前に差別問題のエントリーで韓国人の障害者差別の酷さについて許さないと書きました。そして、身障者に対する考え方は改めて書きますと言いましたので、このエントリーです。
身障者差別で、出てくる団体は嫌いです。今回の東横ホテル問題で前面に出てきたところなどです。もう、左翼市民団体で利権が欲しい団体の臭いがプンプンどころか確定でしょう。
個人的にはあんな団体は無くすべきと思います。ほとんどいつも嫌うお花畑思想に近いのですが、身障者福祉は行政でキチンと管理して変な団体には一切係わらせない。福祉も申請とか煩わしい部分を行政がキッチリしていくことが必要と思います。今から地方都市の統合や地方公務員は無駄に多いので、それらの人員を福祉にまわすのです。福祉関係の補助などは、めんどくさくて役所は親切に教えてはくれませんから、それらをフォローする役所にすべきだと思っています。勿論、そのため汚い利益団体は無くすのです。
まあ、以上は理想であって、役所に移行しても役所がダメな場合が多いので無駄かも知れません。
身障者差別についても、私の知っている身障者の友達は特別扱いが嫌いです。身障者だからどうとか、変な同情を嫌います。こちらも変な気遣いは一切しません。物理的に無理なところだけ普通に手伝います。それに特にありがとうの言葉も貰いません。既に自然にしているからです。無論、身障者も等級が設けられているように完全に介護が必要な部分があります。これには、上記の自然に接することは困難です。
私は、身障者と向かい合うとき彼らを特別扱いしないで、前向きな考えで生きていくことを尊重するように接しています。バリヤフリーなどの推進は結構ですが、単に優遇措置としてのものでは意味のないものとなるのです。
自分たちが可哀想な人たちで単に守って貰おうとか金だけよこせとかの団体の言いなりに身障者をして行かなくてはいけません。
表面だけの障害者自立法をつくるのではなく、真の自立を求めて行くことが大事と考えます。
ここまでの主張は、理想です。身障者が社会的に弱者であることは、厳然たる事実です。ですから、金銭的な部分と社会的な機能部分での支援はどうしても必要です。その部分を切り捨てることはできません。
その一方で差別利権に取り憑く輩を取り除くことが、必要なのです。
私は、身障者の人を街でみても特になにも思わないようにしています。状況だけを理解して、物理的に手助けが必要なときに手伝います。「手伝いましょうか」などという馬鹿な言葉は言いません。お礼の言葉は、嬉しいのですがこのことで社会に迷惑をかけていると思って欲しくないので、殆どは笑顔だけでその場を立ち去ります。
実際の行動には勇気が必要です。カッコつけ野郎の烙印をまず押されます。しかし、家族や友人に障害者をもったことがあれば普通に出来ることです。私も若い頃は出来ませんでした。
このエントリーを見ている若い人がいれば、平和ボランティアに参加したり変な平和団体に参加するより日々の生活で、お年寄りを大事にしたり、身障者が困っているときに何気なく手伝って欲しい。「俺は障害者の差別のために戦っているんだとか頑張っているんだ」とか思った時点でそれは身障者を一段下に見ている差別であることを知るべきだ。
すこし、理想主義だと自分でも思うが、これが偽ることのない自分の本音である。
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