全集第35巻P181〜
(日記No.309 1927年(昭和2年) 67歳)
5月1日(日) 晴
つつじが満開し、初夏の美(うる)わしい聖日であった。午前は使徒行伝22章1〜21節にあるパウロの自己弁護の演説を説明した。午後はエステル書第3、4章により、「ハマンの悪計」と題し、ペルシャ古代の宮廷の裏面を窺(うかが)い、その敗壊の原因を研究した。興味ある歴史的ならびに心理学的研究であったと思う。
午前午後を通して、正味300人の出席である。これによって見ると、会員中平均200人は欠席するのである。少し気を緩めれば、我が研究会も直に教会化するであろう。
西洋に「人は生れながらにしてカトリック教徒である」という言葉があるが、これを言い直せば、「人は生れながらにして教会信者である」ということに成る。どこかに教籍を置けばそれで安心であるとの心が起こると見える。困ったものである。
5月2日(月) 曇
家に在って
働いて休んだ。働くとは、私に取っては聖書を説く事である。そしてその事に当るのが唯一の快楽また休養である。その他は全てボゼレーション(煩い
:botheration)である。今日は英文雑誌の校正を終り、一先ず肩の荷を下ろした。
銀行休業に就て多くの悲しい話を聞かされる。同情に堪えない。この世は、これをいくら改善しても、煎じ詰めればこんな所である。米国流のキリスト信者は、何によってそのような惨事を慰めようとするのか、私には解らない。
5月3日(火) 雨
法学士宇佐美六郎が天津から帰任し、支那に関する多くの意味深い観察をもたらして訪問してくれた。支那における英国人の失脚、英米宣教師の引き上げ、平定の見込みのない戦乱、いずれも東洋全体の安危に係わる重大問題である。
かつまた支那在留中、支那独特のキリスト信者らしい独立信者に一人も出会わなかった事などは、支那に福音らしい福音が説かれた事のない証拠の一つとして受け取ることが出来る。
神が支那の伝道を日本人に委ねられる時が遠からず到来するのではあるまいか。
5月4日(水) 半晴
雑誌校正を終った。一先ず寛(くつろ)いだ。ゾームの教会歴史によって、中世史の良い復習をした。相変わらず、俗事に悩まされる。しかし、これもまた良い修養である。
教会の元老の中に所属の教会から冷遇される者が少なくないと聞かされて、同情に堪えないと同時に、教会が決して相互援助の機関ではないという感を強くされた。
5月5日(木) 晴
家族の者と共に、郊外に遊んだ。桜の名所小金井に水道工事が施されて、その風致
(ふうち:自然の景色などの、おもむき。味わい)が、全く壊されたのを見て悲しんだ。これに引き替え、井之頭公園の面目が一変したのを見て喜んだ。
その中に近代人とモダンガールとが、幾組となく相並んで逍遥するのを見て、異様に感じた。20世紀文明とはこんなものであろう。
この日臨時帝国議会においては、国家の浮沈に関わる財政的大議案が提出された。思えば人生は、噴火口の上でダンスしているようなものである。
5月6日(金) 半晴、夜驟雨あり
英文雑誌発送を終った。「証明は最善の伝道なり」との思想に支配され、全日を快く過ごした。政府財界の内情を聞き、身震いするほど恐ろしかった。日本の前途が案じられる。ただそのために祈るだけである。
5月7日(土) 晴
明日の講演準備が主な仕事であった。合間にオイケン哲学を復習した。夜、ラジオで昔の日本義士烈婦の行跡(ぎょうせき
:1 人がおこなってきた事柄。 2 行状。身持ち)を語る浪花節ならびに筑前琵琶を聞き、多いに気を引き立てられた。
外国宣教師には、とうていこの気分は解らない。彼等はこれを野蛮思想と称し、その消滅を要求する。しかしこの誠実を措けば日本人に何も良いところはない。私たちは何を捨てても、これを捨ててはならない。
近代人が同胞の思想を日々悪化しつつあるのに対し、琵琶や三味線を以てする旧い日本音楽が、旧い道徳を維持するのを喜ぶ。
5月8日(日) 晴
麗しの聖日であった。高壇はシャクヤクとアヤメとカーネーションとで飾られた。午前も午後も満員の集会であった。午前は使徒行伝22章23章の中心的真理を「苦難と伝道」と題して語った。信仰を以てこれに当れば、苦難は最上の伝道であると述べた。
午後はエステル書第4章を講じた。モルデカイの確信、エステルの謙遜な勇気について語り、語る者も聴く者も共に力づけられた。最も楽しい聖(きよ)い一日であった。
5月9日(月) 晴
引続きオイケン哲学の復習に、大きな慰めを受けた。これが本当のキリスト教哲学である。満腔の尊敬を表せざるを得ない。
◎ ある旧い兄弟から、富士見町教会分裂の報せを聞き、非常に驚きかつ悲しんだ。何とかこれを阻止することは出来なかったであろうか。教会論は別として、故植村正久君に対し、同情に堪えない。
5月10日(火) 晴
雑誌5月号を発送した。引続き4300部を印刷した。たいていは売り尽す見込みである。これ以上の読者は要らない。集英舎の中型貨物自動車1台で運べる程度である。
◎ 最近の「福音新報」所載「富士見町教会会員の決裂」と題する社説の終りに、次のような文字を見た。
ただここに明らかにして置きたいのは、その決裂の動機が、たとひ已(や)むを得ざるに出たるものであっても、希(ねがわ)くは其の結果として、いわゆる無教会主義者らに、凱歌(がいか)を上げしむるやうな事態に、立ち至らざらしめざれといふ一事である。
と。これは杞憂であると思う。無教会主義者もクリスチャンである以上、他人が困難に在るのを見て、凱歌(がいか)を上げるようなことは為し得ない。もしそんな事をすれば、神は私たちの心から、聖霊を取り上げられる。
主義は主義である。士道は士道である。私たちは震災以来、富士見町教会に引き続いて臨んだ不幸に対し、陰ながら厚い同情を表してきたことは事実である。
もし今回の不幸に対して凱歌を上げる者がいるならば、それは私のような無教会信者ではなくて、同教会と教派を共にする人たちの中にいるのではないかと思う。
それはいずれにしても、主義は主義として、信者は相互の困難に際して、各自の主義に敬意を表しながら、相互を助けたいものである。そうでなければ、主義はいくら立派でも、教会は如何に堅固でも、神の聖霊はその上に下らない。
5月11日(水) 晴
アフリカのランバルネー3月3日発、ドクトルA・シュヴァイツアーの書面が届いた。私たちの少しばかりの伝道寄付金に対する、懇切な感謝の言葉である。
氏のような信仰的勇者の事業にほんの少しでも参加することが出来たのは、この上ない特権である。今後とも氏を通して、私たちの同情が暗黒大陸の民に及ぶことを祈る。
◎ 内村聖書研究会会員で、塚本虎二君指導の下に新約聖書ギリシャ語を研究しつつある者が、今やABCの三級に分かれて、男女合わせて59名いる。今夜今井館において、彼等の親睦会が開かれ、ギリシャ語の暗唱があって盛会であった。
ギリシャ語研究会であるよりは、むしろ信仰養成会であって、美(うる)わしい信仰的団体である。何時(いつ)かは思わざる所に、その結果が現れることと信じる。有難い事である。
5月12日(木) 晴
朝は初夏の日光を浴びつつ、落合方面を散歩した。その発展の著しさに驚いた。ある事から、人が得意になることが如何に恐ろしいかを思わさせられた。人に褒められ、持ち上げられて、その人の生涯は終了(しまい)である。
カーライルのエドワード・アービングを弔う短文が、この事に関する最も良い戒めである。そして
最も憎むべきは、人を持ち上げる人たちである。彼等は人を持ち上げて(崇めると称して)その人を殺す者である。
私たちはこの俗人国に在って、全ての手段方法を尽して、これ等の小人たちを、身に近づけないように努力すべきである。
(以下次回に続く)