「平和の歓迎」他二編
明治38年10月10日
1.平和の歓迎
(1) 平和成る
最も良い事は、始めから戦わない事である。その次に良い事は、戦って後に和する事である。私達は、戦いを避けることが出来なかった。しかし今や、交戦国は相譲って、和することが出来た。平和の神は、永くこの平和を守られるであろう。
(2) 戦争に対する戦争
再び外国に対して戦争をしてはならない。戦争に対して戦争しなさい。憎むべきは支那人ではない。ロシア人ではない。戦争そのものである。私達は全力を尽して、今からこの「最悪の頭(かしら)」の全滅を計るべきである。
(3) 平和収得策
平和は、平和によって贖(あがな)うべきである。戦争によって買おうとしてはならない。今から敵国に対して、好意を持ち、それを示しなさい。そして将来における復讐の戦争を避けなさい。
これが最も正当で、最も安価で、また最も確実な国防策である。徒に兵備を増して、かの猜疑(さいぎ)・嫉視(しっし)を増幅するという愚かなことをするな。
(4) ロシア人の美点
ロシア人にしても人間である。彼に欠点もあれば、また美点もある。そしてまた、ロシア人の敵人の声に聴き、彼の欠点だけに眼を注いでいれば、私達は永く彼を友とすることは出来ない。
私達は、今からは大いに彼の美点について学ぼうではないか。「大ロシア論」の著者ピルト・ゲラル氏は言う。「ロシア人を知ると同時に、彼を愛すまいと思っても、愛せざるを得なくなる」と。
ロシア人が悪いのではない。ロシア政府が悪いのである。そして私達は、善い民は終(つい)には善い政府を作ることを忘れてはならない。私達は今後、さらに心を込めて、ロシア人のために祈ろうではないか。
(5) 誤解の一大原因
ロシア国の年来の敵は、英国である。そして私達は、英人について知る事は多いが、ロシア人について知る事は少ない。
私達は英人から、彼がロシア人について懐く全ての偏見・曲想を取り入れた。これが過般の悲しむべき戦争を惹起するに至った一大原因である。私達は今後、直接ロシア人について知るべきである。彼はおそらく、彼の敵人が私達に紹介したような、「完全な悪魔」ではあるまい。
(6) 日本国の悪友
日本国には悪友がいる。「ロンドンタイムス」と称する。彼がいなければ、日露の交情は、あれほどに破壊されなかったであろう。
彼は紙面において、しきりに両国の衝突を促した。彼はいわゆる「キリスト教国」に在って筆を執る者であるが、キリストの御心に合う
平和を求める者ではない。彼は日本の益友のように見えるが、実は私達に多くの危害を加える者である。
常に敵人に対して悪意を表して止まない者は、終には友人に対しても不信の行為に出る者である。
私達は、「ロンドンタイムス」がその敵国に対し、あまりにも執念深いことを見て、それがキリスト教的紳士ではないことを知り、彼を友として持つのは、大きな危険であることを感じずにはいられない。
(7) 予定の共働者
日本人はアジア人であって、ヨーロッパ化した者である。ロシア人はヨーロッパ人であって、アジア化した者である。ゆえに両者の間に深い同情がなければならない。
もしアジアの教化が両者の目的であれば、両者は互いに手を携えて、この聖業に就くべきである。両者は兄弟である。仇敵ではない。同一の天職を任せられた、予定の共働者である。それにもかかわらず、彼等は血を流して相争ったのである。何と嘆かわしいことではないか。
(8) 惰性の類似
トルストイ(
http://en.wikipedia.org/wiki/Tolstoy )を見よ、ゴルキー(
http://en.wikipedia.org/wiki/Maxim_Gorky )を見よ。ニコライ・ガイ(
http://en.wikipedia.org/wiki/Nikolai_Ge )を見よ。フェレスチャギンを見よ。
その率直な点において、その極端に走り易い情性において、彼等は日本人そのままではないか。ヨーロッパ人がロシア人を解さないのは、彼に存する、そのアジア的情性に起因するに違いない。
良くロシア人を解する者は誰か。日本人でなければならない。良く日本人を解する者は誰か。ロシア人でなければならない。冷算的な英米人は、よく多血多涙である東洋人を解することは出来ない。
アジアは女性である。欧米は男性である。アジアは韻文である。欧米は散文である。アジアは精霊である。欧米は肉塊である。
そしてロシア人は、その半身をアジアに有して、よくアジアを解する。日本人は、アジアに生れて、その長子である。二者は生来の協力者ではなかろうか。
(9) 永久の平和
誤解である。そう、誤解である。ロシア人は、日本人を誤解した。日本人は、ロシア人を誤解した。そしてその結果として、私達は過般の悲劇を観たのである。
今や幸いにも平和が成り、誤解が氷解する端緒は開かれた。今から後アルタイの嶺は永久に安泰で、太平洋の水は、永久に静かであろう。
2.剣、剣、剣
英国の代表的新聞「ロンドンタイムス」は、日英新同盟条約を評して言う。「日英両国は、今後の多年間を、抜剣から救った。剣を鋭利にし、剣を準備しておく事は、日英相互の義務である」と。
剣、剣、剣と言う。国家をキリスト教の聖書の上に建てたと誇称する英国の代表的な新聞紙が言う事は、そのような事である。しかし、聖書そのものは、剣について何と言うか。
預言者イザヤは言う。「
エホバは諸(もろもろ)の国の間を裁き、多くの民を治め給はん。斯くて彼等はその剣を打かへて鋤(すき)となし、その鎗(やり)を打かへて鎌となし、国は国に対(むか)ひて剣を揚げず、戦闘のことを再び学ばざるべし」(イザヤ書2章4節)と。
また言う。「
すべて乱れ闘ふ兵士の鎧(よろい)と血に塗(まみ)れたる衣とは、皆な火の燃料(もえくさ)となりて焚(たか)るべし」(イザヤ書9章5節)と。
エホバはまた、預言者ホセアに、その民に告げさせて言われた。「
我………また弓箭(ゆみや)を折り、戦争を全世界より除き、彼等をして安らかに居らしむべし」(ホセア書2章18節)と。
神はまた、預言者ザカリヤに、ユダの民に告げさせて言われた。「
我れエフライムより戎車(いくさぐるま)を絶ち、エルサレムより軍馬を絶たん。戦争の弓も絶たるべし。彼、国々の民に平和を諭(さと)さん。其政治(まつりごと)は海より海に及び、河より地の極に及ぶべし」(ザカリヤ書9章10節)と。
そして主キリストは、その弟子ペテロに告げて言われた。「
汝の剣を鞘に収めよ。すべて剣を取る者は、剣にて亡ぶべし」(マタイ伝26章52節)と。
聖書が剣について言う事は、かくの如くである。もし聖書の言葉を信頼すべきであれば、英人の言葉は信頼出来ない。その他の自称「キリスト教国」の為政家や新聞記者の言葉もまた、信頼できないことは言うまでもない。
今のいわゆる同盟なるものは、剣に対する剣の同盟である。剣、剣、剣、「文明」とはこれである。「人道」とはこれである。歎くべきではないか。
3.憤怒の無用
◎ 狷介(けんかい
:かたくなに自分の意志を守り、人と和合しないこと)でも良い。孤独でも良い。狂気した国民と雷同して、国家を滅亡の危機にまで連れて行くよりはるかに良い。私は今後、ますます狷介で、ますます孤独であろうと思う。
◎ 不明
(道理に暗いこと。物事を見抜く力がないこと)なのは、内閣諸公と全権大使ばかりではない。八百の国会議員は、みな不明である。講和の結果を見て今更のように驚く者は、みな不明である。そのような事が始めから分からなかった者は、みな盲目であって、みな不明である。
◎ 日清戦争の時でも同じ事であった。戦争中は、大得意であって、平和となると、大消沈であった。日露戦争が同じ経過をたどって終わるであろうことは、始めから分かり切ったことである。ところが今更のように、切歯扼腕(せっしやくわん)する者は、冷静に歴史を研究したことのない人達である。
◎ 通常は藩閥政府に反対しながら、戦争となれば一も二もなくその命に従い、金も生命も投げ出して、その行動を助けながら、同じ政府が不都合な平和条約を結んだということで、烈火のようになって怒る。
「
誰か荊蕀(いばら)より葡萄を採り、アザミよりイチジクを採ることをせん」。不信任の政府が不信任を演じるのは、当然のことである。ところが今になって、この不信任の政府を責めるとは、不明もまた甚だしいではないか。私はこの時に際して、反って政府を気の毒に思う者である。
◎ しかし私は、今に至って同胞の失望落胆を見て喜ばない。いや、私は泣く。独り密かに暗涙(あんるい)に咽(むせ)ぶ。「
嗚呼(ああ)牧者なき羊よ、嗚呼盲者に導かるゝ民よ、我今、汝のために何を為し得ん乎」と。
そのように嘆じて、山中、人なき所に入って祈る。私が今出来ることは、これだけである。
完