全集第34巻P106〜
(日記No.162 1922年(大正11年) 62歳)
10月29日(日) 晴
菊花(きくか)香(かぐわ)しい秋晴の聖日であった。大手町は相変わらず盛会であった。マルコ伝1章1節を講じ、自分ながらその壮大に撃たれた。こんな麗しい日に、こんな熱信な聴衆に向って、こんな大きな題目に就て語ることが出来て、感謝と歓喜この上なしであった。
10月30日(月) 晴
「米国地理学雑誌」10月号が届き、それがアフリカ号であったので、終日これを耽読(たんどく)して、大きな興味を感じた。タンガニカ湖上英独海戦記に血を沸かした。
コンゴ河上流の沿岸に住む黒人で、一キリスト者と成った者に関する記事を読んで、強く心を惹かれざるを得なかった。一首が唇から滑り出した。
我子をば遠きコンゴの河辺(かわべり)に
住むニグローの内に求めん。
10月31日(火) 曇
我が国において教育制度が発布されて以来、満50年であると言う。誠に賀すべき事である。しかしながら、過去半百年の間に、我が国において本当の教育が行われたか、甚だ疑わしい。
文字を知り、学術を学ぶ意味の教育は行われたが、人物を作り、真理を愛する意味の教育は行われない。日本の諸学校は、よく金を稼ぐ人間を出したが、本当に国と真理と人類とを愛する人物を産まない。実に痛嘆の極みである。
11月1日(水) 曇
アフリカのマダガスカル島の地理歴史について読み、フランス人のこの島における行政施設について憤慨せざるを得なかった。
マダガスカル島の人民歴史に、大いに日本に似た所がある。殊に百年ならずして自(みず)からキリスト教国に成った所に、同情すべき所がある。ところが今やフランスのような不信国の属国となる。不幸この上なしである。
福音を植える者は欧米人であるが、これを壊す者もまた欧米人である。マダガスカル島の場合を考えてみても、私たちは決して欧米人に頼ってはならない。
11月2日(木) 半晴
第2回の世界伝道会を衛生会小講堂において催した。来会者60名、私はアフリカ大陸の地理の大略ならびに伝道の大要について語った。
この日、満鉄調査課に勤務する道生君の出席があった。満州における英国ならびにデンマーク国教師の支那人間における伝道について語られ、一同は強い感に打たれた。
彼等の事業に比べてみて、私自身の今日の伝道など、伝道の名を以て称するに足りない事を感じた。営口のカーソン、海城のマッキンタイア、遼陽のダグラス、吉林のグリーン等、みな伝道界の勇士勇女であることを知らされて、大いに私の伝道心を鼓舞された。
この日伝道金として53円余の寄付があった。前回以上の成功であった。
11月3日(金) 晴
校正で多忙である。英国から帰朝した好本督君の訪問があった。盲人伝道について語り、日本におけるその発展を祝した。私の信仰の友の中から、そのような平信徒伝道者が起こったことを、天父に感謝せざるを得ない。
◎ 近日メキシコ国エスキントラに向って出立する清水夫人サヘ子と共に彼女の友人三人を招いて、送別の夕食を共にした。私の伝道師を遠く太平洋の彼岸に送るかのように感じた。一首を賦して彼女を励ました。
メキシコやポポカ テビテル ソコヌスコ
旗風高く揚がる十字架
彼女が赴(おもむ)こうとするメキシコ国チャパズ州は、面積2万8千平方マイルあって、ほぼ我が北海道大である。そこの人口は40万人に過ぎない。
鉱物に富み、大森林があり、五穀は一つとして実らないものはなく、第一等のコーヒーとチョコレートとを産する。我が同志が続々と彼の地に行って、聖書と鋤とで新郷土を拓くことを望む。
11月4日(土) 晴
また小人国における一日を送った。人は相互を妬(ねた)み嫉(そね)み、その成功を羨(うらや)み、その失敗を喜ぶ。毎日の不愉快は例えようがない。その点において、小児も大人も、職人も官吏も商人も、学者も僧侶も牧師も何も異なる所はない。
みな尽(ことごと)く小人である。ただ極めて少数の神の人がある。時にその一人に接するのは無上の愉楽(たのしみ)である。薩長藩閥政府は、その教育制度を以て、日本国を完全な小人国と成すことに成功した。実に憤慨の至りである。
11月5日(日) 半晴
快い秋の聖日であった。中央講演会は、相変わらず満員の盛会であった。マルコ伝研究第2回、「先駆者ヨハネ」について語った。
義人バプテスマのヨハネを紹介し、かつ弁護して、大きな義務を果たしたように感じ、非常に気持ちが良かった。イエスを讃えようとしてヨハネを貶(おとし)めることを快しとする近代の日米の教会信者に対し、私もまた憤慨なしにいられない。
この日好本督君が講壇に登り、盲人間の福音的事業について語ってくれ、一同大いに教えられる所があった。私たちは特別に社会事業または伝道事業には従事しないが、私たちの間に人知れず静かに大きな永久的事業を行いつつある者がいることを知って、感謝に堪えない。
神の言葉である聖書を説いて、すべての善い事業は挙がらざるを得ない。聖書である、実に聖書こそすべての基である。
11月6日(月) 曇
田島進君の訪問があった。札幌独立教会新築献堂式に列席し、帰ってその状況を報告するためであった。夕飯を共にし、4時間にわたって談じた。一時は消滅するかと気遣われた札幌独立教会が、天父の恩恵により、ここに復興の機運に入ったことを知って、感謝に堪えない。
宣教師と宣教師的教会とは、幾度かこの我が国唯一の独立教会を呪い、その建築計画さえ
立ち腐りとなって終るであろうと言いふらした。
けれども神は、彼の地の旧友、殊に同信同級同室の友である理学博士ドクトル宮部金吾君に特別の能力を与え、終(つい)に彼等に工を終らせ、新たに我が若き信仰の友である法学士金沢常雄を送って、その牧師とし、単純な福音主義の上に旧いこの教会を立て直して下さったことは、実に感謝の至りである。
神は日本において、独立信仰を恵んで下さり、多くの悪戦苦闘の内に、その発達を助けて下さりつつあることを感謝する。神は必ず日本人を以て、日本を救われるであろう。札幌独立基督教会は、その最初の試みとして存し、かつ栄えなければならない。
11月7日(火) 晴
久し振りに、朝鮮金定植君の訪問を受けた。前と変わらない信仰の光に輝く君の容貌(ようぼう)に接して楽しかった。
君に会うごとに思うのは、
キリストに在って成る日鮮合同が確実な事である。政治家や軍人や実業家はどうか知らないが、私は日本人であり、金君は朝鮮人であるが、私たちは
キリストに在って真の兄弟である。
11月8日(水) 雨
使徒行伝の研究に、大きな興味を覚えつつある。昨日はステパノの殉教について、今日はピリポの伝道について学んだ。二人共に平信徒であって、十二使徒が為し得ないことをした。
聖書はどこを見ても、平信徒対教職の書である。真理は常に平信徒によって進められ、教職はその後に従う。「
エルサレムに居る使徒等サマリヤ已に神の道を受けたりと聞きて、ペテロとヨハネを彼処(かしこ)に遣はす」(8章14節)とある。
平信徒ピリポが開いた伝道地へ使徒たちが入ってきたのである。牧師だから、または宣教師だからと自(みず)から思う時に、神は教師ではない者を以て、その大きな聖業(みしごと)を行われる。有難い事である。
11月9日(木) 曇
昨日から今日にかけて3人の訪問客があった。その一人は第一高等学校の一年生であって、彼は私に、私のキリスト再臨の信仰について注意することがあると言って訪問した。
第二は上州安中の人であって、彼は故新島襄氏の伝を著したので、海老名弾正氏と共に、その序文または紹介文を書いてくれと言って訪問した。
第三は高等女子師範学校の生徒であって、彼女の信仰上の疑問を解いてもらいたいという祈願(ねがい)を以て訪問した。
第一は不快であった。私は彼の心的健全を疑わざるを得なかった。第二も余り快くなかった。自分が著した書を、私に押し付けるように見えて、近代人特有の自己中心主義の発揮を認めざるを得なかった。
第三は気持ちが良かった。真面目で、謙遜で、しとやかで、信仰の深い事を語って、少しも嫌に感じなかった。
敢えて絶対的に訪問客を拒絶すると言うのではない。ただし宗教狂と自己押し売り人の訪問は、甚だ有難くないのである。
謙遜と道理とを欠く人は、援(たす)けようと思っても助ける事が出来ない。私を教え、または利用しようと思う者は来るな。教えられ、または兄弟の愛を以て援けようと思う者は来なさい。
(以下次回に続く)