全集第34巻P476〜
(日記No.255 1925年(大正14年) 65歳)
8月25日(火) 曇
山に来てちょうど1ヶ月である。その間に4回説教した。W・ペトリック著「主の兄弟ヤコブ」359頁、W・L・デビソン「ベンタムよりJ・S・ミルまで」251頁、シュヴァイツアーの文明哲学第1巻105頁、第2巻前半129頁、
「英百」における「倫理学」の長篇、ネヤーンのヘブル書注解の前半124頁、リス・デビッヅの仏教史、R・E・ロバーツの「テルチュリアンの神学」、T・ウイツテーカー著ショウペンハウエル論等の所々を読んだ。
近頃にない沢山の読書である。また小諸町の歯科医吉池武一君の許(もと)に十数回通って君の親切な治療を受けた。
8月26日(水) 雨
引続き長野県北佐久郡軽井沢町字沓掛に居る。沓掛は、今は軽井沢町の一部分であるが、近代人と宣教師との夏の都である旧軽井沢とは一里以上も離れていて、全く別世界である。
私はその軽井沢には二三の知人が居るだけであって、その他の滞在者とは全く没交渉である。それだけ沓掛は休むに好く、一昨年軽井沢に滞在して宣教師や米国世界漫遊者に押しかけられたのと比べて、今年は地上の楽園にいるように感じる。
昨日来フィヒテの哲学を復習し、
人生の目的は、霊能を以て宇宙を道理化するに在りという彼の教えに接して、熱心が新たに私の小さな仕事に加えられたように感じた。宗教の慰めの他に哲学の慰めがある。私たちは前者と共に後者を逸してはならない。
8月27日(木) 晴
軽井沢に行き、二人の友人を訪(たず)ねた。一人は大学の教授であった。他の一人は英国の宣教師であって、慈善事業で有名な婦人であった。
彼女の日本の救済に関する偉大な思想を聞いて驚いた。宣教師の中に、稀には偉人がいることを、疑うことは出来ない。そして宣教師全体が私を忌み嫌う間に立って、私を信頼してくれるのを知って、感謝に堪えなかった。
キリストの聖名(みな)により憐れむべき同胞を救おうと思うに当たって、人種や教会の差別はない。私は彼女がその遠大な計画を語るのを聞いて、時の過ぎるのを知らなかった。久し振りに本当の人類の友に会って、私もまた新たに人道化されるのを覚えた。
8月28日(金) 晴
近頃切に感じる事は、敵を作る事または友人を失う事を恐れて、徹底的善を為すことが出来ない事である。「
為し得る限り凡(すべ)ての人と睦(むつ)み親しむべし」であるが、しかし「為し得る限り」であって、明白な正道に背いてではない。
全ての場合において全ての人と睦み親しんで、私たちは実は何人とも睦み親しみ得ないのである。恐るべき事は、友人を失う事ではない。為すべき事を為さずに、神を友として失う事である。
殊に今日の日本の社会のようにだらしない社会に在っては、全ての人を敵に持つ覚悟で、万事に当らなければならない。
8月29日(土) 晴
土井晩翠
( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E4%BA%95%E6%99%A9%E7%BF%A0 )、塚本虎二の両君と共に小諸に行った。かの地の新聞記者をまじえ、有志家20余名の歓迎を受け、昼飯の饗応に与った。私は彼等に告げて言った。
諸君は何事によらず、東京に倣(なら)ってはならない。東京は今や我が国腐敗の中心である。地方が東京に倣えば、東京と共に亡びざるを得ない。殊に東京の新聞が悪い。東京の新聞が悪くなったのは、大阪新聞が東京に勢力を得てからである。
そして大阪新聞は、米国新聞の真似事である。新聞を金儲けの機関とするものである。日本国を亡ぼす者は、この種の新聞である。願う、長野県に有力な新聞が起って、この米国流の東京・大阪の大新聞を倒さんことを。
若(も)し故山路愛山( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E8%B7%AF%E6%84%9B%E5%B1%B1 )君が生きていたならば、私は彼に勧めて、彼が主筆であった「信濃毎日新聞」を以て、東京・大阪の堕落新聞に対し、十字軍を起させたであろう。諸君、今日の新聞記者等に、この意気はあるか云々。
と。こう言い終わって暇(いとま)を告げ、席に在ること2時間にして、同行の両君と共に早々に沓掛の清境を指して退却した。
8月30日(日) 晴
山においても暑い日であった。集会に出席者が20人ばかりあった。ヘブル書11章1〜3節について語った。「信仰なる者は確かに在る。此(この)信仰に由りて我等は諸(もろもろ)の世界は神の言(ことば)に由て造られたるを知る」と。
研究思索によらず、信仰によって人類に臨んだ全ての時代は、神の聖意(みこころ)によって実現された者であることを知ると。
今日の時代もまた無意味ではない。その内にもまた神の特別の聖意(みこころ)が存している。これを探り、これによって時代に対する、それが私たち信者の為すべき事である云々と語った。これで今年の山における安息日の会合を終った。
何か多少は善い事をしたと思う。ただ主婦が病で柏木の家に在って、私たちと共にいない。それだけが大きな欠陥であった。
8月31日(月) 晴
ここに厭な8月を終って嬉しい。どのようにしてこの月を過ごすかは、毎年の問題である。そして満足にこれを過ごした事は滅多にない。働くことも出来ず、遊ぶことも出来ず、中途半端な厭な月である。
9月1日(火) 半晴
姪第2号を柏木に帰し、彼女を送って軽井沢に行った。近代人の夏の都は既に寂れて、秋風落莫
(しゅうふうらくばく:夏が過ぎて秋風が吹くと自然界が衰えを見せて、もの寂しい風景に様変わりすること)の感があった。
書店に立ち寄って、オランダの大神学者ドクトル・カイペル(
https://en.wikipedia.org/wiki/Abraham_Kuyper )著「カルビン主義」(
https://www.amazon.co.jp/Calvinism-English-Abraham-Kuyper-ebook/dp/B005O10VWC/ref=sr_1_25?s=english-books&ie=UTF8&qid=1550546542&sr=1-25&keywords=calvinism )を買い求め、宿に帰ってこれを読み始め、興味が尽きなかった。彼が私の信仰を漏らさず述べてくれるからである。
9月2日(水) 晴
山の校正日である。校正を携え、暑を冒(おか)して沓掛駅の郵便局まで歩いた。
◎ 昨日に引き続き、ドクトル・カイペルの「カルビン主義」を読み、大家に私の信仰を保証されて、大きな喜びを覚えた。私は純なカルビン主義者であることをいっそう深く自覚した。40年前の昔に還り、新たに福音を発見した時の喜びを幾分なりと今日再び感じることが出来て、大きな感謝である。
9月3日(木) 曇
主婦の病気が快方に向かっているとの報せに接して喜んだ。また米国のベル老人からの久し振りの書面に接し、太平洋を挟(さしはさ)んでの40年間のこの友誼が、ますます濃厚になるのを味わって、非常に心強く感じた。
日米関係は日米関係、しかし私たちはキリストに在って兄弟である。私たちはこの世の政治問題に、神聖な私たちの Christian fellowship
(クリスチャン仲間の親交…旅人)を妨害させない。
「
キリストの愛より我等を絶(はなら)せん者は誰ぞや」である。国家であるか、外交であるか、国際的戦争であるか。そうではない。誠に幸いなことである。
9月4日(金) 雨
山の雨日である。淋しいほど静かである。読書と黙想とに好い。シュヴァイツアーの文明哲学第2巻を第207頁まで読んだ。西洋倫理学史の良い梗概(こうがい)である。煎じ詰めるところ、今日までの倫理哲学は、徹底的に何ものをも説明しないと言うのである。
即ちキリストの福音に取って代わるべき者は、何ものも未だ哲学者の脳中から捻出されていないと言うのである。そうあるのが当然である。哲学によって徹底しようと思う者は、一生平安を得られずに終わるのである。
9月5日(土) 曇
塚本と共に軽井沢に行った。この日越後大鹿の木村孝三郎君の来訪があった。久し振りの面会で楽しかった。
(以下次回に続く)