自戒の意味を込めてレッテル貼りは、考えようという話しを書きたい。
ウィキを引用すると
レッテル貼り:人や物事の多様性を無視して、単純な類型(パターン)の枠組みで捉えて、その類型の名前で呼ぶこと。
レッテル思考:レッテル思考とは、人・物事に対して自分が貼ったレッテル、あるいは他者によって貼られたレッテルだけで、人・物事に対する評価・判断を決めてしまう思考。人や物事の内実や実態を、ひとつひとつ自分自身で確認しなくても判断できると思い込んでいる思考形態。
ひとつひとつ個別の内容を具体的に検討していないので、実態にそぐわない判断となることが多く、様々な問題を引き起こすことが多い。この思考形態をしている者は自分がそのような思考をしているとの自覚が無いことも多いだけに問題は根深く、レッテル思考をする者の行動は、人権問題や社会問題の原因ともなりうる。
レッテルを貼る者の中には、最初から悪意でニセのレッテルを貼る(=デマを流す)者もいるので、他者が貼ったレッテルを鵜呑みにする傾向のある者は、本人の自覚は無いまま共犯者となってしまう場合がある。
政治の世界等では、国民・市民を意図的にレッテル思考へと誘導することで世論を操作するようなことをする者も多い。(プロパガンダも参照)
昨日のエントリーに珍しくコメントがついていたが、そのコメントは知性のかけらも無い典型的なバカサヨクの発言であった。まあ、レッテル貼りの類型化の文章を書いているので、批判はあって当然である。ただし、今までのエントリーでもサヨクは全部バカと決めてはいないし、ソウカの人を全て悪人とも書いていないし、在日の人にもいい人がいることは、書いている。
ただ、ネット上のサヨクの多くは、コメントを寄せたように罵詈雑言か自説をたれ流し、検証などを広角な視野で行わないダメダメ野郎なのだ。
一方では、アホウヨクも多いことは認めなければならない。私も完璧な人間ではないし、アホ右翼的な発言をすることもある。その点では、釣られたサヨクをバカにするだけでなくて、安易なレッテル貼りは控えなければならないと思うのだ。
ちなみにコメントでバカウヨクのレッテルを私は貼られた訳だが、あるウヨクブログではソウカ認定を受けた人間であるから、バカウヨクから同類とは認められていないことを考えると私はバカウヨクでは無いと思うのだ。
ただ、自分が賢いとか偉いとか思っていないので、バカウヨクでも結構である。評価とは他人がするもので、レッテルを貼られても基本的には甘んじて受けます。嘘のレッテルはイヤなので、街宣右翼とかとかナンデモ罵倒するネットウヨクでは無いことは宣言しておく。(個人的にはウヨクではないと思っている。中道です。)
やっぱり、自分を道徳的にも高い位置に持っていきたいので、過激なレッテル貼りは控えようと思うが、ネットやTV(マスゴミ)って類型化されたサヨクで正しいレッテル貼りを行っているように思えるんだよなあ。まあ、過激なネットウヨクも類型化出来ると言えば出来るには否定出来ないか。(所謂、バカウヨクね)
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