全集第35巻P24〜
(日記No.271 1926年(大正15年・昭和元年) 66歳)
3月1日(月) 曇
久し振りに横浜に行った。カピテン山桝の案内で、岸壁に係留されている外国船数隻を見た。その中にイギリスがあり、フランスがあり、アメリカがあり、パナマがあった。そのいずれもが優秀船であって、わが国にはこれに匹敵すべきものはないと言う。多くの事を考えさせられた。物質的に見た日本が貧弱国であることは否めない。
◎ 京都白川に卜居(ぼっきょ)する山口菊次郎君からの書簡に言う、
代はれば変わる世の中、昔時淡水魚中の王として高価なりし鯉は今日百匁(もんめ)三十五銭にて、魚の最下に位する泥鰌(どじょう)の百匁五十銭に及ばず。蓋(けだし)は高価の鯉にて利せんと各地盛に養魚場に鯉を養ひし生産の過剰ならん。
今日大学や専門学校卒業の剰余と均しく、世の需要は中学又は小学卒業者の引張凧(ひっぱりだこ)なるが如し。人間と云へ魚類と云へ上下転倒せり。混沌たる思想の善化せざるも故なきにあらずと存候。
「大阪毎日」紙上に曰く、今年の大学専門学校卒業生から住友が九十二名採用するに、申込一千名、其他之に準ず。而して本年学士と称し得られる者の数四万人に上ると、学校教育が生活の方便にならぬ頂点に達したり云々と有之(これあり)候。沈思黙考致候。
面白い観察である。「第一に金、第二に金を得る為の学問」という立場から施されてきた日本の教育がここに至ったのは、面白い現象である。
金になってもならなくても真理を知るために施された教育ならば、この悲境に至らずに済んだのである。
3月2日(火) 曇
混乱多忙の一日であった。校正、オルガン直し、他に雑多な用事を持込まれ、ずいぶん頭脳(あたま)を悩ませた。読書は、セイス教授のペンに成ったヒッタイト論一篇を読んだだけである。私も時には一個の世話焼き爺(じじい)と化せざるを得ないことを悲しむ。
3月3日(水) 曇
桃の節句である。孫娘のために雛を飾ってやり、赤飯を炊いて祝った。30年来我が家に臨んだ初めての春であった。
◎ 金井清君がロシア国から帰り、その実況について話してくれ、非常に面白かった。労農ロシア国は、人類の歴史における未曾有の冒険的大実験である。多分遠からずして大失敗として終るであろう。しかし一度は行ってみる価値のある試験である。共産党の誠意に対しては、尊敬を払わざるを得ない。
金井君の南ロシア旅行談は、殊に面白かった。カスピ海横断、トルキスタン鉄道旅行等は、古代史研究に趣味を有する私に取っては、甚だ羨ましかった。しかし、座して友人の旅行談を聞いて、これを我が研究に資することが出来て感謝である。
カスピヤン アラル オクザス シルダリヤ
砂の都の跡ぞ恋しき。
3月4日(木) 半曇
イザヤ書30章を以てこの日を始めた。相変わらず忙しい日であった。英文雑誌インテリゼンサー第1号が出た。これで二個の雑誌の主筆と成ったのである。老いてますます壮んなりと言おうか、あるいは無謀なりと言おうか、自分には判断がつかない。
しかしながら、老年に及んで新たに雑誌を発行して、家に孫が生まれたのに等しい喜びであることは事実である。いずれにしろ家の内も外も賑やかなことである。
これで生涯の内に雑誌を発行したことが三度である。第一は明治31年に「東京独立雑誌」を、第二に同33年に「聖書之研究」を、そして第三に今年今日に The Japan Christian Intelligencer を。
こうして私の生涯において主な仕事は雑誌発行であったのである。悪い仕事ではない。私が救われるのは仕事によるのではないから、これで一生を終っても悲しむに足りない。
3月5日(金) 雪
神戸から楽器技師を招き、在米の友人が寄付してくれた大オルガンを修繕してもらったところ、今日仕上がって嬉しかった。これで先ず楽器に不足が無くなって感謝である。
この日市内インテリゼンサー社において、ささやかな初号発行祝賀会を開いた。私たちの祝賀会は、もちろん同時に感謝会であった。「
エホバ建たまふにあらざれば建つる者の勤労は空し」である。彼に建てていただくのである。私たちは道具であるに過ぎない。
3月6日(土) 晴
家族に咳(せき)を病む者が多い。私もその一人であって困難した。用事は多くて目が眩(くら)むようである。世は暗黒であって、援助と慰藉を求める者は無数である。
日本人特有の信義は絶えようとしており、人々殊に青年は自分の利益を求め、得ても喜ばず、得なければ怒る。彼等に裏切られると知りつつ、為すべき善は為さねばならない。
毎日の新聞紙は悪事と不信行為とで満ちている。議会は党争が止まずに混乱している。
ただ赤ん坊と遊ぶ時だけ、天国の平和がある。
3月7日(日) 雪
泥濘に係わらず300人以上の来会者があった。朝は「キリストの死と埋葬」について、午後はテモテ後書3章により、「世界の現状とキリスト教」と題して語った。あまり満足な説教ではなかったが、少しではあっても純福音を語ったと思う。
3月8日(月) 晴
孫娘の写真を撮るために、母と祖母と私との三人が付き添って市中に行った。鍛冶橋外森川写真館主人の常に変わらない熱誠を込めた撮影を受けて愉快であった。
◎ 英文雑誌が出て責任が増して、困難でもあれば、また愉快でもある。京都のドクトル佐伯からの次の書簡など、大いに我が意を強くする。
陳(のぶれ)ば今回は可驚(おどろくべき)御奮発を以て英文キリスト教雑誌御発行の由(よし)、日本人でさえ英文でなくては読めぬと云ふ幾千人の人、米国にはありと云ふ今日、また加之(しかのみならず)地の端(はし)にまで伝道せよと命じ給ひし主イエスの仰せに対しても誠に相当(ふさ)はしき御企にて、
近頃気味善き一大現象と感佩(かんぱい(:心に深く感じて忘れないこと。ありがたいと心に感ずること。感銘))の至りに不堪(たえず)候。小生も購読者の一人となりて、又之を汎(あまね)く英文諸邦に在る友人にも購読勧誘仕るべく候。
願う、友人のこの期待に背かずに、潔(きよ)くて正しい雑誌を継続し得ることを。
3月9日(火) 晴
昨夜大いに感じる所があり、今朝は4時に起きて英文の原稿を書いた。そして夜に至るまで、書き続けた。
3月10日(水) 雨
3年ぶりに三越に行った。相変わらず虚栄の市である。この世の人たちが金を欲しがるのは無理ではない事を知った。帰ってイザヤ書31章を読んで、別世界に在るように感じた。
3月11日(木) 晴
雑誌308号を発送した。永久に好いものは、やはり聖書である。これによって同志を求め、これによって国を立て直す。これは試された途であって、最も確実な途である。
何を止めても、これだけは止めることは出来ない。倍加運動だ、社会事業だと言って騒ぐ者は騒ぐが良い。私は聖書一点張りで、
永久を期し、国を救い、世界を動かすであろう。
3月12日(金)
朝は日本文の原稿書きに従事した。午後はインテリゼンサー社に行った。イザヤ書31章とナイル河の地理を研究した。赤ん坊が留守になり、家がひっそりした。小犬のパロが肺炎に罹(かか)り、家畜病院に送った。神の愛を以て、人にも獣にも対さなければならない。
◎
近頃切に感じることは、日本に離間者が多い事である。たいていの騒動は、離間者の扇動によって起こる。自分の経験によっても、私に背いて去った者は、たいていは離間者の術中に陥った者である。
そして
離間者がキリスト信者に多いと聞いては、さらに驚く。しかし、どうする事も出来ない。こういう社会また教会である。悪評、讒誣(ざんぶ
(事実ではないことを言いたてて他人をそしること))、離間が彼等多数の食物である。
彼等はこれなしでは生存し得ないのである。そして離間されるのは不愉快であるが、しかし堪えられなくはない。一人の友または弟子を奪われれば、神はこれに代わって、
より善い友または弟子を与えて下さる。
この事を実験して、私たちは言う、「サタンよ勝手に離間せよ、汝は我より神が許される以上のものを奪うことは出来ない」と。
(以下次回に続く)