全集第35巻P273〜
(日記No.331 1928年(昭和3年) 68歳)
1月14日(土) 晴
押方方義(
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8A%BC%E5%B7%9D%E6%96%B9%E7%BE%A9 )氏永眠の報を聞いて悲しんだ。明治初年からの、我が国キリスト教先達(せんだつ)者の一人である。
才能に余りに長(た)けていたので、一時伝道を擲(なげう)って実業に従事し、代議士に成られたが、世を去る前には再び元の信仰に帰られ、平安の内に眠られたと聞く。私との関係はむしろ浅いものであった。
氏は私に向い、「政治的野心は果たして無いか」としばしば押して聞かれた。「無い」と確答した時に、氏は不思議に思われた様子であった。今から十四五年も前であった。氏と親しく会談した時に(それが最後の会談であった)、氏は私に問うて言われた、「君はまだ行(や)っているか」と。
聖書を説いているかという意味であった。「はい」と答えた時に、氏は研究誌1年分の購読料を払ってくれた。それ以来、氏は政治実業に活動し、私は聖書に閉籠って来た。
どちらが幸いであったか、主は知り給う。本田君、植村君、横井君、押川君と交々逝って跡は寂寞である。しかし主は活きておられる。私たちは恐れずに進むべきである。
1月15日(日) 雪
午後晴れる。2回に分かち、400人余りにイザヤ書2章6〜11節を「繁栄と裁判」と題して語った。講演の取締りは充分でなく、講演はやや失敗であった。引続き傍聴人が妨害の因である。全く彼等を断るわけにも行かず、今もなお困っている。
1月16日(月) 晴
北米カナダ在住の邦人某君(農夫らしい人)から、次のような書面があった。
……私は不幸にして貧、子供も多く、それに11月28日に右足を折り、今も床にいますが、神は私のような者も祝福し、日々の糧(かて)も与えられ、また足が折れたによって一層神の愛を知り、ただ日々感謝の内に暮らしています。
今回、日人の朋友から、少し負傷に対して金を恵まれた故、平常望んでいた書籍二三冊を購入したいと思って、本日郵便為替で7ドル送りました。金が着き次第、別紙の書物を送って下さるよう御願い致します。
農夫が足を折ったのは、全財産を失うのに等しい。その内に在って書物を贖(あがな)って信仰を養おうとする。神が共におられる所にこの余裕がある。
1月17日(火) 晴
昨夜札幌の宮部金吾君が、我が家に泊ってくれた。53年間の友である。共にバプテスマを受けてからここに満50年、彼は札幌に在って独立信仰発祥の地を守り、私は外に出て、その宣伝の任に当らせられた。
旧い農学校の同室に在って、共に祈って始めた信仰がここに至ったことを回顧し、感慨無量、談は談と尽きようもなかった。ただ相互に、「実に不思議だったねー」を幾回も繰返すのみであった。私たちは実際に難しい仕事をさせられたのである。
◎ この日午後目黒に、20歳の娘吉原ヒロ子を彼女の死の床に見舞った。彼女の平和な顔に大きな慰めを得た。彼女と彼女の両親と私と、四人で簡単な聖餐を共にし、パンを分かちブドウ汁を飲み、主の贖いの恵みを感謝して別れた。
私たちはキリストの聖国において、再びこの聖(きよ)い集会を繰り返すであろう。我がルツ子の臨終の光景が眼に浮んだ。
1月18日(水) 雨
去る15日の日曜日に、札幌の新家庭において、かの地の研究誌読者会が開かれ、今日その委細の報告に接した。会する者30人、内に無教会はもちろん、独立、組合、聖公会、メソジスト、日基、ホーリネス等全ての教会が代表された。
その中に各教会の柱石と称される人たちがいたとの事である。午後2時半に始まり、「そこここからの真心からの感話は綿々として尽きず、そのために知らず知らず5時半頃になったが、誰一人去る者もなく」との事であった。こうしてここにもまた計らずも教会合同が実現したのである。
信者が聖書中心に集まる時に、この一致がある。私を「既成教会の破壊者と呼ぶ人は誰か。来て見なさい。私たちの間には教派は忘れられ、ただ愛の交際があるだけである。報告書の終りに言う、
集会後に正子様は例にない大機嫌で、御手に絵ハガキ【鶴の嘴(くちばし)の上に子供が乗っているもの】を御持ちになり、「ジジからジジから」と大喜びで皆に見せておられたのを拝見して、喜びは正子様にまで及んだと言って、大喜びしました。
と。これでは破顔快笑を禁じ得ない。
1月19日(木)
今年もまた東京府立第一高等女学校四年生230名が、キリスト教研究のために、私の聖書講堂に来た。讃美歌あり、代表者5人の宗教上の感話ありで、まるでキリスト教の集会のようであった。
キリスト教の普及がここまで至ったことを思って、驚かざるを得なかった。私は「宗教の三要素」として、神、霊魂、来世を教え、その大要について話した。終りに一同に代り、イエス・キリストの神に向い、簡単な祈祷を捧げて、この意義深い会合を閉じた。
1月20日(金) 晴
近頃ほとんど毎日のように、知人または姻戚の死去の報知に接する。そのように何時かは私の順番が来るのである。この世はまことに死の谷である。こんな不安な所に、我が希望をつなぐことは出来ない。
1月21日(土) 晴
詩篇37篇を読んで非常に感じた。これを「人生実験の歌」と称すべきであろう。全篇40節を21句に別ち、その各句が信仰上の大事業である。5節と6節を合わせて成っている1句とか、第8節の初めの1行とか、第25節など、いずれも自分の実験として語ることが出来る。これらの言葉によって毎日養われる信者は何と幸いなことか。
1月22日(日) 晴
午前は満員の集会であった。「単独の勢力」と題し、イザヤ書63章1〜6節の精神を述べた。午後は7分の集会であって、同2章22節の「鼻より気息(いき)する者」について話した。
両会共に自分としては満足な講演ではなかったが、しかし何か二三、福音の大きな真理を語ったと思って、自分を慰めた。永い間の聖書講演であって、不満足な事は幾回となくあったが、神の御憐憫を蒙って、今日に至るまで、これを継続する事が出来て、感謝の至りである。
遠からずしてこれを廃(や)めねばならぬ時が来るのであるが、その時はさぞかし悲しい事であろうと、今から考えて恐ろしくなる。
1月23日(月) 曇
ある教会では「聖書之研究」を呼んで、「豆ガラ雑誌」と言うと聞いた。まことに好い名である。取って以てこの雑誌の名としたい。信者が読むには足らず、豚が食うべき豆ガラ雑誌であると言う。それだから「読むな」と今日まで長年の間、教会の人々に忠告して来たのである。
しかし幸か不幸か、この豆ガラ雑誌を読む者が絶えないのである。今年も読者が少し増えたようである。私は教会外の豚に豆ガラを供することで満足する者である。
ああ、来てはいけない。読んではいけない。教会の聖徒よ。そして私に休息と余裕を与えよ。
私を豚の教師にならせなさい。聖徒を謝絶する特権を私に与えなさい。「豆ガラ雑誌」! 有難くこの名を頂戴する。
1月24日(火) 晴
オクスフォード大学前教授A・H・セイス(
https://en.wikipedia.org/wiki/Archibald_Sayce )著「考古学と高等批評」を読んだ。128頁の小著述ではあるが、旧約聖書を研究するに当たって、最も有益な書の一つであると言わざるを得ない。
今から30年前にセイス氏の著書を大分読んだ。この書はそれ等の著書の摘要と称して良いものである。高等批評は主として聖書の文学的研究なので、当てにならない。これに対して考古学は科学的事実であって、信頼するに足りる。
そして考古学に依って見た旧約聖書は、堅い基礎の上に立つ書である。原名は次の通りである。
Monument Facts and Higher Critical Fancies. By A. H. Sayce, LL. D., D. D.
東京九段向山堂書店において得られる。定価は郵税を合わせて1円51銭である。この道の人に取っては、再読三読の価値のある書であると思う。
1月25日(水) 晴
「日々の生涯」は、今年からは4頁に止めようと思っていたが、今月もまた思わず元の8頁になってしまった。自分の生涯を書くのであって、読者の精読を煩わすほどのものでない事を、よく承知している。
しかしながら、研究一方で他に何の変化もないこの雑誌に、何か肩の凝(こ)らないものを加えるとすれば、このくらいのものである。
そして単に自分の日記ではない積りである。日記体に綴った修養談である積りである。臆説は書かず、実験だけを記す積りである。無益の記事ではないと思う。
1月26日(木) 半晴
朝から来客が絶えない。大した仕事は何も出来なかった。この世の中を思えば、善事などは一つもなく、万事悉(ことごと)く非である。しかしながら神は居られる。彼は罪のこの世を審判(さば)いて、光明と正義とを招来される。
そしてパウロが言っているように、彼は義の冠を全て彼が現れるのを慕う者に与えて下さる(テモテ後書4章8節)。人と言う人が全て短いこの世の生涯のために全力を注ぎつつあるのを見て、彼等は全て狂っているのではないかと思われて困る。
1月27日(金) 晴
この世は全て悪い。しかし神は善である。そして彼に依る者は、全て善い。私たちは神に依り頼んで、悪い世に在って、善くあることが出来る。この事に就て、他(ひと)は他であり、自分は自分である。この事に就てだけは、強いて努めて責任と恩恵を分かつ事が出来ない。
地獄の火の中に在りながら、天国の清涼を楽しむことが出来るのが信仰の力である。まことに有難いことである。それだから吹けよ、荒れよである。
我が岩なる神の懐に抱かれて、暴風の荒れ狂う今日のこの世界に在って、春の長閑(のどけ)さに
常に極楽鳥が囀(さえず)る声を聞きながら、間断ない平安な生涯を送ることが出来る。
(以下次回に続く)