全集第34巻P239〜
(日記No.196 1923年(大正12年) 63歳)
10月30日(火) 曇
筆がよく動く日であった。永広堂女主人の訪問があった。焼失による損害が思ったよりも少なかった由を聞いて感謝した。
こうして聖書研究社に縁故が深い人たちが、あるいは奇跡的に助かり、あるいは損害を受けたけれども全滅を免れ、あるいは天に召された者も希望を以て去り、そして一人も失望落胆に沈む者がなかったのは、感謝の至りである。
日本国に臨んだこの審(さばき)が神の御栄えに終り、延(の)びて日本国そのものの救に至るのは確かである。栄光尽(ことごと)く彼にあれである。
◎ 新聞紙は伝えて言う、「地震のおかげで有島熱がすっかりさめてしまい、全集の売れ行きが心配だとの事」と。有島全集が売れるようでは、日本国は亡びてしまう。この際背教文学は悉(ことごと)く葬ってしまいたいものである。
大地震と大火災とが東京を見舞った主な理由は、この種の思想を滅ぼすためであったと思う。背教者には気の毒であるが、真理と人類のためには、そうあるのが当然である。
10月31日(水) 曇
天長節の祝日である。栗飯(くりめし)を炊(た)いて祝った。在ロンドン加納久朗君の震災見舞いの書面に言う、
日本もとうとう神の怒りに触れました。良い時に地震が来ました。これで人心が引き締まり、人力以上の力があることを感知し、当分は国のために良いであろうと思います。私はこの度の出来事が、国民に大きな決心と信仰を喚起し、精神的に改造の実を挙げるように祈っています。
と。これは誠に愛国者の言葉である。今の時に当たって、滅多に聞くことの出来ない言葉である。そしてこのような愛国者の祈りは、早かれ遅かれ必ず神に聴かれることと信じる。
11月1日(木) 晴
温度が82度
(=26℃)に昇り、夏の舞い戻りである。
会計係の報告に依れば、本誌読者からの毎月の前払金払込は、平均400円余りであるが、震災9月の払込みは19円であって、発刊以来レコード破りの少額であった。10月はやや復旧して、250円に達したとの事である。
収入目的の雑誌でないから、多いか少ないかは意に留めるに足りないが、しかし初号以来未曾有の事であるから、ここにこれを書き残して置くことにする。
11月2日(金) 暴風
昨夜札幌同窓の一人で、我が国有数の天然学者である木村徳蔵君に、市外西荻窪にある君の新築の家に招かれ、同じ同窓である研究誌初号の読者の一人である末光績君と共に、夕飯の饗応に与った。
旧い同窓の人からそのような接待に与るのは実に稀であって、甚だ愉快であった。科学、歴史、社会、宗教の諸問題について、心おきなく語った。私は40年前に、札幌において二三の大問題を提供された。そしてその解決を得ようとして今日に至った。
その第一は、
どのようなキリスト教が人類を救えるか、その第二は、
キリスト教と進化論との関係はどうか、その第三は、
日本国の天職は何かである。
そしてこのような大問題を提供されて、未だ完全な解答を得ていないけれども、その健全な刺激を得て、60歳以上の今日に至っても、なお学生時代の生気を失わないことを感謝する。
今に至っても、札幌と聞けば、損なわれていない天然が思い出されて、私の血が新鮮になるように感じる。
ただし今の札幌は東京と多く異ならず、純然とした俗人の巣であって、わざわざ行ってみる価値のない所であるが、しかし40年前の札幌は、日本において再び得難い天然ありのままの学園であった。
そのような所で青年時代を過ごすことが出来た私たちの幸福は実に大きな者であると、この夜相共に語り合った。
11月3日(土) 晴
午後市外十条に、9月2日の夕暮、震災後の火焔が未だ消えない間に、痛い足を引きずりながら、山手線の線路を歩いてきた際に、私たち一行に冷水一杯ずつを恵んでくれた某婦人を訪れ、私の心からの感謝を表した。
帰途、池袋に婦人之友社を訪れ、震災当時を語り、またその独創的教育事業の一斑を示され、大いに教えられる所があった。有益で楽しい半日であった。
11月4日(日) 晴
午前は180名、午後は120名の来会者があった。相変わらず楽しい聖日であった。朝はヨセフの話の続きで、創世記39章を「正しき歩み」と題して講じた。午後は神の存在を証明する途(みち)について語り、これまた午前に劣らず緊張した集会であった。
1日に2回の講演は、随分と身体(からだ)にこたえる。しかし目下のところ止むを得ない。神はこれに堪えられる体力を与えて下さると信じる。
11月5日(月) 晴
少し疲れた。今朝の夜明け方にまたまた比較的に強い地震があった。震源地は東京の北方12里、江戸川流域であるとの事である。不安である。嬉しい事は、今年は年賀郵便中止という公示があった事である。願わくはこれを以てこの無意味な虚礼が絶対的に中止するに至ることを。
小さな弊風を改めるにも、大地が震えなければならないかと思えば、社会改良がどれほど困難な事業であるかが解る。それを思うと、何をすれば良いのかサッパリ解らなくなる。
11月6日(火) 晴
近代人がする事の中に、私たち「旧い人」にはとうてい分からない事が沢山ある。それはそのはずである。近代人にとっては、「人は各自、己が法則である」からである。
彼等に全般を支配すべき法則はない。故に彼等と争っても何の益もない。ただ彼等をその為すがままに任すのみである。「不法の霊」とは近代人を指して言うのである。そして彼等が跋扈(ばっこ)して、キリストの再臨が遠くないことを知る。暗黒の内の希望である。
11月7日(水) 雨
黙示録の復習に大きな興味を覚えた。世界が終末に近づきつつあるように見える。ドイツのシュペングラー、英国のバートランド・ラッセル等は、人間の哲学の方面から、同じ事を唱えている。
しかし、聖書が教える終末は、絶滅ではない。
審判と破壊との後に来る新天新地である。
東京・横浜等を焦土に化した大火の光に照らして読んで、黙示録は多くの教訓と慰藉(いしゃ)とを私たちに与える。いずれにしろ私の一生において最善の事は、キリストの福音を信じられた事である。この恩恵に比べてみて、富も宝も名誉も位も、糞土に等しい者である。
11月8日(木) 半晴
主婦が不在なので家事を引き受け、混乱状態に陥った。友人の訪問があったが碌な接待も出来ず、また折悪しく保険会社、電灯会社、その他の商社や商人が勘定取りにと押し寄せて来る、実に眼が回るほどの忙しさであった。
ところがこの内に在って、原稿紙四五枚を書いた。恐ろしいのは家事であると思った。この世の奴らの唯一の仕事は、勘定を取り立てる事であると見える。彼等はこれを称して営業と言う。蜂が蜜を集めるような仕事である。
そして勘定を受け取って、そして支払って、彼等の生涯が終るのであると思えば、同情に堪えない。
11月9日(金) 晴
初めて震災後の横浜を見た。その惨状に驚いた。昔の姿は消えて跡が無かった。ただ「ああ、ああ」と言うより他に言葉がなかった。深い感動に打たれて家に帰った。日本国が総がかりになって、その復興を計らなければならないと思った。
同時にまた、横浜がそのような覆滅(ふくめつ)に見舞われた、その道徳的理由を見逃す事が出来なかった。私は同行者に告げて言った、「もし人がこの惨禍があったという事で神を責めるならば、神にもまた多くの申分がある」と。
いずれにしろ
復興は悔改めを以て始まらなければならない。そして悔改めを以て始めて、復興は思ったよりも容易に行われるであろうと。ただ復興を促す神の人はなく、またその言葉に耳を傾ける市民がいない事を悲しむのである。
(以下次回に続く)