私のブログへコメントをくれる奇特な人で喧嘩の話で冗談だろうがありがとうというコメントがあった。
個人的な意見なのだが、子供の頃のケンカは成長する上で必要なところがあると思う。他人の痛み、自分の痛みが判ること。殴るときの限度が判ること。急所への攻撃の危険性。ケンカによる順位付け。一方で、学校での勉強デキフデキによる位置の逆転現象。暴力の理不尽さなど様々なことを学んでいく。
ケンカの一つもしたことのない男は、ダメ男であると個人的には力説したい。
そこで、今のキレたバカ犯罪者の分析なのだ。ケンカをしていた人間にとって、ケンカをよくする間では、暗黙のルール(痛めつける限度)が存在していた。しかし、一番厄介なのが、いまでいうおとなしい奴がキレたときだ。感情の爆発で力は尋常じゃないし、話も通じない。だから、この手の人間は手を焼くからあまり手を出さない。私の頃は、いじめみたいなことには正義の味方的な人間がいじめは止めていた。(私はその一人)そのカッコツケは、勿論代償がある。いじめっ子とのケンカである。いじめの連鎖を断ち切るには、ケンカしかないのだ。
話がいじめへとシフトしたが、キレるタイプは、キレた後にボコボコといかないまでもキッチリ制裁を加えておかないといけない。バカは勘違いするからだ。このタイプとケンカなれした人間が係わらないのはめんどくさいからで、ケンカのルールが判らない奴とケンカではヘタな怪我とかを避けたいからだ。
ここで勘違いすると、自分では強いと思いこむが、ケンカをする奴は自分に全く敬意を表さないし態度は変わらないから、力の表現場所を家庭内暴力とか間違った方向に使うのだ。
一連のバカ犯罪者の言葉(報道で発表されるもののみ)からは、上記のような自我肥大のバカとしかみえない。
私は原因として社会のせいにするのは大反対であるが、戦後の平和教育と個人尊重主義の弊害だと思う。近所つきあいが希薄なって地域において子供の社会が形成されなくなったことで、小さな社会ルールを学ぶ場が無くなったことだ。かわりに小学校などで小さな社会を形成出来ればいいのだが、がんじがらめの教育の場で温室ミカンを栽培するから、学校の温度調節が上手くいかないと、腐ったミカンばかりになってしまう。表面は大丈夫だが根腐れした苗木のような子供ができあがる。
でも、色々と原因らしき物を考えても結局は、本人なのだ。倫理観を学ぶところは、学校だけでないし、書物は心を豊かにしてくれることもある。人との出会いで人生が大きく振れることもある。どんな人間にもそんな変わるチャンスはあるはずだ。
その人生を変えるのに一番大きな物は友人である。今まで書いた状況が最悪の場合でも一人の友人がいれば、犯罪者にはならない物である。
結論、一生つき合える友人がいれば、バカ犯罪は防げる。
(結局、支離滅裂になったなあ)
人気blogランキングへ、ポチッと押して下さいお願いします

0