全集第34巻P448〜
(日記No.248 1925年(大正14年) 65歳)
6月8日(月) 半晴
梅雨晴の好天気である。家事ならびに自分の肉体のために奔走した。好い変化である。家族の幸福のためにもまた働く義務がある。
中田重治君来訪し、有志と共にアイヌ伝道講演会組織の相談があった。喜んで賛成を表した。このような事には、教会関係の如何(いかん)を問わず、全国のキリスト信者が、一致協力して従事したいものである。
6月9日(火) 半晴
少し変化を得るために、塚本と共に浅間山麓沓掛に行った。山は晩春の気候であって、ツツジ、ボケ、アケビ、忘れな草、サクラ草、スミレ等が満開であった。
6月10日(水) 晴
午後宿の主人と共に自動車を駆って軽井沢に遊んだ。未だ都人の影を見ず、天然は高原を占領し、夏の軽井沢とは別天地の観があった。到る所に
忘れな草が咲き揃っているのは懐かしかった。もしこの国に近代人が居なかったならば、さぞかし美しい国であろうと思った。
近代人居らぬ皐月(さつき)の軽井沢
忘れな草に森の鶯(うぐいす)
6月11日(木) 曇
午後柏木に帰った。天国から地上に帰って来たように思った。山に在っては花が美しいが、都に在っては婦人が「美しく」ある。天然美の欠乏を補うために、人工美を施すのであろう。
都に偉人が起らない理由は、山に二三日遊んだだけで分かる。その都で、主として青年男女の教育を施すと言う。こんな間違ったことはない。都会が大きくなればなるほど、国が滅亡に近づくのである。東京が日本文化の中心であると言うが、実に恐ろしい事である。
汽車中で塚本とキリストの再臨、世界の終末について語った。そしてこの東京を自分の住所とする自分の不幸を歎かざるを得ない。
近代人の巣窟である東京の地を呪わざるを得ない。
6月12日(金) 半晴
終日ペンを執って働いた。聖書の研究は、山遊び以上に楽しい。ただ段々と視力が衰えて、それだけが悲しい。しかし若い時に沢山読んでおいたおかげで、あまり多く眼を使わずに仕事が出来て感謝である。
6月13日(土) 晴
沢山読書をした。二三週間カントを読み続けた後に、リッチル神学
( https://en.wikipedia.org/wiki/Albrecht_Ritschl )の復習が非常に面白かった。神学は牧師・伝道師の学問であると思えばツマらないが、信仰に知識的地位を与える学問であると思えば、非常に面白い。
(参考: https://www.amazon.co.jp/Critical-Christian-Doctrine-Justification-Reconciliation/dp/B0091I5ONK/ref=sr_1_14?s=english-books&ie=UTF8&qid=1553207479&sr=1-14&keywords=Albrecht+Ritschl )
これは、全ての学問に達するのでなければ、学び得ない学問である。聖書の研究より遥かに広く、かつ困難な学問である。そう思うと神学者に成りたくなる。しかし牧師・宣教師に成るための学問であると思う時に、厭になってしまう。
6月14日(日) 晴
朝夕共に平常以上の集会であった。過日の青山会館における学生連合会が祟り、入会依頼者が増加してしまい困難する。旧い教会の信者の中に入会希望者が多いのは不思議である。
朝は「エルサレムの覆滅」と題して、マタイ伝24章の要点を講じた。夜は青年に対し、偉人の特性が、平凡、無私、勤勉である事について語った。
6月15日(月) 雨
昨日の説教でガッカリ疲れた。その上にまたこの世の厭な問題を持込まれて全く厭になってしまった。この世の不信、不義、そのずるさ加減、実に憤慨に堪えない。このような世が亡びると言うのは、実に当然の事である。いや実に既に亡びているのである。憐れんで良いのか、怒って良いのか、分からない。
6月16日(火) 晴
L・P・ジャックスの Institutional Selfishness (制度的自分勝手主義)の一章を読んだ。実に私が言いたいと思う言葉である。我が国の教会の全ての教師方に読んでもらいたい一篇である。
無教会信者は、ジャックス氏のような大教師の後援者を有(も)つことを彼等に知ってもらいたい。彼は言う、
私が知る最も善いクリスチャンの或る者は、いずれも教会または礼拝堂にも属さない者である。彼等はキリストに倣(なら)う生涯を送るという意味においてのみのクリスチャンである。
と。彼はまた言う、「私は未だかつて、キリストの御精神に叶(かな)う教会を見たことはない」と。
日本メソジスト教会前監督神学博士平岩愃保君は、「無教会信者は既成教会の撲滅を以て目的とする者である」と言われるが、君はジャックス氏のような人をどのように見られるか、伺いたいものである。
そのように言われる平岩君御自身が、必要とあれば私のような無教会信者に御自分の教会を助けさせるのは実に不思議である。教会者のそのような行為を指してジャックス氏は、「制度的自分勝手主義」と言うのであると思う。
6月17日(水) 半晴
朝は、故矢島楫子女史の告別式に臨んだ。彼女の偉大な晴々しい死顔に対し、厚い尊敬を表さざるを得なかった。彼女は日本が生んだ、最初の世界的婦人であった。
午後は東京府立第一高等女学校四年生200人余りが、私の教を聞こうとして聖書講堂に来た。私たちは彼等を歓迎し、1時間ほど信仰ならびに修養のことについて語った。
第一高女がその生徒を私の許に送ったのは、これで二回目である。実に気持ちの好い事である。彼等一同は、オルガンの音に合わせて讃美歌185番と249番とを歌った。
府立学校の生徒が教員に引率されてキリスト教を聞こうとしてわざわざ来ると知って、キリスト教は既に日本人の宗教と成ったことが分かる。何も外国宣教師の伝道を待つまでもない。神は日本人を以て、よく日本人を教化される。有難い事である。
6月18日(木) 半晴
震災後の旧今井館に修繕を加え、今や自分一人でこれを占領している。私に仕える者として、朝報社時代の旧車夫藤沢音吉が在り、彼と二人、女人禁制の広い家に住み、甚だ楽しい。
彼はかつて信州の某禅宗寺に小坊主として務めた者、故に俗ぬけした好々爺である。これに因(ちな)んで、私たちの住家を
預言寺と称し、エリヤはその弟子エリシャと共に超俗的生涯を送りつつある。
弟子は毎夜先生の足を揉(も)んでくれる。その間に慨世の談話が交わされる。30年来の旧い友人であって、彼は天国まで御供致そうと忠実に仕えてくれて嬉しい。
6月19日(金) 雨
梅雨の空である。講演準備のために全日を費やした。二三日来哲学者フィヒテ、ヘーゲルの伝記を復読して、大きな興味を感じた。何と言ってもヘーゲルは大哲学者である。カントは少し道徳家過ぎるが、ヘーゲルは純哲学者である。彼に学んで頭脳が清々(せいせい)する。
6月20日(土) 雨
独りで雑誌編集に従事した。厭な事はひとまず片付き、心は至って平安である。雑誌が第300号に達して、感慨無量である。しかし過去を顧みない。未来を望む。
「
惟(ただ)此(この)一事を務む。即ち後(うしろ)に在るものを忘れ、前にあるものを望み、神がキリスト・イエスに由りて上へ召して賜ふ所の褒美を得んとて標準(めあて)に向ひて進むなり」(ピリピ書2章13、14節)である。
雑誌が300号に達しようが400号に達しようが、小さな問題である。ただ神の聖旨(みこころ)が成れば、他はどう成っても良いのである。
◎ 欧州新進の大神学者カール・バルトは言う、「我等今日のキリスト信者は止むを得ず教会に入る。これは教会から何か益を得ようと思うからでない。
教会が悪事を為すことをなるべく少なくさせるためである」と。
即ち今や信者が教会に入るのは、それに対して警察官の役目を務めるためであるとの事である。教会の不名誉この上なしである。
(以下次回に続く)