全集第31巻P172〜
来世問題の研究
昭和3年(1928年)6月10日・7月10日
「聖書之研究」335・336号
その一 人生の最大問題 ルカ伝16章19節以下
◎ 人生に問題はいくらでもあります。政治、経済、社会、教育、産業、交通と、数えれば際限がありません。
その内のどれが最大問題であるかは、時と場合によって違います。しかし、これら全てが似たり寄ったりの問題であって、いずれを大とし小としても、結局同じです。即ちすべてが人生問題であって、わずか100年足らずの、地上の生涯に関わる問題です。
即ち地上を離れては、無い問題であって、各個人に取っては、死ねば消える問題です。
◎ 人間には果して、人生問題以上に問題がないのでしょうか。「無い」と現代人は答えます。今やキリスト信者と称する人までが、地上の生命以外に注意を払いません。
近頃の事でした。米国アマースト大学の歴史学の教授某は言いました、「私たちの祖先は、神学によって来世を究めようとしたけれども、現代の私たちはそうではなくて、歴史、経済、社会、心理等の諸学によって、古来稀なりというこの短い生涯を幸福にしようとして努力する云々」と。
このアマースト大学とは、米国において宗教的精神の最も濃厚な学校として認められ、伝道師養成学校という綽名(あだな)をさえ取った学校であって、我が国の新島襄君を出し、私自身も学んだことのある学校です。
ところがこの学校においても、現世以上に学者が攻究すべき問題はないと、その教授によって公然と唱えられるようになって、今や人類全体が、殊更(ことさら)に世界の指導者だと自ら任じる米国人が、その全注意を、この小さな地球と、その上に営まれる短い生涯とに払いつつあることが、よく分かります。
今やもし「人生の最大問題は何か」という質問を掲げて世界に問うならば、千人が千人、万人が万人、産業問題、産業を基礎とする幸福増進問題と答えるに相違ありません。
そしてキリスト教会までが、この「世界精神」に捕らわれて、いずれも「この世を善くする事」を、宗教家の特別の任務であると思うようになりました。
◎ しかしながら、これは果たして人生の本当の見方でしょうか。欧米諸大学の教授、キリスト教会の監督、長老、博士等は何と言っても、キリスト御自身はそう御考えにならなかったことは、明確です。
キリスト御自身は、明白に言われました、
生命を保全(まっとう)せんとする者は之を失ひ、我が為に其
生命を失ふ者は之を得べし。若し人、全世界を得るとも、其
生命を失はば、何の益あらん乎。また人何を以て其生命に
易(か)へんや。 (マタイ伝16章25、26節)
と。ここに主は明白に言われました。世に生命よりも貴いものがある。それはキリスト即ち御自身である。世界よりも貴いものがある。それは真の生命、即ち世界が失せても失せない生命であると。
そしてその生命の主である彼を信じ、限りない生命に入ること、その事が人生第一の目的であると、彼は明らかに教えられたのです。四福音書を読んでみて、イエスのこの精神を見落とすことは出来ません。
近代人が、キリスト教を現世改善の機関であるかのように見做すのは、全く間違った聖書の見方です。
地上の生命以外に生命があるかどうかは別問題として、
イエスならびに使徒たちが、来世本位の人たちであった事は、疑う余地はありません。新約聖書のどこを開いて見ても、来世気分は満ち溢れています。
アマースト大学の教授が持つような気分は、初代のキリスト信者には全然ありませんでした。来世本位、来世に備えるための現世、現世の意義は、そこに在ったのです。
イエスは番頭のたとえ話に教訓を付して言われました、
我れ汝等に告げん。不義の財を以て己が友を得よ。此は乏し
からん時に彼等、汝等を永遠の住宅(すまい)に迎へんが為な
り。 (ルカ伝16章9節)
と。不義のために使われやすい財産を以て、未来永遠の生命に入る準備をしなさいという教えです。
来世本位の財産観です。
近代人のそれとは全く異なります。最大限度に現世を楽しむための財産であるように見る米国人の見方は、イエスがとうてい許容されないものです。
◎ 私がここに引用したルカ伝16章19節以下の言葉、即ち富者と貧者ラザロとの話は、たとえ話であるか、事実談であるか、良くは分かりません。来世は事実上、ここに記されているような者ではないと思います。
しかしながら、来世が有ることを実感しない者が、そのような光景を描くはずはありません。
イエスがもし自ら証しされたように、地に属する者ではなくて、天から降った者であるならば、彼は私たちが地の事を知るように、明らかに天の事を知っておられたに相違ありません。故に彼は、ここに御自身が目撃された事を語っておられるのであると思います。
「
天より降り、天に居る人の子の外に天に昇りし者なし……彼は自ら其見し所、聞きし所の事を証す」(ヨハネ伝3章13節、同32節)。
そして地に在って天の事を証しするのに、地の言葉を以てするのは、止むを得ません。乞食ラザロの話は、文字通りには事実でなくても、原理としては真理であるに相違ありません。来世が有ることは確実です。
(2月5日)
(以下次回に続く)