全集第34巻P509〜
(日記No.263 1925年(大正14年) 65歳)
11月25日(水) 曇
雑誌12月号の編集を終った。これで先ず大正14年度の雑誌も、滞りなく出来た次第である。庭の秋が酣(たけなわ)である。楓は真紅に紅葉し、紅白の山茶花は満開、その間に夏の最後のバラと冬の最初の椿とが混じって、春にも優る賑やかさである。
家は至って静かである。家の若者は海外に留学して不在、老夫婦が留守を守る。同居の甥と姪とは昼は家に居ることが少ない。ただ昨日赤ん坊がその母と共に帰って来たので家は急に賑やかになり、今日はそれ(赤ん坊)が主人公となった。
旧車夫の音吉は預言寺を守り、家付きの女中一人と派出婦一人とが台所と玄関とを守る。動物は、古参のオウムローラは相変わらず元気である。カナリヤ鳥は晴天を喜んで囀(さえず)り、新来の子犬パロは既に幾分かは夜警の任務を尽す。先ず以て平和な家族と称して良かろう。
毎金曜日の夜に家庭の祈祷会が開かれる。その時に主従老幼の差別なく、一室に会し、神を讃美し、聖書を対読し、祈祷を捧げる。これがあって一家の清潔と厳粛と温情とが維持される。一家平安の基礎は、その祈祷会に在る。
キリストが崇められない家庭に、真の幸福はない。私たちは家庭を作って以来、この神聖な義務を怠ったことはない。私たちはまた、食前に感謝の祈祷を捧げる。私たちの内、誰も感謝せずに箸(はし)を取り上げない。
こうして始めた食事に不平は起らない。主がこれをつかさどって下さるからである。歳は祈祷を以て始まり、祈祷を以て終る。全然無意味な日など一日もない。何か善い事をし、善い事を学ぶ。神が私たちを守り導いて下さるからである。
そして私にはこの他に信仰的大家族がある。それは数千人の本誌の読者であって、私は毎日彼等のために祈る。私は毎月私の最善を彼等に与えようと努力する。彼等が居るので私はこの世に在って強くなる。かの世に行っても淋しくない。歳末に際し、神の最大の恩恵が、この大家族の上に降ることを祈る。
11月26日(木) 曇
エゼキエル書33章を読んだ。偉大な章である。エゼキエルの場合においては、預言者が民の番人であった。「
人の子よ、我れ汝を立てイスラエルの家の守望者(まもりびと)(番人)となす。汝、我が口より言を聞き、我に代りて彼等を警(いまし)むべし」(7節)と。
辛く難しい役目である。そしてこの役目を務める者は、民からどのような扱いを受けるかと言えば、実に次のようであると言う。
人の子よ、汝の民の人々、垣の下、家の門にて汝の事を論じ(評し)
互に語合ひ、各々その兄弟に言ふ、いざ我等如何なる言のエホバよ
り出るかを聴かんと。
彼等民の集会の如くに汝に来り、我民の如くに汝の前に坐して汝の
言を聞かん。然れども之を行はじ。彼等は口に悦ばしき所の事を為
(な)し、其心は利に走るなり。
彼等には汝は悦(よろこ)ばしき歌、美(うる)はしき声、美(よ)く奏
(かなづ)る者の如し。彼等は汝の言を聞かん。然れど之を行はざる
べし。
真の預言者の運命は恒(つね)にそのようである。彼の思想と熱心とは悦ばれる。けれども行われない。彼は悦ばしき歌、美(うる)わしい声として扱われる。けれども若(も)し言葉の実行を民に迫れば、彼は彼等に嫌われ、また排斥される。昔の預言者に対し、同情せずにいられない。
◎ 午後バビロンに行き、在外の友人にクリスマスの祝賀を送った。
11月27日(金) 晴
台湾井上伊之助君の訪問があった。生蕃伝道について相談を受けた。邦人中にこの事業に対して同情が甚だ少ないのを聞いて悲しんだ。この事業もまた、外国人が執るものとなるであろう。
日本人の内には、蕃人の霊魂を救うと言うような事業に心を傾ける者は滅多にいない。情けない事である。
◎ 女子英学塾の四年生二人が、聖書研究会に入れてくれと言って来た。私は彼等に告げて言った、
貴女方(あなたがた)は、キリスト教はどのような教えであるか御承知ですか。キリスト教は深刻な宗教です。人をその根本から改造せずには止みません。第一に貴女方各自が、神の前に罪人であるということを教えます。
また若(も)し貴女方が本当にキリスト教が解って信者に成ったとすれば、貴女方は必ずこの不信の世から沢山の迫害を受けます。貴女方にその覚悟はありますか。
と。そう言って彼等に再考を促して帰した。私は彼等に善い事をしたと思う。容易に入れるのは、却て彼等を禍(わざわい)に導く途であると信じる。
11月28日(土) 曇
有名な異端的キリスト伝の著者ストラウス(
https://en.wikipedia.org/wiki/David_Strauss )の小伝を読み、彼に対し深い同情を禁じ得なかった。何故に西洋のキリスト教会が、彼のような正直な学者を終生苦しめたのか、私には理解できない。
(参考: https://www.amazon.co.jp/Life-Jesus-Critically-Examined/dp/B004QOAAPQ/ref=sr_1_5?s=english-books&ie=UTF8&qid=1551856772&sr=1-5&keywords=The+Life+of+Jesus%2C+Critically+Examined )
彼のいわゆる「異端」にも一面の大真理がある。そしてその真理は、今に至っても死なず、彼の感化もまた絶えない。恐れるに足りない者は、教会の反対である。私たちは真理に忠実になり、
教会の存在を眼中に置かずに進むべきである。
◎ 今日もまた私の著書に対し、沢山の注文があった。実に不思議である。広告をせず、教会には全体に憎まれているに関わらず、著書の注文が絶えないのは、実に不思議である。その点において、私はストラウスよりも遥かに幸福である。教会は彼を苦しめたように私を苦しめることが出来ない。
11月29日(日) 晴
朝はマタイ伝26章、マルコ伝14章等により、「最後の晩餐」について講じた。問題が大き過ぎて満足に語り得なかった。午後は「勇気の必要」について述べた。聴衆が熱心なのに対して、私の熱心が足らない事を恥じる。ある時はパウロと同じく、「他の人を教へて、自(みず)から棄られんことを恐る」(コリント前書9章27節)。
11月30日(月) 晴
赤ん坊が一家の注意の的である。その辜(つみ)のない顔に私たちは天国を見、キリストを拝し奉る。誠に私たちは、赤ん坊に成らなければ天国に入ることが出来ない。赤ん坊は、人類最大の教師である。
神は絶えず赤ん坊を世に送って、その堕落を止めて下さる。赤ん坊が絶える時に、世は真暗黒である。世の如何なる大教師も、赤ん坊に代って人を教えることが出来ない。久し振りに赤ん坊を我が家に迎えて、大光明が新たに私たちの間に臨んだことを認める。
12月1日(火) 晴
静かな一日であった。聖書の研究、普通知識の摂取、原稿書き、校正等平日の通り。神の恩恵により、全く無益に過ごす日などは一日もない。何か一つぐらい善い事をする。それだから平凡な日は、実は有効な日である。幸いな事である。
12月2日(水) 晴
雑誌の校正が主な仕事であった。相変わらず苦しい仕事である。自分が書いたものを二度も三度も読むのであって、こんな厭な仕事はない。しかし記者が苦しまなければ、読者は益を得ない。読者がなるべく容易に読めるようにしようとして努力するのである。
そのために、老眼を非常に苦しめるのである。止むを得ない。他の事ではない。キリストの福音の伝播である。そのためにたとえ目は潰(つぶ)れ、手は萎(な)えても惜しくはない。30年以上も校正に従事して倦(あ)きないのは、これまた不思議である。
12月3日(木) 晴
朝早くから学びかつ働いた。預言者エゼキエルの救拯観(きゅうじょうかん)について読み、非常に感じた。ルカ伝2章34節について考えさせられた。
「
此(この)嬰児はイスラエルの多くの人の頽(ほろ)びん事と興らん事との号(しるし)に立らるべし」とある。イエスが世に顕(あら)われたので、多くの人が亡びたとの事である。不思議であるが事実である。
それと同様に、私たちもまた真剣に福音を説いて、そのために多くの人が亡びるのは止むを得ない。福音は興す能力(ちから)であるだけでなく、また亡ぼす能力(ちから)である。
この事を思って、堪えられないほど悲しい。しかしながらこれは変えようのない事実である。一度福音を受けて、そのために亡びた者が多くあったことは、伝道師だけの罪ではない。
福音そのものにこの活殺力があるのである。
(以下次回に続く)