「緑陰対話」他一編
明治38年8月10日
1.緑陰対話
◎ 暑いです。暑いです。なかなか暑いです。しかし、今は角筈の森の好時節です。子供はみんな海へ泳ぎに参りまして、静かな上にもいっそう静かです。
私は朝は、仕事場に入って働き、午後はたいていは、櫟(くぬぎ)林の緑陰を逍遥して、楽しい夢考に耽(ふけ)っています。あるいはダンテと共に、あるいはワーズワースと共に、淋しい楽しい生涯を送りつつあります。
◎ 私の庭に、石竹(せきちく)(
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E7%AB%B9 )科の一種で、「おいらん草」(
http://www.hana300.com/oirans.html )という名の草花があります。良い香りを放つ濃紫の花で、私が愛する花の一つです。
この花は、毎年七月中旬になると咲き出します。そしてこの花が咲き初(そ)めるごとに、私が思い出すことは、夏期講談会です。私の家族の話は、この花の咲くのを見る時には、いつでも過ぎた年の三回の夏期講談会に及び至ります。
そこで近頃は、「おいらん草」の名が、あまりに軟弱に思われるので、この花を「夏期講談会草」と呼ぶことにしました。少し長過ぎる名ではありますが、しかし至って適当な名であると思います。私共は、今後毎年この花を見て、死ぬまであの喜ばしかった会合を思いだそうと思います。
◎ 三回の夏期講談会は、実に有益な会合でした。これによって、本当のキリスト信者になった者をだいぶ見受けます。自分一人がなっただけでなく、全家族を導き、全村までを感化した者も、その来会者の中から出ました。
これを司った者にとっては、ずいぶん辛い会合ではありましたが、しかし、その結果が予想外に良かったのを見て、今はただ感謝に溢れるばかりです。
私は、あまり集会の類を好みません。しかし、そのような会合を一生涯に三度設ける方が、益のない会合を千回設けるよりもましです。
◎ それはそうとして、私が今日最も努めていることは、何とかして、人と争うことなしに、日々を愉快に送ろうということです。私はどういうわけか、近頃は全ての争闘が厭になりました。この百年に足らない生涯を、一日でも不愉快極まる争闘に費やすとは、いかにもつまらないことです。
よって、どのようにして争闘のない平和な生涯を送ろうかと、種々思考を凝(こ)らしたところ、私は次の結論に達しました。
◎ 争闘は、利害の衝突から起こるものに決まっています。ゆえになるべく人との利害の関係から遠ざかれば、それだけ争闘の原因が減るわけです。即ち人と接触することが、少なければ少ないほど、それだけ平和の生涯が送れるわけです。
この事により、独立生涯が、平和に必要な理由がよく分かると思います。国に仕えても、その政府から給金をもらわなければ、国民と衝突する機会はありません。教会に入っても、その補助を仰がなければ、教会員と衝突する機会はありません。
人との交際は、なるべく乾いている方が、良いと申します。即ち利益の関係の少ないのが、あるいは全くないのが良いということです。そしてそのように交際に注意していれば、腹が立つ機会は少なくて、私共は理想にやや近い生涯を送ることが出来るであろうと思います。
◎ 近頃愉快な人物とは、私がこの号にちょっと紹介しておいた、米国の文士トマス・デビッドソンであると思います。彼ははるかにエマソン以上であると思います。彼の学は博(ひろ)く、彼の情は熱くありました。彼は英民族中に時々出る人物の一人であって、日本などにはとても見ることの出来ない人物です。
彼に似た者は、英国ではカーライル、ラスキン(?
http://en.wikipedia.org/wiki/John_Ruskin )です。米国では「ワルデン一名林中の生涯」(
http://en.wikipedia.org/wiki/Walden )の著者であるトロー(
http://en.wikipedia.org/wiki/Henry_David_Thoreau )です。
彼等はみな、人間の社会制度なるものを嫌い、独り天然の中に審美の神と交わろうとした者です。しかしながら、デビッドソンがこれら三者に優る所は、彼の労働者に対する非常な同情であると思います。
彼は、彼の生涯の大部分を独り林中に送りましたが、しかし林中からしばしば書を労働者に寄せて、彼等の苦痛を慰めると同時に、高気な生涯を教えました。彼は人間社会を嫌いましたが、しかし人間を愛しました。その点においては、彼は確かにトマス・カーライル以上であると思います。
◎ デビッドソンは、自身が平民で、平民の篤い友人でした。しかし不思議なことには、彼は今の社会主義が大嫌いでした。
彼の訓戒の一条にもある通り、彼は人がどのような看板でも、その身の内外に掲げることを好みませんでした。彼は全ての「主義」を嫌いました。彼は、個人個人の品性を高める以外の社会改良策には、全く信を置きませんでした。
彼はニューヨークにおいて、その労働者団体に告げて言いました。「私は、雇主に対する被雇人の不平を聞く耳を有たない。しかし私は、労働者を、彼の今日の地位において幸福な者とするための、多少の福音を有つと信じる」と。
彼は、人は誰でもその心の中において、王侯貴族になれると信じました。「単数の個人」 the individual in the singular number これが彼の目的物でした。彼はこれ以外に、彼の天国を築こうとはしませんでした。
◎ 彼のことについては、後日を待って、もっと詳しくお話ししようと思います。私に取っても、彼はなお新知友です。しかし、彼の著書をも注文しておいたので、今後数ヶ月の後には、大いにこの偉人を、諸君に紹介しようと思います。ついでに申上げておきますが、彼は近頃世を去った人です。
◎ その他、お話ししたいことは沢山ありますが、今日は暑いから、これで御免を蒙ります。 サヨナラ。
2.平和彙(い)報
◎ 第十九世紀間に、いわゆる文明諸国が、戦争のために犠牲に供した人命は、総数およそ四千万人、消費した金額は、三千億円であると言う。この金を使えば、三万の大学校を起こし、優にこれを維持することが出来るであろう。あるいは、最も困難な鉄道三十万マイルを敷設することが出来るであろう。
この人と金とで為し得ない経世利民の事業は、一つもない。しかし、それでもなお非戦論は迂論であると言う。私達は、なにゆえにそれが迂論であるのか、知るのに苦しむ。
◎ 今や全世界に在る、非戦を主張する平和協会は、五百以上ある。米国、英国、オーストリア、ドイツ、フランス、イタリアの諸国はみな、平和協会を有たないものはない。殊に軍人の跋扈(ばっこ)で名高いフランスにおいて、最も盛んであると言う。
それにもかかわらず、東洋の君主国である日本に、この会はない。廃娼会があり、禁酒会があり、婦人矯風会があり、動物虐待防止会があるにもかかわらず、同胞の殺戮によらずに、国際的紛争を整理しようと図る平和協会は設立されていない。恥ずべきではないか。
◎ 第十四回万国平和大会は、来る9月19日に、スイス国ルチェルン府において開かれる予定である。世界の平和主義の大家は、山水明媚なこの地に会し、大いに戦争廃止の方法について討議しようとしている。そして米国でさえ多数の代表者をこの会に送って、大いにその勢力を助けようとする計画があると言う。
◎ 1905年度のフランス政府の歳入総額は、およそ36億フラン(9億円余)で、その中、軍事と公債(主に戦争のために起こしたもの)とのために消費する額は、20億フランであると言う。それでも軍備拡張の声は、なおフランス国の政府ならびに軍人社会の中に揚がりつつある。
そこで下院議員デスツーネル・ド・コンスタン氏は、近頃フランス国の義会において、軍備拡張案に反対して、叫んで言った。
フランスの国家も議会も、政府自身さえも、私達の財政の実情を知らないと。
フランス国の窮状は憐れむべきである。しかし、その議会に一人のド・コンスタン氏がいることは、祝すべきである。フランス国の将来に、なお希望ありと言うべきである。
◎ 万国公法学会第23大会は、本年9月4日に、ノルウェー国の首府クリスチャナ市において開かれる予定である。これまた非戦主義実行の一好手段である。私はその成功を祈る。
◎ イタリア国ローマ府において、万国中央農事協会が設立された。イタリア国皇帝陛下は、これに30万リラ(8万円余)の寄付をされたと言う。これまた、平和運動の一大幇助となるに違いない。
完