全集第34巻P169〜
(日記No.178 1923年(大正12年) 63歳)
4月22日(日) 半晴
八重桜満開の麗しい春の日である。市中は引き続き花見客で混雑したが、講演会はいつもの通り厳粛であった。「空の鳥と野の百合花」と題し、マタイ伝6章19節以下を講じた。
春の日に相応しい題目であって、「野の百合花」即ちアネモネ(
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8D%E3%83%A2%E3%83%8D )の真赤に咲いた者を手に持ちながら語ることが出来て、幸福この上なしであった。
殊にこの日、東京市の道路建築係が講堂の前にコンクリート製造機械を据え付けたにも関わらず、講演中1時間以上、特にその運転を中止してくれたのは、実に有難かった。帝都の中央において聖書の研究に対してこの同情があるのは、実に感謝に堪えない。
4月23日(月) 曇
相変わらず疲労の月曜日であった。ある人からの手紙に、「キリストに愛せらるゝ先生」と書いてあったが、愛されるかどうかは、自分は知らない。ただ彼に使われることは確かである。
私もまたパウロと同じく、「キリストの僕(しもべ)」である。
彼に使役される奴僕である。人が自分について何と言おうと、自分が自分について如何に思おうと、自分の過去に省みて、自分以外のある者が、自分を使役されつつあったことを疑うことは出来ない。
彼に愛されるかどうかは全く別問題として、自分が彼の属(もの)であることだけは明らかである。この点において、自分を嫌う多くの人たちも多分異存はあるまいと思う。
4月24日(火) 曇
雑誌編集に半日を費やした。二三日来、哲学者ライプニッツ(
https://en.wikipedia.org/wiki/Gottfried_Wilhelm_Leibniz )の伝記ならびに哲学を読み、大きな興味と慰安とを覚えた。
哲学者は別に教会をも起さず、弟子をも作らず、真理を究め、その永存を確信してこれを世に遺して逝く。その点において、彼は宗教家に勝ること数等である。
私もその点においては哲学者に学んで、宗教家に倣うまいと思う。後継者を残そうと思うようなことは、そもそも不信の行為である。後継者は神が起こされる。人が計策を弄(ろう)してこれを求める必要は少しもない。
スピノザなどは、孤立無援の人であったが、大真理を発見闡明(せんめい)したので、彼の哲学と感化とは、年と共に益々盛んである。教会または団体に依るのでなければ維持されない真理などは、消滅する方が良い。
私は福音の説きっぱなしをして逝く覚悟である。私が死んだ後に「自分こそは内村の後継者である」と言う者があるならば、その人は私の反逆者であると認めてもらいたい。
4月25日(水) 雨
人類が在って以来、全世界が今日ほど暗黒であった時はなかったと思う。今日までの暗黒は部分的であったが、今日のそれは全般的である。全ヨーロッパが暗いだけでなく、今日まで人類の希望をつないできた米国までが暗い。
それではキリスト教会はどうかと言えば、これまた混沌とした状態である。誠に「
視(み)よ暗(くらき)は地を覆ひ、闇(やみ)は諸(もろもろ)の民を掩(おお)はん」(イザヤ書60章2節)とあるのはこの時である。
けれども直ぐその後に言う、「
然れど汝の上にはエホバ照出(てりいで)たまひてその栄光汝の上に顕(あら)はるべし」(同3節)と。人には誰にも頼ることが出来ない。けれども光明は近くにある。
世界的暗黒は世界光明の前兆である。今は忍耐の時である。同時にまた希望の時である。遠からずして最暗黒の欧州の真中から、大光明が照り出るであろう。
4月26日(木) 晴
ほとんど40年間同胞の間にキリスト教を伝えて来て、今日に至って深く感じる事は、日本の青年や大人に道を伝えることの効果が甚だ少ない事である。彼等の内に信じる者が甚だ少ないだけでなく、信じた者の中に信仰を維持しようとする者は百人中一人とはない。
たとえまた維持するとしても、自分流儀の異様な信仰を維持する者が多く、福音の要点とする所を省みないのが常である。そのような状態であるから、いわゆる日本伝道は、無効と見て差し支えないと思う。
それではどうしたら良いかと言うと、ローマ天主教会の僧侶に倣い、
小児殊に幼児を教えるべきであると思う。幼児を教えるのが、やはり人と国とを救う早道である。神は今や滅多に奇跡を行われない。そして私たちはまた、神の奇跡に頼ってはならない。
そして人を救う天然の方法は教育である。殊に幼児の教育である。この事を思って、私は35年前に、ケルリン、リチャードソン等の先輩から授かった幼稚園教育を始めなかったことを悔いる。
私は日本国を霊的に救おうとして、余りに焦(あせ)って、青年または大人を救おうと思って、多くの無益な労を費やしたのである。この事を思って遺憾千万(いかんせんばん)である。
しかし、今になって悔いても仕方がない。故に今から後、生涯最後の努力として、私の最善を幼児教育のために尽したいと思う。
4月27日(金) 晴
昨夜今井館において、月並祈祷会を開いた。来会する者60余、霊の悟りに満ちた集会であった。信仰が人を救うのではない。信仰の目的物であるキリストが救って下さるのである。
信仰は芥種(からしだね)のように小さくても良い。これをキリストにさえ繋(つな)げば、大きな力が降ると説いた時に、会衆一同の心が歓喜に充たされた。近頃にない美(うる)わしい祈祷会であった。
4月28日(土) 小雨
雑読に全日を費やした。哲学史、マダガスカル伝道史、スミスギリシャ史、カイムのイエス伝と、手当たり次第に読んだ。その内でカイムが一番面白かった。
新聞紙は読むに堪えない。日本の将来はどうなるのであるか、思えば心配である。理想と責任観念がない国民を相手にして、如何なる政治家といえども、何事を為すことは出来ない。
しかし、嘆いてもどうしようも出来ない。自分としては、依然として聖書の研究をやるまでである。それには古い大聖書学者等があって、自分を教えてくれる。
聖書を通して観る人類の将来に、大希望がある。その他はことごとく大暗黒である。
4月29日(日) 曇
朝は荒れ模様であったが、午後に晴れた。天候が悪かったにも関わらず、大手町は相変わらず満員であった。
細字書きで有名な聖書販売人石塚伊吉氏の筆に成った唐紙一枚に書き込んだ漢字訳聖書百万字を聴衆に示し、併(あわ)せて同氏の説明があり、深く一同を感動させた。
私は「キリスト信者の簡易生活」と題し、マタイ伝6章19節以下の再研究を講じ、これまたやや満足であった。平常に変らない喜びの聖日であった。
大正8年に東京基督教青年会の高壇を断られてからここに満4年である。この長い間大日本衛生会の居心地の良い講堂の使用を許され、およそ160回にわたり、ヨブ記、ダニエル書、ロマ書、共観福音書と聖書の講演を継続し、集会は衰える兆候を少しも見えず、毎回ほとんど600人以上の人に福音を伝える。
そしてかつて一回も金銭に不足した事が無い。これを大恩恵と言わずに何と言うか。毎年4月最後の聖日が来るたびに、感謝の念をいっそう深く覚える。
4月30日(月) 晴
甥(おい)二人を伴って、多摩川丸子の渡しに遊んだ。ただし精神疲労の月曜日には、何をしても面白くない。いわゆるブルーマンデーは、家に在って寝ているのを最上とする。
5月1日(火) 曇
バルカン半島諸邦の視察を終えて近頃帰朝した某君に某所で会し、かの地において行われつつある大戦後の平和的革命について聞き、欧州の将来に大きな光明を認めることが出来て、非常に嬉しかった。
さすがは欧州である。まがりなりにもキリストの福音が10数世紀の長い間宣伝された甲斐があって、暗黒の内からこの光明を打ち出すことが出来る。その点において、日本はとうてい彼等に及ばない。
我が日本においては、根本的に偉大な事業は、とうてい挙がらない。誠に心配なのはハンガリーでも、ポーランドでも、ドイツでもない。我が日本である。彼等には根本的改革を行う力がある。日本には無い。実に悲しい心配な事である。
(以下次回に続く)