全集第31巻P23〜
(「イザヤ書の研究」No.6)
その六 罪の本源 1章2〜9節
◎ 律法と言い、預言と言い、福音と言い、その目的は一つであって、人を罪から救うことにある。罪を責めるのは、罪を知らせるためである。そして罪を知らせるために、罪の本源を示さなければならない。
罪は単に過誤(あやまち)でない。また科(とが)でない。世のいわゆる罪とは罪の結果であって、罪そのものでない。イザヤ書が罪の本源の指摘を以て始まるのは、この書に最も相応しい事である。
◎ 預言者はエホバに代って、イスラエルを訴えて言う、
我れ子を養ひ育てしに彼等我に叛(そむ)けり。
と。
父がその子を訴える言葉である。イスラエルは、その父エホバに対して不孝の罪を犯したと言う。
罪は多いけれども、最大の罪は不孝の罪である。子を持って知る親の恩と言う。真にそうである。
一人の子を育て上げる親の苦労心配、数え尽すことが出来ない。そしてその親に叛(そむ)いて、子は最大の罪を犯すのである。まことに「天よ聴け、地よ耳を傾けよ」である。もし親が子のために尽した心労・辛苦を子が知るならば、これに叛き得るはずがない。
人なる親においてそうである。まして神なる親の場合はなおさらである。神が人を造られた努力は実に絶大であった。近世科学は、よくその事を示す。いわゆる進化の過程がそれである。
地球の歴史、生物の歴史、人類の歴史がその事を明らかにする。人は容易に成った者でない。億万年の神の辛苦に成った者である。万物の霊長であると言うのは、造化の最後の作であると言うのである。
その者が神に叛いたと言うのである。神の御失望、御嘆き、実に例えようがないのである。人の親の嘆きは言うまでもないが、神なる父の御嘆きは特別である。神にもまた、耐え難い御嘆きがある。親がその子に叛かれた嘆きに、千万倍した嘆きである。思うだけでも恐ろしい。
イスラエルは、この罪を犯したのである。そして人類全体が、今なおこの罪を犯しつつある。私もあなたもこの罪を犯したのである。
◎ 牛はその持主を知り、ロバはその主人が供する馬槽(うまぶね)を知る。けれどもイスラエルは知らず、エホバの民は悟らない。
「禽獣(きんじゅう)かつ恩を知る。況(いわん)や人に於てをや」。けれども事実はそれと異なり、恩を知らない事において、人は禽獣に劣るのである。人は無神を唱えて恥じず、神に対する不孝は、その常性である。
実に驚くほかない。天よ聴け、地よ耳を傾けよである。
◎ そして神を侮り、彼を捨てた結果はどうか。「
全頭は病み、全心は疲る。足の趾(うら)より首(こうべ)の頂に至るまで、健全な所なし」(イザヤ書1章5、6節参考)という有様である。
その本(もと)が病んで、その末(すえ)病まない所はない。まことに当然である。イスラエルはエホバを捨て、その聖者を侮(あなど)り、彼と離絶したので、この憐れむべき状態に立ち至ったのである。
そしてそれはイスラエルだけに限らない。どの人も、社会も、国家も、その造主である神を離れてここに至らないものはない。腐敗と言い、堕落と言い、うわべの事でない。神に対する不孝の結果である。
政治家ならびに社会改良家の過誤(あやまり)はここにある。彼等は罪の本源に触れずに、その表面を矯(た)めようとするので、その目的を果たさないのである。
不孝の子に幸福は来ず、不信の徒に平和は臨まない。人を根本的に改めたいと思うなら、彼に真の宗教を与えざるを得ない。
西洋の諺(ことわざ)に言う、Be right with God and all will be right.(神と正しい関係に入れ。そうすれば万事が正しくなる)と。
宗教は罪の本源を除く道である。人の神に対する反逆を癒して、彼の全部を善くする道である。
◎ ここに至って知る、その根本の精神において、キリスト教は儒教と異なっていない事を。儒教の本源は、孝道にある。いわく、
夫(そ)れ孝は徳の本也。……親を愛する者は、敢(あえ)て人を
悪(にく)まず。親を敬う者は敢て人を慢(あなど)らず。愛敬親
に事(つか)ふに尽して、然(しか)して後徳教百姓に加はり、四
海に刑(のっと)る。 (孝経) 参考: http://jigen.net/koten/koukyou_11
即ち、
孝であれば、忠かつ仁なりという意味である。その内に深い真理がある。しかしながら、キリスト教はさらに深い所まで孝を運ぶ。
神に対する孝が諸徳の本であると教える。
「
汝心を尽し、精神を尽し、意を尽して主なる汝の神を愛すべし」と教える。すべての善行はここに発し、すべての福祉(さいわい)はここに起こる。儒教の源に遡(さかのぼ)れば、聖書の教えに達せざるを得ない。
「
汝の父と母とを敬ふべし」という十戒第5条は、
人の神に対する義務として教えられる。神を愛することによってのみ、真の孝道は行われる。
◎ 我が国の今日はどうか。政治、実業、教育、宗教、すべてが行き詰まりである。「足の趾(うら)より首(こうべ)の頂に至るまで健全なる所なし」とはまた、我が国今日の状態ではないか。
そしてそのような状態になった原因はどこにあるか。キリスト教を信じないからであると言うならば、国民の多数は怒り、また嘲るであろう。しかし天祖の恩を忘れたからであると言うならば、彼等にしても否定することは出来まい。
日本人もまた、恩を知らない民と成りつつある。その忠君はたいてい口先だけの忠君である。今や子の反逆に遭って嘆く親は数えきれない。師の中で、弟子の反逆に遭わない者はどこにいるか。
商家は忠実な番頭を得るのに苦しみ、恩を施してもそれが報いられる例(ためし)は滅多にない。
真の宗教が無いからである。万物の造主なる父なる神との和(やわら)ぎが無いからである。
(11月13日)
祈 祷
◎ 私たちの主イエス・キリストの御父なる讃美すべき真の神様、御恵みにより今日もまた、何の故障もなく、私たち一同ここに集まることが出来、この尊い御教えに与ることが出来て感謝いたします。
貴神(あなた)が預言者を以て、イスラエルの民の罪を責められたその御言葉は、一々私たちに当ります。私たちもまた貴神に養い育てられたのに、貴神を忘れ、貴神に叛きました。
まことに私たちはその事において、禽獣に劣ります。私たちは何よりも先ず第一に、自己を愛します。
貴神から全ての物をいただきながら、貴神に感謝せず、自分の知恵と能力(ちから)とによって得たと思い、これを貴神に献(ささ)げようとせず、自分のために用いようとします。そしてたまたま不幸が身に臨めば、自分の悪を思わずに、自分の不幸を憐れみます。
神様、どうぞ私たちを貴神(あなた)の御教えに従わせ、私たちの罪の本源を悟らせて下さい。また私たちに臨むすべての患苦(なやみ)のもとを知らせて下さい。
貴神を知ることが知恵の初めであり、貴神を父として仰ぐことが、幸福の基(もとい)であることを覚らせて下さい。
願わくは私たちも、社会も、国家も、人類も、恵みの父なる貴神に帰依することによって、全ての傷と苦痛(いたみ)を癒され、真の平和に入らせて下さい。救主イエス・キリストの聖名(みな)によって御聴き下さい。
(以下次回に続く)