全集第31巻P194〜
生物学者を葬る言葉
4月5日、故農学士木村徳蔵氏の葬儀にて述べたもの
昭和3年(1928年)6月10日
「聖書之研究」335号
◎
生物学者が生について教える事の第一は、死の勢力です。出生は死の始めです。人はすべての生物と共に、死ぬために生れるのです。
宇宙全体を観察して、私たちは、生は暫時的な、一局部に限られた現象であることを知ります。虚空はすべて死の所在地です。海は死を蔵(かく)します。陸も10尺以下はすべて死です。
私たちは、毎日毎時死に直面しています。故に生は危ういもの、脆(もろ)いもの、風前の灯のようなものです。天然の少しの狂いで、死は万物を呑み去る可能性があります。そのような宇宙に在って、死ほど確実なものはありません。
その死を恐れ、悲しみ、死に襲われたからと言って驚くのは、何と不用意な事でありませんか。冷静に生物学を研究して、私たちは死に遭って、生がその必然の帰結に達したことを知り、却て喜ぶべきであると思います。
◎ これに対し、
生物学が生について教える事の第二は、生の勢力です。生の歴史を研究して私たちはその根強いのに驚きます。
生は如何にして無生の地球に達したかは、大きな問題です。あるいは他の世界から芽胞(スポア)として虚空(スペース)通過して達したのだと言い、あるいは太陽の光線の内に生は含まれていると言います。
いずれにしろ生は今日まで、永い永い間の危険極まる生存を続けたのです。そして単に生存しただけでなく、驚くべき発達を遂げたのです。
単一の細胞が、終(つい)に生物となって、全世界を覆うに至ったのです。何という偉大な勢力ではありませんか。何億万年死と戦って、生は亡びなかっただけでなく、増加し、成長し、発達したのです。生のその力と言うものは、実に遥かに死以上です。
まことに詩人ブライアントが歌ったように、
Life mocks the idle hate
Of his arch-enemy Death --- yea seats himself
Upon the tyrant’s throne --- the sepulcher,
And of the triumphs of his ghastly foe
Makes his own nourishment
(旅人試訳)
生は嘲笑う
彼の大敵である死の空しい憎悪を。
生は暴君の王座である墓の上に腰を下ろす。
そして(生は)彼の醜悪な敵の勝利を
彼自身の栄養とする。
であります。生はその大敵である死の意味のない憎しみを嘲り、彼が座する座位(くらい)に座し、墓を足下に踏まえ、この青白い敵から得た獲物を、自分が成長を計るための栄養とするとの事です。
このようにして死が生を呑みつくすのでなくして、生が死を征服するのです。
恐るべきは死ではなくて、生です。
◎ このように考えて、私たちが今ここに葬ろうとする、死んだ敬うべき生物学者に対すると、私たちは、死が彼に在って生に打ち勝ったと信じ得ないのです。
生はその存在の始めから、死に打ち勝って来たのです。今彼に在って、生は死に負けてそれに呑み尽されたのでしょうか。私はそう信じることは出来ません。
聖書の言葉で言うならば、神は御自身が造られたものを、御捨てにならないのです。
進化億万年の結果である生が、終に死に呑み尽されるとは、私は生物学の立場に立って、信じ得ないのです。
◎ もちろん生物学だけで来世は解りません。「
キリスト死を滅し生命と朽ちざる事とを顕明(あきらか)にせり」です。
復活と永生とは、人類が研究の結果として知った事ではありません。これは上から示された事です。キリストによって来世が明らかに示されて、人類は死に勝つ途(みち)を示されたのです。
そして今や生物学が、神のこの啓示に共鳴するのです。私たちは今や生物学者として無神論者になり、キリスト教を捨てる必要は、少しも無いのです。
進化の原理は、決して優勝劣敗ではありません。最上の生命は、倫理的生命です。自己に死んで自己に生きる生命です。そしてこの生命を実験した者は、肉体の死と共に死なないと言うのです。
◎ こうして私たちは、今は遺骨となって残る私たちの友人は死んでいないと言うのです。神がキリストを通して示して下さった事を、私の友人の立場から、即ち生物学の立場から信じ得るのです。
今や、サー・オリバー・ロッジ(
https://en.wikipedia.org/wiki/Oliver_Lodge )や、アルフレッド・ウォレス(
https://en.wikipedia.org/wiki/Alfred_Russel_Wallace )等の老大学者は、人の死後存在は科学的に証明された事実であると唱えます。
神の子の証明に、これに加えて今日まで世に生れ出た大偉人の多数の証明があり、さらに加えて近世生物学の結論があるので、私たちは死後の生命とその発達とを信じて間違わないと信じます。
◎ 「愛は死よりも強し」と言います。そして愛は、生命の精(エッセンス)です。神に聴き、天然に学んで、私たちは失望の人となることは出来ません。
今私たちの友人の遺骨に対して、キリストがその友ラザロの死体に対して言われた言葉を繰り返して良いと思います。
我等の友ラザロは寝(い)ねたり……我は甦(よみがえ)りなり、
生命(いのち)なり、我を信ずる者は、死ぬるとも生くべし。
(ヨハネ伝11章11、25節)
私たちの友木村君は、生物学者として終りまでキリストを信じたのです。
完