完