初代の教会はどのような者であったか
明治43年7月10日
ラウシェンブッシュ( http://en.wikipedia.org/wiki/Walter_Rauschenbusch )氏近著「キリスト教と社会の危機」を読んで感じたことの一節
初代に教会が有ったことは、私といえども否定しない。しかしながら、それが今日の教会のような者でなかったことは、私は信じて疑わない。名は同じく教会である。しかし、その実においては、二者の間に雲泥の差があった。
そして二者の差は、清濁の相違ではない。それが拠って立つ根本の相違である。初代の教会と現代の教会とは、その主義、精神、性質を異にしている。
今の教会と言えば、主として神を礼拝する所である。会堂はこれを礼拝堂と称し、その教師は主として祭司である。祈祷があり、洗礼式があり、聖餐式があり、これに伴って聖書の誦読(しょうどく
:暗唱、音読)がある。
今の教会から礼拝的要素を取り除けば、残るものはほとんどない。語を換えて言えば、今の教会は信者の宗教心をつかさどる所である。彼等は世に在っては、世の人の如くに世の事業に従事し、教会に来れば世の人と異なり、神を拝してこれに仕える。
彼等が信者である証拠は、主として彼等が教会に属することにある。教会を離れれば、彼等が信者である徴候はほとんど見当たらないのである。
しかし、初代の教会はそのような者ではなかった。
初代の教会は、神を礼拝する所であるよりは、むしろ神を信じる者が作った社会であった。
これは信者が、キリストが唱えられた天国または神の国を地上に実現しようと試みた所であった。ゆえにこれを称して、聖徒の社会(Community of saints)と言った。
その内に礼拝が行われたことは言うまでもない。しかし礼拝だけをしていたのではない。教会は信者が作った社会であったから、その内に在って信者に関わるすべての事が行われたのである。
即ちその身に関すること、その知に関すること、衣食、労働、救済、教育等、信者に関わる人事の万般は、ことごとくその内に行われたのである。その事に関し、聖書は詳しくはこれを示していないが、しかしながら、その内に散在するこの事に関する記事を総合してみると、この結論が決して誤りでないことが分かる。
信者は皆な共に在り、すべての物を共にし、其産業と所有とを売りて必
要に応じて之を分与(わけあた)へぬ。(使徒行伝2章44、45節)
ここに一つの共産的社会が起ったのである。キリストの愛に励まされて財産所有の観念は消え、歓喜と希望を共にする初代の信者は、ここにこの世の物までを共にするに至ったのである。
日々心を合せて殿(みや)に在り、又家に在りてはパンを割(さ)き、歓喜(よ
ろこび)と誠心(まごころ)を以て食を共にせり。(同上46節)
産を共にし、食を共にしたと言う。これ以上に深い親密はない。「パンを割(さ)き」とは、ある注解者が言うように、「聖餐式を行った」と言うことではない。普通の食を共にしたと言うことである。
晩餐
式ではない。晩餐
会であった。イエスが常にその弟子達と食を共にされたように、彼の死後、彼の弟子たちは彼に習い、食を共にして心を共にしたのである。
イエスは日常の食事を祝し、これを真に聖餐にして下さった。今日教会において行われる聖餐式なるものは、元々は聖徒の聖なる会食であったことは疑いようがない。儀式は愛心の冷却から来るものである。愉快な信者の会食がその愛心の冷却と同時に、厳(いか)めしい教会の聖餐式と化したのである。
そのような共産的生涯に、多くの弊害が伴わないではない。共産が信者の上に強いられるに当って、一面にはアナニアとサッピラの場合のような偽善を生じ(使徒行伝5章)、また一面には多くの依頼者を起し、
「
工(わざ)を作(なさ)ずして専(もっぱ)ら余事(よじ)を努め、妄(みだり)なる事を行ふ者ある」(テサロニケ後書3章11節)に至った。
共産的生涯は、たとえキリストの弟子であっても、これを実際に行えるかどうかは、未決の問題である。そして初代の信者がこれを行ってから、あまり経たないうちに失敗に終わったことは確かである。
しかしながら、そのような生涯が彼等の理想であったこと、そして今日といえどもまた人類の理想であることは、これまた疑いがない。
近世における社会主義が、英人ロバート・オーエン(
http://en.wikipedia.org/wiki/Robert_Owen )から始まったこと、そして彼の終生の理想が、完全な共産的社会を作ることにあって、彼は幾回か失敗したが、幾回か試み、それによって後世に多くの貴い教訓を残したことは、人がよく知っていることである。
失敗は、理想を毀すことはできない。共産的社会のような高貴な理想は、幾回か失敗して、そして後に、終に光栄ある成功に達するものである。そして初代のキリスト信者は、大胆にこの大試験を試みたのである。
彼等は今のキリスト信者のように、失敗を恐れて理想の実行を避けようとはしなかった。彼等は直ちに地上に神の国を建設しようとした。そしてこの目的実現のために彼等が作った者が、即ち初代の教会である。
信者のために生活の道を設け、食膳を共にして親密を計り、さらに進んで子弟に教育を施した。ルカ伝を受け取ったテオピロの場合などが良くこの事を示す者である。
「
汝が教へられし所の確実(まこと)を暁(さとら)せんと欲(おも)へり」とは、ルカ伝が書かれた目的であった(1章4節)。その他貧者の救済に就いて、寡婦の処置に就いて、教会は深慮熟考し、特に長老の職を設けて、この重任に当らせた(使徒行伝6章)。
このようにして初代の教会は、今の教会とは全くその性質を異にし、神殿の性を帯びずに、社会の質を備えていた。その時、信者は単に神を拝し、道を説くに止まらずに、キリストの精神を注入された社会を作り、それを拠点として世に臨み、世をキリスト化しようとした。
これは実にパウロのいわゆる「キリストの体」であって、今日の言葉で言えば、「キリスト的社交団」であった。それが世を化するに当って非常に力があった理由は、ここにあったのであると思う。
信者は皆な共に在り、すべての物を共にし、其産業と所有とを売りて必
要に応じて之を分与(わけあた)へぬ。彼等は日々心を合せて殿(みや)に在
り、又家に在りてはパンを割(さ)き、歓喜(よろこび)と誠心(まごころ)を
以て食を共にし、神を讃美し、すべての民に悦(よろこ)ばる。主、救はる
る者を日々教会に加へ給へり。
と。単に使徒等の説教によってではない。信者全体の一致和合の生涯によって、キリストの福音は最も明白に世に示され、民はこれを喜び、争って自ら進んで教会に加わったのである。
視よ、兄弟相睦みて共に居るは如何に善く、如何に楽しきかな。
(詩篇第133篇1節)
汝等若し互に相愛せば、之に由りて人々汝等の我弟子なることを知るべし。
(ヨハネ伝13章35節)
世に愛に優る有力な説教はない。初代の教会が一日に二千三千の新たな信者をその中に加えたと言うのは、その上に愛の聖霊が降って、おびただしく愛の実を結んだからである。
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そうであれば、あるいは那須野ケ原において、あるいは十勝の平原において、誰がこの試験を試みるであろうか。
たとえ小さくても天国の建設を地上に試みるなら、たとえそれが必ず失敗に終わっても、その伝道上の効果は千百の教会を建てるに勝ることは言うまでもなく明らかである。
完