全集第28巻P27〜
末日の模型
新日本建設の絶好の機会
大正12年(1923年)10月10日
「聖書之研究」279号
主の日の来ること盗人(ぬすびと)の夜来るが如くならん。其日には
天大なる響ありて去り、体質(たいしつ)尽(ことごと)く焚毀(やけく
ず)れ、地と其中に有る物皆焚尽(やけつ)きん。……
然(さ)れど我等は約束に由りて新しき天と新しき地を望み待てり。
義その中に在り。
(ペテロ後書3章10〜13節)
◎ 大なる災害は東京ならびにその付近の地を襲った。何十万という人が死に、何十万という人が傷つき、何十万軒という家が焼け、多分何十億という富が失せたであろう。
実に悲惨の極、酸鼻(さんび)の極、これを言語に尽すことは出来ない。このために神の存在を疑う人もあろう。人生の無意味を唱える人もあろう。しかし、在った事は在ったのである。
一日の内に大東京の枢要部は失せたのである。人間が何百年かかって作ったものを、天然は一日で滅ぼしてしまったのである。無残と言おうか、無慈悲と言おうか。しかし事実は事実であったのである。
◎ かつてドクトル・ジョンソンが1755年に起った、ポルトガル国の首府リスボンの地震の事を聞いた時に、常には強堅な信仰だと称えられた彼の信仰も、この時ばかりは動いたとの事である。
そのように私どももまた、この惨劇を目前に見て、「神が若し在るとすれば、この事がどうして起きたのか」という問いを発したくなる。ところが天に声なし地に口なしである。そして悲惨な事実は、厳然として私どもを睨(にら)みつけるのである。
私どもはこれに対して、ただ、「
それ人は既に草の如く、其栄はすべての草の花の如し。草は枯れ、其花は落つ」と、口の中に繰り返すだけである。神の事は別として、人間の弱さが、そのような時にしみじみと感じられるのである。
◎ 日本国の華を集めた東京市は滅んだ。しかし、何が滅んだのであるか。帝国劇場が滅んだ。三越呉服店が滅んだ。白木屋、松屋、伊東呉服店が滅んだ。御木本(みきもと)の真珠店が滅んだ。天賞堂、大勝堂等の装飾店が滅んだ。実に惜しい事である。
しかしながら、若(も)し誠に天の使者(つかい)が、大震災の前日、即ち8月31日の夕暮に、新橋から上野まで、審判(さばき)の剣をひっさげて、通過したと仮定するならば、
彼は、この家こそ実に天国建設のために必要不可欠なものであると認められるものを発見したであろうか。
私は一軒も無かったであろうと思う。三越も白木屋も天国建設のために害を為すものであっても、益を為すものでなかったと思う。
ある人は問うであろう、「日本全国に聖書を供給する京橋尾張町の米国聖書会社はどうか。内村先生の著書を出版し、また販売する同町の警世社書店はどうか」と。私はこれに答えて言う、「主は知り給う」と。多分天使は、これをも火で浄める必要を認めたのであろうと思う。
このようにして、人生が遊戯でない限り、正義の実現が万物存在の理由である限り、神がこの虚栄の街(ちまた)を滅ぼされたという事で、私どもは残忍無慈悲だとして彼を責めることは出来ない。
単に新聞雑誌に現れた震災以前の東京市の状態を考えても、この災害がこれに臨んだのは、誠に止むを得ないと言わざるを得ない。
聖書に記されているように、天使はこの状(さま)を見て言ったであろう、「
然り主たる全能の神よ、汝の審判(さばき)は正しく且つ義なり」と(黙示録16章7節)。
◎ これに付随して、罪なき者の問題が起る。このたびの災禍(わざわい)においても、他の災禍の場合におけるように、災禍を呼んだ罪に直接関係のない多くの者が死に、また苦しんだ。
私どもは、罪なき者の苦患(くるしみ)に関する人生の深い奥義を探ることは出来ない。社会は一団体であって、人は相互の責任を担うように造られた者であるので、善人が悪人と共に苦しむのは止むを得ないと言って、一部分の説明とすることが出来る。
しかしながら、これによって万事を説明することは出来ない。奥義は依然として奥義として残る。私どもは罪を審判(さば)かれた正義の聖手(みて)を義とするが、それと同時に、その犠牲となった多くの人のために泣く。
そしてこの事に関して最も甚だしく痛んでおられるのは、天におられる父御自身であると信じる。彼は、私達が知らないある方法によって、充分にこの苦痛を償(つぐな)われると信じる。
罪人に臨む滅亡は適当な刑罰であって、罪なき者に臨む死は、一種の贖罪である。神は同時に災禍を善悪両様の人の上に降して、災禍そのものの内に恩恵贖罪の途を備えられるのであると信じる。
◎ 今回の災害は、実に甚大であった。日本は歴史始まって以来最大の災禍と称するべきであろう。
しかしながら、これは世の終末ではないと信じる。災害の区域は広いが、しかし日本全体から見て、局部的である。まして世界全体から見て、一小局部に起った災害であるに過ぎない。
しかし、世界全体から見れば確かに小さいが、よく
最後に起るべき大審判がどのようなものであるかを示す。
キリスト再臨の反対論者は常に言う、「天然にも歴史にも、カタストロフィー即ち激変なるものはない。万事万物尽(ことごと)く徐々に進化するのである」と。
ところが事実はそうではなくて、私どもはここに大激変を目撃したのである。一夜にして大都市が滅亡したのである。三百年かかって作り上げられたいわゆる江戸文明が、数分間で破壊されたのである。これは確かにカタストロフィー(激変)ではないか。
大正12年9月1日、午前11時55分に、江戸文明は滅びて、ここに善か悪かは未だ判明しないが、いずれにしろ日本国の歴史に新紀元が開かれたのである。
◎ 「審判(さばき)の災禍は不意に来る。ゆえに備えせよ」と。これは決して無い事ではない。私どもは事実そのままを目撃したのである。徐々とした進化に依頼して備えをしなければ、激変が突然臨んで、私達はこれに応じる時を逸する。
私は進化を信じるが、激変の伴わない進化は信じない。宇宙も人類も、進化の間に激変を挟(さしはさ)みつつ進んできたのであると信じる。
◎
私どもを今回見舞ったカタストロフィーは、全世界を最後に見舞うべき大カタストロフィーの模型である。
今回の災害において、私どもは一日の内に大東京が燃え崩れて、焦土と化した惨劇を目撃した。ところがかの日には、全世界が燃え崩れて、体質は尽(ことごと)く焼けとけるであろうとの事である。この事があって、かの事は無いとは言い得ない。
神も天然も、学者の学説や文士の思想には何の遠慮会釈もなく、その思うがままを断行する。悲惨の極、酸鼻の極と嘆いてもそれまでである。私どもは神の言葉にこの事があるのを示されて、常にこれに応じる準備を為すべきである。
即ち潔(きよ)い行いをし、神を敬って神の日が来るのを待つべきである。「
人々平和無事なりと言はん時、滅亡(ほろび)たちまちに来らん。人々絶えて避(さく)ることを得じ」とテサロニケ前書5章3節にある通りである。
◎ 滅亡はたびたび人類に臨む。しかし、滅亡のための滅亡ではない。潔(きよ)めのための滅亡である。救いのための滅亡である。世の終末と聞けば恐ろしいが、
終末ではない。新天地の開始である。
最後にこの世に臨む大破壊、大激変は、この目的のために臨むのである。それと同じく、今回のこの災害もまた、この目的で臨んだのである。これによって東京と日本とが亡びるのではない。
より善い、より義(ただ)しい、より潔(きよ)い東京と日本とが現れようとしているのである。
先ず第一に亡びたのは、恋愛至上主義である。旧い日本において旧い道徳が再び権威を有(も)つに至った。これは実にありがたい事である。有島事件とこの震災と、どちらが大きな災害であったかと尋ねられれば、私は有島事件であると答える。
震災は物質ならびに肉体の喪失を生じたに過ぎないが、有島事件に現れた道徳の堕落は、霊魂の滅亡を意味する。もし数十万人の肉体の犠牲によって数千万人の霊魂が助かったとすれば、犠牲は決して過大なものではない。
◎ この震災によって永く閉ざされていた同胞間の泉が開かれた。日本人の胸中になお未だ熱い同情が存していることが、今回の災害によって明らかに示された。
それだけではない。米国の日本に対する伝統的友誼(ゆうぎ)が復活して、ここに危機に瀕していた日米関係が、昔の美(うる)わしい状態に返りつつある。さらに、将に敵国と化しつつあった隣国の支那までが、その防穀令を撤回して、数十万石の米穀を我が国に寄贈しつつあるとの事である。
神は日本国に大きな傷を負わせて、その民の霊魂を覚まさせ、また全世界に、これに対して同情を注がせて、いわゆる排日運動の根を絶たれつつある。
私どもはここに、新日本建設の絶好の機会を与えられたのである。
(1923年9月9日)
完