天皇陛下のメモの話をネットで見ていて、ふと思い出した。昔の話である。
小学生のころの話である。その物語の背景の設定に私の誕生日が、11月3日文化の日であることが関係する。
ある日、担任の教師が明日は何の日かとクラスに問いかけた。みんなが「文化の日」と答える。
すると、「文化の日」はどんな祝日なのかなと問いかけるのである。
これには、クラスの人間は答えられない。
そのとき、誕生日の起源を知っている私が答えるのである。
「明治天皇の誕生日です。昔の明治節。晴れの特異日としも有名です」(もう、右翼として完璧な少年の答えですね。)
さて、困ったのは教師である。ここは、平和憲法の発布の日で平和の願いを教えるための質問だったのに、生意気なガキが歴史を知っていたんで慌てるのである。
そりゃそうです。戦後も20年以上たって日教組教育のなかで明治天皇について知ってるガキがいるとは思わなかったんでしょう。
憲法の話とか平和を話しますが、生意気なガキは譲りません。名目上は、明治節と文化の日は別個となっていますが、間違いではないとの自信があります。なんと言っても自分の誕生日ですからキチンと調べています。
今考えても、天長節から明治節の祝日の継続の過程などから明治から戦前まで祝日として認知されていた。これは明治天皇死後に国民署名もあり、祝日として復活したことからも国民に根付いた祝日であったとみるべきである。憲法発布に作為的なのものがあることは明白である。
戦後の祝日としても明治節からの流れで国民に受け入れやすかったことも否定できないと思いますね。
で、色々あって、教師のいうことが建前としては合っていますから、文化の日は平和で文化的な生活をすすめる日として制定されたで決着しました。
再度教師は、「明日、文化の日はどんな日ですか」
もう、私は答えません。他の子が手を挙げます。
「明治天皇がお生まれになられた日です。」
そのときの私、(おっ、敬語を使って偉いね。)
教師「ち、ちちがうでしょう。」
当時までは全国の田舎では、まだまだ天皇家への尊敬の念は大きかったんだよ。(それに子供だから平和憲法がどうたらより尊敬すべき天皇の誕生日のほうがインプットしやすいよね)
本当は、文化の日については私が間違っているんだけど(表面上はね)サヨク教師に対して、プチ右翼少年がクラスを味方にして勝利したときでした。
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