全集第33巻P27〜
(日記No.8 1918年(大正7年) 58歳)
11月4日(月) 晴
休養の月曜日である。庭の小菊と山茶花(さざんか)が満開であって、大いに私の疲れた霊を慰めた。
この日三人の来客があった。その一人は旧い農学士であった。彼は人生の困憊(こんぱい)について語った。精神修養としては、催眠術の使用によると述べた。彼は容易に何人をも神とすることが出来ると言った(催眠術によって)。そして最後に私に金3百円の調達を求めた。
私はもちろんその要求に応じなかった。私は彼に告げて言った、「福音の宣伝者である私の家には、金銭の貸借は一切ない。私たちは愛を以て贈り、愛を以て受ける。証文とか利息とかいう事は、この家においては、その文字の発音をさえ聞かない」と。
彼が去って後に、私は深い感慨に打たれた。私は第一に、彼に対して深い同情を禁じ得なかった。第二に真の精神教育を伴わない実業教育が終(つい)にここに至らざるを得ないことを思って悲しんだ。
事業、成功、蓄財と、ああ農学校よ、汝は幾人の信仰的勇者を生んだか。汝の子等の多数は、人生の失敗に倒れ、またその成功に腐れつつあるではないか。
汝は今こそ自己(おのれ)に省みて、汝の途(みち)を改めるのでなければ、汝は無数の失敗児の母となって終るであろう。ああ農学校よ、神を畏れるのは、また農学の始めであることを覚れ。
11月5日(火) 雨
風邪が未だ全く去らず、陰鬱(いんうつ)な一日であった。主な仕事は、雑誌の校正であった。
鰻(うなぎ)の新研究について読んだ。私が魚類学を捨ててから、実に驚くべき進歩である。鰻の発生の大略が判明したのである。多くの大学者がその闡明(せんめい)に従事した。その一人が日本人(丸川氏)であった事は、私たちが大いに誇るべき事である。
鰻が私たちの食膳に上る前に、六七年の生涯と三千余マイルの移転旅行があったとは、驚くべき事実である。世に奇跡が無いと言うのは嘘(うそ)である。人の一生、鰻の一生、共に奇跡である。
後者について簡単明瞭な事実を知りたいと思う者は、私がかつて本誌において紹介したJ・A・トムソン著「科学入門」第150頁以下を読むべきである。A・ミーク著「魚類移転論」の記事は、詳細にわたっていて面白い。
11月6日(水) 雨
引き続き陰鬱な天候である。近年に稀な、悪い秋である。印刷所から校正が来るのを待っていたが来ず、甚だ手持ち無沙汰であった。少し聖書の研究をした。
法学士岩永裕吉が渡米に際して暇乞(いとまご)いに見えた。久しぶりに彼に面会して非常に嬉しかった。彼に託してわずかばかりのクリスマスプレゼントを米国の旧友に送った。こうして同時に二個の旧い友誼を温めたように感じた。
岩永が去った後に、医学士藤本武平二が見えた。彼もまた久しぶりの訪問であった。彼は我が家のこの夜の祈祷会に列した。後に彼と玄米食の利益について語った。若い学士たちと彼等各自の専門について語るのは、大きな快楽である。
11月7日(木) 曇
百年前には英国の敵は仏国であった。そして英国はドイツと与(くみ)して仏国に当り、終(つい)にこれを潰(つぶ)してしまった。
1815年ワーテルローの戦争に、英国のウェリントン将軍がドイツのブルーヘル将軍と連合して、仏国のナポレオン大帝を破った時に、歓呼の声は英独両国において同時に揚がったのである。
ところが百年後の今日においては、英国の大敵はドイツであって、英国は仏国と与して二者の共同の敵であるドイツに当り、そして米国がこれに加わって、世界平和の攪乱者として、カイザー治下の中央帝国を倒そうとしつつある。
そして彼等は多分その目的を達するであろう。ドイツ帝国の壊滅は、今や時間の問題に過ぎない。
しかし、今から百年後には、どのように成って行くであろうか。昨日の味方は今日の敵である。今日の敵はまた、明日の味方となるのではあるまいか。
今や陸海軍の大拡張を行いつつある米国は、ドイツを敵に持った英国と衝突するに至らないか。海洋の自由は、米国の唱えるところであり、英国の嫌うところである。
百年後には、いや実に百年を待たずに、この問題が「争闘の骨」となって、英米が開戦するに至るのではあるまいか。そしてその時には、復活したドイツが米国の味方となって、英国を攻めるのではあるまいか。
歴史は繰り返すと言う。そんな事も無いとも限らない。多分あるであろう。いずれにしても、今回の大戦争の終結を以て、戦争は廃(すた)らない。その反対に、この大戦争によって、さらに大きな戦争は醸(かも)されつつある。
聖書が教える事が、やはり真実である。戦争は人間の努力によっては止まない。大統領ウィルソンが如何に偉大でも、「鼻より息の出入する人」である。来るべき者が来るまでは、戦争は止まない。そして彼は必ず来られる。そして平和はその時必ず地に臨むのである。
以上は、私が昨夜藤本医学士と共に語った事である。
11月8日(金) 曇
キリスト再臨研究東京大会を青年会館で開いた。来会者は、昼は五百余名、夜は六百名、地方からの来会者も多かった。感冒大流行のこの際、これだけの会衆を得たことは、大成功と称せざるを得ない。
頌栄(しょうえい)あり、証詞(しょうし)あり、外国宣教師の英語講演あり、ピアノあり、バイオリンありで、甚だ盛会である。私は開会の主旨を述べ、また夜に入って「聖書と再臨」について語った。
この日会衆に最も強い感動を与えた者は、京都松岡帰之氏の証詞であった。聖書は神と人との間に成立した契約、故に一点一画でも、これを尊重しなければならないとは、私たち一同の主張であった。私たちは我が国における福音の「新規播き直し」の責任を感じた。
夜10時閉会、家に帰って床に就いたのは、12時であった。
11月9日(土) 曇
数日の曇天続きには厭(いや)になった。再臨大会第二日である。
午後2時開会。群馬県富岡組合教会牧師住谷天来氏の証詞があった。組合側の再臨信仰の告白として特に注意を引いた。
続いて聖公会英国宣教師バンカム氏の英語講演があった。氏の英民族イスラエル説は、だいぶ問題となった。
その後で私が英語講演をする予定であったが、外国人の出席があまりに少数だったので、私はその責任を免れ、私自身の国語を以て語ることとなり、大いに安意(リリーフ)を感じた。
そこで、 The Second Coming of Christ Viewed from Speculative Standpoint と題して英語で科学・哲学の立場からキリスト再臨を論じようとする私の計画を止めて、同一の論旨をマタイ伝26章29節によって述べることにした。
もちろん聴衆の大多数は、プログラムのこの変更を喜んだ。日本における会合において外国語を用いることは、今回限りで廃することに決心した。
外国宣教師のこの会に対する態度は、極めて冷淡であった。しかしながら、明治学院のオルトマン氏、聖公会のバンカム氏ならびにミス・ボイド、北海道野付牛のミセス・ピヤソン、
下関のコルテス氏、青山女学院のミス・スペンサー、千葉のミス・ピーターソン、聖書会社のオーレル氏、近頃来朝のミス・ワイドナー、その他二三の人々は大いなる同情と熱心とを以てこの会に対せられ、
その多数は三日間続けて昼も夜も出席されて、私たちと、天からの祝福を分かち合った。これだけあれば沢山である。
これ等の外国の兄弟姉妹と共に、主の再臨を証明して、彼等によって代表される外国数百戦万の同信の友と共に、この信仰を証明したのである。
午後7時再開、藤井武氏とコルテス氏とは「ユダヤ人とキリスト再臨」について、私は「地理学的中心としてのエルサレム」について、特別に聖書学院の教員諸氏によって調製された大地図を用いて語り、かつ説明した。来聴者は昼夜ともに昨日と多く異ならなかった。
(以下次回に続く)