全集第34巻P443〜
(日記No.247 1925年(大正14年) 65歳)
5月26日(火) 半晴
全ての人を善くしようと思うので苦心する。彼等を為すがままに放任しておけば、私の心は至って平安である。そして人の心を変えることは、最も難しい事である。
自分には最も容易と思われる事が、人には最も難しい。故に人はこれを神に御任せして、自分は彼のために祈るまでである。けれども紳士と称し、淑女として崇(あが)められる者が、文明人の知るべき道理のABCをさえ弁(わきま)えていないのを見る時に、自分は歯痒(はがゆ)く感じざるを得ない。
今日の日本に武士道が絶えただけでなく、彼等の間に紳士道さえ行われない。ただ目前の利益と幸福、これに達するのを成功と称し、達し得ないのを失敗と称する。実に浅ましい状態である。
◎ 押売りが盛んなのに驚く。新聞紙、牛乳、薬品、文房具、時には宗教雑誌までが押売りされる。そしてこれを拒(こば)めば怒られる。
支那人が、「日本人はただ支那人の金を欲しがるまでで、金のためには撃ち、また叩(たた)いても少しも憚(はばか)らない」と言うとの事であるが、当たらずといえどもまた遠からずであると思う。ああ、君子国は今や何と堕落したことか。
◎ 6月号の原稿全部を印刷所に発送した。
5月27日(水) 小雨
かねて希望していた二間四方の物置小屋が出来上がって嬉しかった。一生涯の内に蔵(くら)を建てることは出来なかったが、やや広い物置小屋が出来て感謝である。これでガラクタ道具が悉(ことごと)く納まり、邸内の整理がついて、便利この上なしである。
◎ 神は自分に多くの困難を送られた。そして困難は今なお絶えない。けれども困難はいずれもみな有益であった。私の霊魂を磨くためだけでなく、世と人とを知るために有益であった。
私のような書斎の人には、困難に会わなければ実社会を知ることは出来ない。ところが毎年一つか二つ厭な問題に携わることを余儀なくされて、その方面において教えられる所がある。
近代人、上流社会、これらはみな、ぶつかってみなければ解らない者である。そして解ってみれば、みな同一である。神を離れた自己中心の人たちである。
ただ知識があるとか、衣類が美しいとか言うまでであって、その霊魂は罪に汚れて、神の前に、いとも賎しいものである。キリストの血によって聖(きよ)められるまでは、学者も富者も貴族も、甚だ汚いものである。
5月28日(木) 雨
人が教えを聴くのは、それが自己に関係のない間である。一朝それが自分が為そうと思う事に対して妨害となることが分かると、彼等は何の惜し気もなく、神でもキリストでも聖書でも、何でも捨てる。その点において、学者無学者、貧者富者の差別はない。
彼等はいずれも自己に都合の良い時だけキリスト教を信じ、都合の悪い時にはいつでも自由勝手にこれを変えもすれば棄てもする。故に彼等が求道者であっても、信者になっても、少しも油断はならない。
何時でも彼等の敵となる覚悟を以て、彼等に教えを伝えなければならない。この事を思うと、今日の日本人に聖書を教えることが、どれほど恐ろしい事であるかが分かる。これは、神に強いられるのでなければ、とうてい従事できない業である。
5月29日(金) 雨
媒介人となるべく余儀なくされた某両家の縁談の破裂により、引続き心を痛めた。人の心が冷酷であることに驚いた。殊に日本婦人の外は雪のように白いけれども。内は同じく雪のように冷やかであることに憤慨した。私の生涯において、最も辛い経験の一つであった。
5月30日(土) 雨
毎年上半期には、厭な問題に悩まされる。昨年は狂人と近代人とに悩まされ、精神病者は病院に入院し、近代人たちには研究会を去ってもらって事が済んだ。今年は他家の結婚問題に悩まされ、今なおその後始末の最中である。
こうして私のような隠遁者も、この世の事を直接に示されて、不愉快であるにも関わらず、すこぶる有益である。
書を読むだけが真理を知る途(みち)ではない。善悪に関わらず、人生の事実に接して、真理の深い所を探ることが出来る。今日の日本人の心理状態を示されて、痛歎の至りである。腹が立つ。しかしまた、彼等を憐れまざるを得ない。
5月31日(日) 晴
集会は朝夕共に相変わらず盛会であった。朝は再びイエス伝の研究に帰り、「イエスの愛国心」と題して、マタイ伝23章37節以下を講じた。久し振りに気持ちの好い講演が出来て嬉しかった。
夜は畔上、塚本、自分と三人が登壇して、100人以上の青年に対して、キリストの道を説いた。日曜日は私たちに取って、天国の前味(まえあじ)である。ただ時々、この世の寒風が吹いて来て、私たちの歓喜を妨害するのは、止むを得ない次第である。
6月1日(月) 半晴
月曜日であるにも関わらず、来客が多くてずいぶん困らせられた。朝鮮の斎藤音作君から、私が著した「デンマルク国の話」が原因の一つとなって、朝鮮半島に毎年1億6千万本の有用樹木の苗木が植え付けられると聞いて、非常に嬉しかった。
他に内地ならびに台湾において、同一の理由によって、さらに幾千万本の苗木が植え付けられているであろう。
こうして今から100年後には、私を国賊と呼んで苦しめた日本人は、私が書いた小著述の結果として、数十億円の富を得るに至るであろう。誠に気持ちの好い事である。国人に嫌われながら、彼等のために尽すのは、特別の名誉である。
6月2日(火) 曇
今日は心がやや和(やわ)らぎ、少し平安を得た。カント哲学ならびにエレミヤ記の研究に帰った。穢土を離れて浄土に帰ったように感じた。
悪人は、これを神に引き渡せば良いとは信じるものの、時には神に代ってこれを矯(た)めようと思う心が起る。その時に心は苛立(いらだ)って、平安は妨げられるのである。
けれども平安だけを追求すべきでない。人間である以上、時には怒らざるを得ない。エレミヤ記を読んで、ますます強く、その事を感じさせられる。
6月3日(水) 雨
梅雨の空がうっとうしい。ろくな仕事をせず、甚だ済まなく思った。田中工学博士と「科学は宗教を証明できるか」という問題について論じた。彼は「できる」と言い、私は「できない」と言って議論に花が咲き、そのために腹が減って、夕飯がうまく食べられて嬉しかった。雑誌6月号の校正を終った。
6月4日(木) 雨
大きな利益と感動とを以て、ジョン・スキンナー著「預言と宗教」
( https://www.amazon.co.jp/Prophecy-Religion-Studies-Life-Jeremiah/dp/157910309X/ref=sr_1_41?s=english-books&ie=UTF8&qid=1549675367&sr=1-41&keywords=John+Skinner )を読み終わった。一名「エレミヤの生涯とその時代」とも称すべき書であって、私が今日まで読んだエレミヤ伝の中で、最も興味多い書である。
今から25年前、この雑誌を始めた時、第一に読んだのは、同じジョン・スキンナー氏が著したエゼキエル書の注解であった。預言文学の研究においては、私はこの著者に負うところが甚だ多い。
ケンブリッジ聖書中のイザヤ書注解2冊もまた同氏が著したものであって、これまた私の手垢に汚れたまま、書架に蔵(おさ)められてある。
エレミヤ書の研究は、今から40年前に、カウルス(Henry Cowles)の注解書を以て始めた。その後ずいぶん多くの注解書を読んだつもりである。しかし今日読み終わったスキンナーの著が、最も有益な者であった。
ついでに記す、預言書を了解したいと思うなら、その時代の世界歴史を研究する必要がある。これまた広い学問であって、私も力の及ぶ限り、これに没頭したつもりである。
6月5日(金) 雨
故今井樟太郎君永眠第19年を記念するために、日本橋区伊勢町永広堂東京支店に行き、女主人ならびに店員一同を集めて「商人と宗教」を講じ、同店のために神の祝福を祈った。
今井君は本誌発刊当時の援助者であり、遺族もまた君の志を継いで、本誌と深い関係を維持して今日に至った。私たちに教会または宣教師の後援は無かったが、商人、農家、工人等の深い同情があった。
大坂の今井家が彼等の良い代表者である。私自身が教会者嫌いの平信者であって、平信者に代って今日までキリストの福音を説いたのである。光栄この上なしである。
6月6日(土) 半晴
午後2時から市内青山会館において、故森明君牧会の渋谷日本基督教会が主催する、都下男女学生の連合礼拝会が開かれた。来会者3500人ということであった。
私も説教を依頼され、東京神学社校長の高倉徳太郎君と高壇を共にした。私は「日本国とキリスト教」と題して講じた。久し振りに市内の聴衆に語ることなので、随分骨が折れた。しかし若い人たちの大衆に向って語ったので、気持ちが良かった。
多分東京で、こんな大衆が共にキリストの聖名(みな)を讃美したことはあるまい。キリスト教は既に日本人の宗教となったことは、この一事を見ても明白である。殊にまた教会の教師たちはだいたいにおいて、私を嫌われるに関わらず、若い人たちは私を迎えてくれて、非常に嬉しかった。
6月7日(日) 半晴
集会は変りなかった。私は昨日の演説に疲れて、今日はただわずかばかりをしただけである。朝は伊藤一隆君に手伝ってもらい、夜は塚本に任せた。畔上はこの日札幌に在り、その地の独立教会を助けつつある。
人を助けて自分が助けられる。それがキリストの心である。自分の事業のためだけに働くのは、決して美(うる)わしい事でない。しかしながら、昨日の大演説のためにガッカリ疲れたのは事実である。
(以下次回に続く)