全集第31巻P151〜
故横井時雄君の為に弁じる
昭和3年(1928年)5月10日・6月10日
「聖書之研究」334・335号
これは去る月14日、東京青山会館において催された、同君の追悼
演説会において行った演説の草稿である。
◎ 横井君の永眠直後でした。私は大阪のある新聞で、君の生涯につき、次のような意味の批評を加えているのを読みました。
横井氏は学者として失敗し、宗教家として失敗し、また政治家
として失敗した。氏は何事にも貫徹せずして、その一生を終っ
た。
と。そしてこれは、横井君について多くの人が下す判断です。そして外部に現れた君の生涯を顧みて、一面の真理を語るものであると見て、差支えありません。
しかしながら、この失敗には理由があります。そして私ども君の友人にとっては、君のこの失敗こそ、まことに君の人となりを語るのです。
◎ 横井君は、成ろうと思えば学者、宗教家、政治家のいずれにも成り得たのです。君はその才能において、明治時代の日本人の何人にも劣りませんでした。
しかしながら、君は学者、宗教家、政治家のいずれにも成り得なかったのです。君の性質がそうさせたのです。
君は第一に、生まれつき正直でした。第二に強い愛国心が遺伝性として君にありました。第三に君は早くキリストを知り、熱心なキリスト信者に成りました。
正直と愛国と信仰、この三つが君の特性でした。そしてこの三つがそろって同時に君の心に宿ったので、君は三者のいずれにも成り得なかったのです。
◎
横井君が学者に成り得なかったのは、君のキリスト教の信仰によります。もし君が、キャプテン・ジェンス氏からキリスト教を受けなかったならば、君は直ちに熊本を去って上京し、開成学校に入り、明治の14年か15年に法学士または文学士と成り、海外に留学し、博士となって大学教授の椅子に、君の身を落ち着けたでしょう。
しかしながら、君は当時新たにキリストの御顔に現れた神の栄光を認め、その光を同胞に分かつためには、何物をも捨てても良いという熱心に燃えました。
そしてその熱心に駆られて、東京に止まらずに京都に行きました。開成学校を終らずに同志社神学校に入りました。そして卒業して一個の若い牧師と成りました。学界にとり、実に惜しむべき事でした。
横井君は、キリスト教のために、学者となる野心を捨てたのです。
もちろん、横井君について言える事を、君の同級生の多数について言い得ます。故山崎君について、海老名君について、小崎君について、その他の諸君について言い得ます。これ等の諸君は、キリストのために、また日本国のために、学者となる野心を放棄したのです。
まことに貴い放棄です。こんな放棄をする者は、日本青年中に、滅多にいません。今日の青年の中に、大学に入り得る資格を備えた者で、大学に入らずに伝道師に成ろうと思う者は、どこにいますか。
それだから、横井君の学者に成り損ないは、君にとって、決して恥ではありません。いや、大きな名誉です。君は福音と国のために、学者に成り損なったのです。
◎ その横井君が、どうして宗教家に成り得なかったか、これは一見して解し難いように見えます。しかしながら、横井君を知る者は、その理由を知るのに苦しみません。
君の信仰が君を学者にさせなかったように、君の愛国心が君を宗教に終始一貫させなかったのです。君は伝道に多大な功績を挙げました。君の今治伝道は、明治年間の我が国地方伝道のうちで、そうそうたる者でした。
そして同一の伝道を中央において試みようと思って、君は高壇に、文壇に多大な功績を挙げました。もし横井君が普通の伝道師であったならば、君はこれを継続して終ったに相違ありません。
ところが君には他にアンビションがあったのです。聖なるアンビションがあったのです。
君は日本国を救おうと思ったのです。しかも
早く、君の一生の内に救おうと思ったのです。
そして伝道に従事すること20年、功績に見るべきものはあったけれども、しかしそれは、君の理想から遥かに遠く離れていました。
君はじれったくなったのです。私が君の口から聞いた、最も悲しい言葉はこれでした。君はある日私どもに告げて言われました、「君!
伝道ではとても駄目だよ、僕は……」と。彼は伝道を止めて政治を試みるよとの事でした。
ああ、横井君、あの時を思って、僕は今なお涙がこぼれる。あの時は、君のライフの危機であった。ああ、あの時僕ら君の友人は、何故(なぜ)君を引き止め得なかったのであろうか。
しかし僕らにも、ドロウバック(ひけめ)があった。僕らも伝道の効果を疑い出していた。信者は内に争い、共同一致の見込みなく、キリスト教界のこの憐れむべき状態を目にして、僕ら自身も、伝道によって日本国を救い得ようとは信じ得なくなった。
君と相前後して金森君も当分伝道を止め、松村君も方法を改め、押川君も他に方向を転じました。この時有為な士はことごとく伝道界を去って、残る者はヤクザ者ばかりであるような観がしました。
私は思います。もし私に、横井君にあった才能と家柄と引きがあったならば、私も君と共に政治界に入ったであろうと。
しかしながら、今から思えば、君にとっては不幸、私にとっては幸福であって、私には君のような門閥はなく、また伊藤公とか西園寺公とかいうようなこの世の権力者の引きもありませんでした。
故に横井君は、直ちに代議士となり、勅任参事官と成ることが出来ましたが、私には駄目とは思いながらも、旧い古い福音を宣伝(のべつた)えるより他に途がありませんでした。
◎ しかしながら、この時私どもは横井君と離れましたが、唯一の事においては、深い一致がありました。それは、「日本国の為に」という事でした。
横井君も私どもも、明治の初年においてキリスト教を信じたのは、自分の霊魂が救われるためよりも、むしろ日本国を精神的に救うためでした。
イエスと日本国、二つのJ、その内のどちらが貴いかと訊かれたならば、どっちがどっちとも答え得なかったのであります。
そのような次第なので、
キリスト教の宣伝は終に日本国を救えないという考えに達すれば、これを廃して他に方法を試みたのは、少しも不思議でありません。
国の為に伝道に努力した横井君が、終(つい)に国の為に伝道を止めて政治に入ったのは、君の立場としては、少しも矛盾ではありません。君は充分に良心の承諾を得て、この道を取ったのです。故に私ども君の友人は、君を引き止める事は出来ませんでした。
信仰が君を同志社に追いやったように、愛国心が君を政治界に追いやったのです。そして後の結果によって私どもは、愛国心が君を禍(わざわい)した事を思って、悲しんだのです。
◎ 横井君は愛国心に追いやられて、政治界に入りました。そしてそこにもまた、君の成功を妨げる者が、君の心の内にありました。それは君の
正直でした。殊に、
キリスト教の信仰によって鋭くされた正直でした。
日本の政治界は泥沼です。その中に、君のような清士が入ったのです。清水に魚住まずと言いますが、泥水にアユやヤマベのような清水を愛する魚は住みません。
横井君が日本の政治界に入ったのは、多摩川のアユが、誤って東京市内の溝(どぶ)泥に落ちたのと同じです。アユは死なざるを得ません。正直な横井君は、瀕死の状態に陥りました。悲しみの極みです。
しかし横井君は、泥海に在っても、清士のように振舞いました。君は何事をも包み隠しませんでした。他人の罪は、これを自分が担いました。「横井時雄君の入獄」とは、明治歴史の悲劇(トラジディー)です。しかし君でなければ演じることの出来ない悲劇であったと思います。
私は天上の裁判において、地上の裁判が君に言い渡した罪の大部分は、取り消されるであろうと思います。政治によって日本国を救おうと思った君を、政治は精神的に殺しました。憎むべきは、日本今日の政治ではありませんか。
◎ このようにして横井君の生涯の失敗は、これを説明することが出来ると思います。横井君は、信仰+愛国+正直のコンビネーション(加合)でした。そしてその各々(おのおの)に妨げられて、君はいずれにも徹底しませんでした。
そして君の失敗は、君が免れることの出来ない失敗であったと思います。人の過失(あやまち)を見て、その仁を知ると言いますが、私どもは横井君の過失を見て、横井君を知るのです。
横井君が、同時に信仰家で愛国者で正直な人であったので、この過失に陥ったのであると思います。
◎ 政治界を退いて、君の公的生涯は終りました。見ようによっては、これで君の生涯そのものが終ったと言えるでしょう。
しかしながら、神は知っておられます。君自身にとっては、その残りの生涯が、最も大切な生涯であったことを。
君の長所であってまた短所であったことは、君があまりに国家社会を思って、自身を思わなかったことです。君の信仰までが、国家的でした。
私はその点について、しばしば君と議論を闘わせました。私は霊魂の救いの大切を唱えましたが、それに対して横井君は国家人類の救いの大切を説かれました。
舞子の浜で開かれた青年会の夏期学校において、横井君が
現世的キリスト教を主張された後を受けて、私は同じ高壇に立って、
来世的キリスト教を主張しました。
仲は至って良かったのですが、宗教論を闘わすごとに、議論は終(つい)に物別れになりました。要するに君は外に広がろうと思い、私は内に深くなろうと思ったのです。そして君の失敗と世が見做すものは、君のこの傾向によったのであると思います。
君は快活で、楽天的だったので、私の陰鬱なピューリタン的信仰には、とうてい耐えられなかったのです。
しかし一得一失です。
君もまた内省的信仰を要しました。日本国をも救うべきでしたが、君自身の霊魂をも救うべきでした。そして君の終りの二十有余年の生涯が、君にとってこのための生涯であったと思います。
君はこの間に、神の栄光を君自身の内に拝しました。現世は頼むに足りず、来世に真の安息を得られました。キリストは、君の霊魂の救主として、新たに君に現れて下さいました。
君はその生涯の終りにおいて、君が青年時代に見出した、神の子イエス・キリストを君の心に迎えて、今やこの世の知識も、政治も、宗教も、君の清い心を誘わず、英語で
Nearer my God to Thee
Nearer to Thee
と歌いつつ、静かに眠ってくれたと信じます。
(以上、5月10日)
(旅人注) 横井時雄については、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%AA%E4%BA%95%E6%99%82%E9%9B%84 参考
(以下次回に続く)