全集第31巻P165〜
結婚の意義
今井一、原タツ結婚式の辞
昭和3年(1928年)5月23日述
昭和7年版「内村鑑三全集」19巻より
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初めに神 天地を造り給へり。
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神言ひ給ひけるは、我らに象(かたど)りて、我らの像(かたち)の如くに我ら人を造り、之に海の魚と天空(そら)の鳥と、家畜と、全地と地に匍(は)ふ所の諸(すべて)の昆虫(はうもの)とを治めしめんと。
神其像(かたち)の如くに人を造り給へり。即ち神の像の如くに之を造り、之を男と女とに造り給へり。
神彼等に言ひ給ひけるは、生めよ、殖(ふえ)よ、地に満てよ、之を服(したが)はせよ、又海の魚と天空の鳥と、地に動く所の諸(すべて)の生物を治めよ。
神言ひ給ひけるは、視よ、我れ全地の面に在る諸の草と諸(すべて)の樹(き)とを汝等に与ふ。之は汝らの糧(かて)となるべし。
神其造りたる諸の物を視(み)たまひけるに甚だ善かりき。夕あり朝ありき。是れ六日なり。
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エホバ神言ひ給ひけるは、人独(ひと)りなるは宜しからず。我れ彼に適(かな)ふ助者(たすけ)を彼の為に造らんと。是に於てエホバ神アダムを深く眠らしめ、眠りし時、其胸の骨の一を取り、之を以て女を造り、之をアダムの所に伴ひ来り給へり。
アダム曰ひけるは、此(これ)こそ我が骨の骨、我が肉の肉なり。此(これ)は男(イッシ)より取りたる者なれば、之をイッシャーと名(なず)くべし。是故に人は其父母を離れて其妻に合ひ、二人一体となるべし。
◎ 結婚は神が定められた律令(おきて)であって、人生の必要です。神は人を男女に造られたとあります。即ち人を男女に分けて造られたとの事です。男女はいずれも人の半分であって、二者合一して一人の人と成るとの事です。
男だけでは人でなく、女と共になって一人の人となり、女もまたそうであるとの事です。簡単であって、深い真理また人生の事実です。
◎ 故に結婚は、単に幸福の点から考えることは出来ません。また血統伝承の必要から論じることは出来ません。結婚は、人格完成の必要から考えるべきであると思います。
ある特別の場合を除いては、結婚は男女いずれにとっても、その本分を全うするために必要であるのです。結婚により男はさらに男らしくなり、女はさらに女らしくなるのです。
これに幸福が伴うのは、これにこの人格養成上の必要があるからです。神は人を男女に分けて造られて、単独生活ならびに自己満足の害を矯(た)めて、共同生活ならびに相互信頼の道を設けられたのです。
「神言ひ給ひけるは、人独りなるは宜しからず。我れ彼の為に適(かな)ふ助者(たすけ)を造らん」とあるのは、この事であると思います。「助者」は補充者です。欠けた所を補う者です。
◎ 補充者です。故に対等です。ただし、単なる法律上の対等ではありません。実質上の対等です。女が男に負うだけ、それだけ男は女に負う所があるのです。
対等です。故に相互に対して尊敬があります。本当の愛は、尊敬の在る所にだけ在ります。神はアダムの胸の骨を取ってエバを造られたとは、この事を示しています。
女はもちろん男の首(かしら)ではありません。それだからと言って、その手足ではありません。女は男の胸です。ヴァイタルです。生命の中枢です。これを敬い、弱い貴い器としてこれを保護すべきなのは、このためです。
◎ 対等です。しかし、神が定められた順序があります。「女の首(かしら)は男なり。男は女より出しに非ず。女は男より出しなり。男は女の為に造られしに非ず。女は男の為に造られし也」とあります。
男は神の代表者として造られ、女は男の補助者として造られたのです。共に神に仕えるべきです。しかし男は指導者として、女は
助けてとして仕えるべきです。この場合において、妻が夫に従うのは、神に従う途(みち)です。従うのは、従われるのと同じだけ神聖であり、また名誉です。
神の律法に従う所においてだけ真の自由があります。男は神を首(かしら)にいただいて真の自由を得、女は神の代表者である男を首(かしら)にいただいて、これまた真の自由を得るのです。
◎ このようにして、結婚は単に一人の男と一人の女とのために行われる事ではありません。家のため、社会のため、国のためであり、さらに神のため、世界人類のためです。
人は誰でも自分のために生きず、また死なずとあるので、結婚もまた自分のために行うのではありません。これによって社会の幸福を増進するため、また神の御栄光を顕すためです。
そして結婚を公的に解して、結婚生活を公益のために営もうと努める所に、そこに神の祝福が豊かに加わって、本当の幸福が宿るのです。
願わくは私どもが今ここに行おうとするこの結婚が、その意味において恵まれた幸福な結婚であることを祈ります。
完