全集第35巻P455〜
(日記No.373 1929年(昭和4年) 69歳)
5月25日(土) 晴
神がもし、もう一度健康を与えて下さるなら、もう一度、今度は徹底的にキリストの再臨を唱えたいと思う。これは実に宇宙人生の最大問題であって、万物の帰着する所、歴史の総まくりであると思う。
グラッドストン翁の最後の事業は、監督バトラーの著書を編纂して、来世の存在を証明しようとする事であったとは、予(か)ねて聞き及んでいたが、私もこれに倣って、生涯の最後の仕事として、キリスト信者の希望の理由を、自分の能力相応に立証したいと思う。
しかし自分不相応に、既に沢山福音を宣べさせていただいたのであるから、この上さらに強いて恩恵を要求することは出来ない。ただ聖意(みこころ)を成らしめて下さいますように。
5月26日(日) 晴
初夏の麗しい聖日であった。引続き塚本が高壇を守り、私は午前午後共に10分ずつの感話を述べた。360人の出席者があった。内男174人、女186人で、とうとう女の数が男の数を上回った。
私は講演を二カ月にわたって休んだが、集会の状況に少しも変りなく、これなら私が居なくなっても会は依然として継続することが確かめられた。組織だった教会を作らなければ集会は消えてしまうという教会者の言葉は、間違いである。
真の福音が説かれる所に、制度や教則はなくても、集会は依然として継続される。その一例を私たちが作ったのである。感謝に堪えない。
5月27日(月) 半晴
久しく品切れであった「ロマ書の研究」の新版(第6版)が出来て非常に嬉しかった。何と言っても、この書は我が著書中の中堅である。これに対し、私は一つの聖(きよ)い誇りを禁じ得ない。
明治大正の日本において、神がこの書を作る光栄を、教会の人に与えずに、無教会信者の自分に下されたことを感謝せざるを得ない。これは監督とか神学博士であることに数等優る光栄である。
日本人は当分の間この書によって、キリストの福音が何であるかを学ぶであろう。大会堂を建てなくても、この書を遺しておけば、福音は自ずから我が同胞の間に広がるであろう。700頁の大冊が新たに我が前に横たわるのを見て、讃美の歌が新たに私の心の底から上がるのを覚える。
5月28日(火) 曇
キルクパトリックの著「預言者の教」にエレミヤ評論を読み、彼エレミヤに対する同情を新たにした。世に彼ほど不幸な人はいなかった。彼の80歳に近い生涯は、失望・迫害の連続であった。
「何故私は生れたのか」と彼が幾回も叫んだのは少しも無理でない。もし人に来世が無いならば、人生ほど無意味なものはない。しかしエレミヤのような人がいた事が、来世が有る何よりも良い証拠である。
実に最善は死んで後に来るに相違ない。この世は偽善者が栄える世、義者が終生俗人どもに嘲弄(ちょうろう)虐待(ぎゃくたい)される世である。こんな世界の他に世界が無いと言うならば、造化は大失敗であった。
しかしそんな事があるはずがない。最も美しい世界が、幕一枚の彼方(かなた)に在るに相違ない。そう思って憂世(うきよ)までが憂世でなくなる。一昨日、旧い教友の一人北沢正孝君が、美(うる)わしい死を遂げた。死は毎日ある事で、信者に取っては少しも恐ろしい事でない。
◎ 活動してはならないと医師は言う。しかし活動のための生涯ではないか。活動を止めるならば、死んだ方が可(よ)いではないか。そうではない。活動より良い事がある。それは信仰である。信仰は活動の代りに祈祷を以てする事である。神に、私に代って活動して頂く事である。
あるいはまた、神の御活動を私の活動として分けて頂く事である。故に信者は活動を止めて、信仰によって
より大きな事を為すことが出来る。有難いものは信仰である。
5月29日(水) 半晴
引続き休養の一日であった。随分と骨の折れる事である。何の自覚症状もなくて、突然マヒで斃(たお)れるかも知れないと言うのが、心臓病の特徴であると言うのだから
やり切れない。毎日死ぬのを待つようなものである。
しかしながら、「人はその天職を終るまでは不滅である」と言うのが私たちの信仰であるから、私たちはびくつく必要はない。しかし医学はそんな事を認めないから、頻(しき)りに警戒を連発する。この辺に確かに科学と宗教との衝突がある。
そして病に罹って最も不愉快な事は、幾分かは
不信の科学に譲歩しなければならない事である。
5月30日(木) 半晴
教会とは宗教的野心家が、この世において勢力を扶植する所であるとの観念は、米欧宣教師によってこの国に移植され、今や大抵の信者が抱く思想であるが、実際はそんなものでない事は、言うまでもない。
もしエクレシアに意味があるならば、それは
キリストに依って生きる全ての信者の霊的交際である。これは切っても切れない縁であって、こんなに深い、固くて貴い関係は他に無いのである。
そして私たちは、この意味においての教会があることを、信仰における私たちの兄弟姉妹が、平和に死に就く時に知る。ここに死その物さえ断つことの出来ない聖(きよ)い関係が在るのを見る。
教会は墓の彼方・こなたに別れて存在する、キリストの血によって贖われた者の団体である。これに制度とか勢力争いとか言うような者があるはずがない。そのような貴い者を、いやらしい者にしてしまった教会者の罪は軽くない。
5月31日(金) 半晴
近頃またまた切実に感じる事は、真の信者は上流社会または知識階級に甚だ乏しくて、却って中流以下の純平民の内に多い事である。「
兄弟よ聖召(めし)を蒙(こうむ)れる汝等を視よ、肉に遁(のが)れる智慧ある者多からず、能力ある者多からず、貴き者多からざる也云々」の有名なパウロの言葉は今日なおそのまま事実である。
近頃世を去った、我が聖書研究会員北沢政高君などは、その好い実例である。身は逓信省の小官吏でありながら、実に立派な生涯を送り、立派な死を遂げた。信仰維持のためには如何なる犠牲を払うのも厭わず、また隠れて多くの効果ある伝道をした。
しかも碌(ろく)な小学教育をも受けず、正直の他に何の取柄(とりえ)も無い人のように見えた。彼は今は天父の家において、輝いているであろう。私たちは地上に在って、彼のような者を信仰の友として持ったことを誇りとする。
6月1日(土) 雨
月が変わって大分に快く、やや自分らしく感じた。二カ月間の辛い試練であった。震災直後に、在米誌友の寄贈による講堂備付けの大オルガンの修繕が完成して感謝であった。
これも私の健康と同じく、一時は失望であったが、共益商社楽器部の親切により、完全に修繕が成って、大きな感謝である。活動の春は再び来るであろう。ピリピ書1章23〜25節が、このような場合に私が言いたいと思う所である。
(ピリピ書1章23〜25節)
23節 私は、その二つのものの間に板ばさみとなっています。私の願いは、
世を去ってキリストとともにいることです。実はそのほうが、はるか
にまさっています。
24節 しかし、この肉体にとどまることが、あなたがたのためには、もっと
必要です。
25節 私はこのことを確信していますから、あなたがたの信仰の進歩と喜び
とのために、私が生きながらえて、あなたがたすべてといっしょにい
るようになることを知っています。
6月2日(日) 晴
私に取って記憶すべき日である。51年前に札幌でハリスさんからバプテスマを受けた日は、今日のような麗しい日であった。昨年の今日、青山墓地において旧師の墓に花を供えた5人の旧友の中で、二人は既に墓の彼方に去った。
朝の集会で、20分ほどの感話を述べた。来会者は二回合わせて349人、高壇は引続き塚本に託した。万事可ならざるはなしである。
6月3日(月) 晴
少し元気が付いてきたためか、今日は久し振りに腹が立った。私も米国宣教師同様社会改良教を唱える者であるかのように思う人が、私の弟子だと自ら任じる者の中にいる事を知ったからである。
私は、この世を良くするための福音を説かない積りである。私にもしキリスト教があるとするならば、それは来世教であって、現世教でない。「
我等主の恐るべきを知るが故に人に勧む」(コリント後書5章11節)である。人にキリストの審判の座の前に遁れるべき道を知らせるための福音を説くのである。
そしてそのような福音であるから、この世を良くするために多大な効力があるのである。
現世教は、人を来世において救わないのは勿論のこと、現世においても根本的には救えない。救世軍、基督教青年会等がごく浅く民の傷を癒すに止まるのを見て、その事が良く分かる。
いずれにしろ私たちが説くキリスト教が、政府や社会にその価値を認められる教であってはならない。この世の人たちには無用視されて、天においてのみ賞美される者でなくてはならない。
(以下次回に続く)