全集第35巻P283〜
(日記No.333 1928年(昭和3年) 68歳)
2月10日(金) 半晴
聖研第331号を発送した。今年に入って、またまた少し発行部数が増えた。九州、朝鮮、台湾等西南方面に読者が急に増えた事が、著しい現象である。
本誌は長い間、東北7分西南3分の割合であったが、近頃に至り東西相半ばするに至り、ややもすれば西が東を凌駕(りょうが)しようとする形勢である。我が国の精神的中心は依然として西に在るので、西方の発展は、最も好ましい事と言わざるを得ない。
2月11日(土) 雪
英文雑誌の終刊号を発送した。これで先ず重荷を一つ下したのである。担わなくてもよい重荷であったかも知らない。しかし終(つい)には担わなければならない重荷と成ったので、最善を尽くして担ったのである。
そして担い通すことが出来て感謝である。神だけが万事を知っておられる。彼に委ねまつれば、万事は安全である。
より小さな雑誌の始末をつけて、
より大きな雑誌に良い終結(おわり)を与える練習をしたのかも知れない。
始めるのは容易で、終わるのは難しい。
願う、神の恩恵によって、我が長子「聖書之研究」を立派に終り得ることを。
2月12日(日) 晴
雪後の悪路に関わらず、午前午後と合せて350人ほどの参会者があった。午前は前回に引き続きルカ伝16章19節以下に示されているイエスの死後生命観に就て述べた。
彼はある事に就ては、人が思うよりも狭く、ある事に就ては人が思うより広いと言ってその例を示した。午後は「エルサレムの婦人」と題して、イザヤ書第3章の要点を述べた。
午前は主として大人のため、午後は青年のための集会である。午前は厳粛で、午後は活気がある。聖日ごとの霊的大饗宴である。
2月13日(月) 晴
チェンバース百科字典第10巻即ち最後の巻が配達され多くの精読資料を供し、毎日知識の饗応に与りつつある。英国百科字典のように膨大でなく、よく各項の要点を与え、私ぐらいの知識程度の者を益すること多大である。
人を教えることが多くて、教えられることが少ない私のような者は、このような大教師を座右に備えて、時々指導を受ける必要がある。第9巻におけるプフライデレルが物した Schleiermacher ならびにアルフレッド・ワレスが執筆した Spiritualism の二項など、いずれも千金の価値ありと言わざるを得ない。
宇宙人生の最大問題に就いて教えられ、また教えるのに勝る幸福はない。第10巻は819頁の大冊で、その代価はわずかに11円、中学校の授業料一学期分に過ぎない。読書の恩恵もまた何と大きいことか。
2月14日(火) 雪
旧暦による私の誕生日であった。67年前、文久元年酉年の今日、今の本郷区真砂町30番地、当時の松平右京亮邸において、男子が生れたとの報に接して、私の父は喜んだ事であろう。
彼はその嬰児が、67年後にこんなに成ろうとは少しも思わなかったであろう。私もまたこう成ろうとは少しも思わなかった。全能者に余儀なくされたのである。聖旨(みむね)が成りますようにと言うより他にどうする事も出来ない。
2月15日(水) 晴
久し振りに日本銀行に行き、英文雑誌廃刊の手続きを済ませた。これで先ず、雑誌が元の通り一つになって、肩の荷が非常に軽くなった次第である。小さな雑誌ではあったが、何しろ世界を相手にする者であったので、責任は非常に重かった。
これを止めて、生命は確かに10年ぐらい延びたように思う。こんな危ない仕事を試みる者は、日本人中に私を除いては他に一人もあるまい。神は私を助けて下さって、これを終らせられたのは、大々的感謝である。
2月16日(木) 曇
普通選挙で全国到る所、騒擾を極めている。私も選挙権を与えられて、どのようにこれを使用しようかと苦心する。
一、清き一票は有るが、これを与えるべき清い政治家は無い。故に
棄権する。
二、利口者は箒で掃くほどある。けれども人物は一人も無い。故に
名誉の棄権と肚(はら)を決めた。
これが今日の純な日本人の声である。大いに考えさせられる。
2月17日(金) 半晴
日向(ひゅうが)都城日本基督教会牧師園部丑之助君から、次のような書面が届いた。
本月の誌上に「日々の生涯」欄縮小の御希望の由を承り候えども、寧(むし)ろ拡大してこそ然るべきと存じ候。同志の友人の経験は、不思議にも研究誌を一頁から読むよりは、「日々」欄から読み始めるように見受けられ候。論理を後に、実際生涯を先に致したいのが人情の然(しか)らしむる所かと存じ候云々。
他にも同一の意見を申し越された誌友があった。彼等の意見に従うより他に途がない。
筆執る者の生涯は甚だ単調なものであって、変化などほとんどなく、
読み、語り、書くより他にほとんどする事がない生涯なので、これを読者に伝えても何の意味もないであろうと思い、時々廃欄を思う次第である。しかし益があるとの事だから、継続するまでである。読者諸君の御加祷を要求する。
2月18日(土) 晴
世は引続き選挙で騒いでいる。しかし私はこれに対して別に興味を持たない。それは私が政治を嫌うからでない。
争うべき大問題が無い選挙に関与する必要が無いからである。
今やいずれの政党も、その政策として発表するものは、いずれも似たり寄ったりであって、いずれの政党に与(くみ)しても、その為そうと思うところに、大した変りはない。故にいずれの政党が勝っても、結局多く異なる所はない。
何故もっと大問題を掲げて争わないのか。軍備大縮小とか、国家的禁酒とか、米国の排日法に対する排米法案とか、数えれば大問題はいくらでもある。ところがこれを措(お)いて、誰もが唱え得る政策を掲げて、多数の投票を得ようとするような、そんな政治運動に、私は参加することは出来ない。
いずれにしろ私のような者は、この世の問題には、全て携わらないのが良い。宗教家は政治に携わってはいけないと言う事には深い理由がある。彼はこの世以外の事を取り扱う者であるからである。「
我国は此(この)世のものに非ず」とイエスが言われた通りである。
2月19日(日) 晴
両回の集会に変りなし。朝はマタイ伝22章23〜33節を本文として「復活とその後の状態」という題目の下に語った。随分と骨の折れる講話であった。午後はイザヤ書第3章13節以下により、前回に引き続き、「エルサレムの婦人」に就て語った。
事は考古学の研究にわたり、これまた余り信仰を勧めるのに足りる講演でなかった。説教ではなく、研究なので、ある時は学究的であるのは止むを得ない。ただしかし、福音を説くのは楽しくて、その他の事を説くのは楽しくないのは事実である。
いずれにしろ世は政治運動に熱狂しつつああるこの際に、私たち数百の同志が、この聖日に、あるいは未来の天国を語り、あるいは太古の歴史を探るのは、如何に楽しく、如何に幸いな事か。
このような時に私たちは、詩篇16篇6節の言葉を、我が言葉として口ずさまざるを得ない。「
準縄(はかりなわ)は我が為に楽しき地に落ちたり。宜(う)べ我れ善き嗣業(ゆずり)を得たる哉(かな)」と。
2月20日(月) 晴
普通選挙最初の投票日である。一時は棄権と決心したが、翻って思った。これは故島田三郎君、同河野広中氏、尾崎行雄君等の政界の清士が努力奮闘して国民の為に得た権利である。
これを理想的に用いることが出来ないからと言って使用しないのは、これ等の諸氏に対して申し訳ない次第である。そう思い返して、リューマチを病む重い足を引きずりながら投票所に行き、朝報社時代の同僚である民政党公認候補者斯波貞吉君に我が一票を投じた。
民政党が他党に勝って特別に良いと思ったからでない。もし投票するとすれば、我が区の候補者中、私が知る範囲において、斯波君以上に確実な人を見出すことが出来ないからである。政治はこの世の事であって、到底完全を期することは出来ない。今日棄権しなかったことは、悪い事ではなかったと思う。
(以下次回に続く)